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#19-7
ずっと助けたかったし、守りたかった。
それができないのをどこかで宗介のせいにしていた。
同情なんてされたくない、救いなんかいらないと、宗介がそう言うから。彼より弱い自分は、だから何もさせてもらえないのだと、言い訳にしていた。
本当は伸ばした手を拒まれるのが怖かっただけだ。
目を逸らしてきたその事実が、那緒に選択をさせた。動かし、走らせ、叫ばせた。
次は宗介が選ぶ番だと思った。
温もりを失った那緒の手は、代わりに宙を掴んでいる。
世界から音が消えたようだった。蝉の声や風の音も、蝕むような暑さも全部消えて、ただ、宗介の気配だけがそこにいて。
長い長い数秒ののちに、触れた。
さっきまでと同じ体温が、違う意味をもって。
弾かれたように目を開けた那緒は、その感触が錯覚ではないことを恐る恐る確かめる。
汗ばんだ那緒の手は、宗介のそれに確かに握られていた。
顔を上げると視線が噛み合う。
声にならなくてもわかる。その瞳は言っていた。
助けてくれ、と。
「……そ」
宗ちゃん、と呼ぼうとした瞬間。
何かが潰れるような、どしゃっ、という音がした。
聞こえてきたほうを見ると、那緒が侵入してきたのと同じ門のところに、人影がうずくまっていた。いや、倒れていた。それも二人重なって。
宗介が宇宙人にでも会ったような声で呟く。
「……み、光希……?」
確かに、すぐに起きあがった上のほうの人物は光希だった。ならば、その下でべしゃりと潰されているほうは。
「うわああ! 友春くんごめんっ」
光希が飛び退いて助け起こすと、額に青筋を立てた友春が、逆に光希の襟首を掴んで揺すった。
「バカお前、見つかっちまっただろうが、バカッ」
「ごめんなさいぃ……!」
光希の半べそ声。唐突な新しい侵入者たちが、場の注意を全てかっさらっていた。
那緒より遅れて到着した二人は、恐らく門戸から成り行きを覗いていて転倒したのだろう……と、那緒にだけは経緯が推測できたが、那緒以外には全くもってわけのわからないことの連続だった。
注目されている状況に気づいた友春が、舌打ちして「逃げるぞ」と光希を引きずる。ばたばたと門から逃げ出していく二人の背中に、那緒もはっとする。
再びぎゅっと握り直した宗介の手を引き、一目散に駆けだした。
「うわ……っ」
宗介は声をあげるが、さすがの運動神経でついてきた。自分が逆の立場だったらすっ転んでいたに違いない、となぜかそんなことを那緒は真面目に思いながら、万緑の庭をひといきに突っ切っていく。
鍛治ヶ崎のひび割れたような声が背を追ってきたが、そんなもので止まるわけがなかった。
瞬く間に門を抜け、直感で那緒は、来たときとは反対の方向へと走り出した。
友春たちの姿は見当たらなかった。
路地に隠れでもしたのだろうか、探してなどいられない。それどころじゃない。
やっと掴んだのだから。
走りながら振り向いて見たら、ちゃんといた。
少し息を弾ませて、宗介がすぐそこにいた。
どのくらい走ったのか那緒にはもうよくわからなかったが、住宅街が開けた先には川があった。そこでやっと足を止め、土手の上で二人、身体をくの字に折る。
しばらくのあいだ手を離すのを忘れていた。先に我に返ったのは宗介で、乱暴に振りほどかれてしまい、那緒は少々悲しかった。
肩で大きく息をしながら、宗介が鋭い視線を那緒に向ける。
「てめ……、ちゃんと、説明しろよっ」
言葉は切れ切れだが、いつもの宗介の声だった。那緒は片手で脇腹を押さえながら、やはり切れ切れに答える。
「す……するよ、するけど、ちょっと、待って……」
「全部だぞっ、俺が納得いく説明、ちゃんと全部できんだろうなあっ」
「できる……、と思う、たぶん……」
「たぶんじゃねえ、しろ!」
そんなふうに宗介に怒鳴られるのもずいぶん久しぶりな気がして、笑っている場合ではないと思いながらも、那緒は頬が緩むのを抑えられなかった。「なにヘラヘラしてやがんだっ」と背中をどつかれるのすら嬉しい。
まだ息は荒いし、恥ずかしいほど汗まみれだが、那緒はどうにか背を伸ばして、宗介と向かい合う。
「ちゃんと全部、説明するから」
那緒が言うと、宗介は拗ねたように唇を尖らせながらも、ひとつ頷いた。やや幼い仕草に、那緒はまた少し笑う。
「疲れたよね。どっか座れるとこ」
探そう……と言いかけたところで、那緒の視界はがくんと揺れた。
正確には、疲弊した左膝がカクンと折れて、重心が思いきり左に傾いた。そしてそこは土手の端だった。
上体が投げ出されるような感覚に、あれっ、と思ったときにはもう遅く。
一瞬だけ目の前いっぱいに綺麗な青空が広がり、それから那緒は、転げ落ちた。
石ころのように土手を。
「おいっ、ナオ!」
宗介の声が遥か彼方から降ってくる。
土手の下、遊歩道のように舗装された川べりの地面の上に、気づけば那緒は横たわっていた。流れる水音がさっきまでよりも近づいて聞こえる。
土手を駆け降りてきた宗介が、焦った顔で那緒の両肩を掴み、揺すった。
「おいナオ、生きてるか!? 死んだのかっ」
「……いだい……」
こういうときはあんまり揺らしちゃだめだよ宗ちゃん、と言う余裕はなく、とりあえず痛い。くまなく斜面に打ちつけた全身が痛い。
一人ならしばらく動けなかっただろうが、宗介に半ば無理矢理に引っ張り起こされた。泥だらけになった身体を二人で検分する。
あちこち痛いことは痛いが、深刻な怪我はないようだ。
そもそも那緒の人生、土手を転げ落ちたのはこれが初めてではない。
自分のドジにはつくづくうんざりだが、まあ、意外と死んではいないのだからいいかーーと、那緒が内心で開き直り始めた、その目の前で。
宗介が唇をおかしな形に歪ませる。
「……ふ」
そこから漏れた息が二人のあいだの空気を揺らした。
薄い唇が弧を描いて、小さめの白い歯が覗く。走ったせいで上気した頬は、目尻のあたりまで薄っすら赤くなっていた。
無愛想にいつも何かを睨んでいる目が、那緒を見つめて細められる。
ーーあ。
那緒の左胸で心臓が跳ねた。
さわれそうなほど青い空が、宗介の輪郭をくっきりとふちどっていて。
「ほんとにテメーは、バカだな……っ」
そう言って笑った。
宗介が、声をあげて笑った。
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