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#20-2
「お前、なんで俺なんか……好きになったんだよ」
宗介が静かに口を開いたので、那緒はその顔を覗きこむ。
カーテンから漏れる月明かり、白い頬。奥二重の目はどこか心許ないような表情をみせていた。迷子になりかけの子供みたいだ。
那緒は尋ね返す。
「なんでって……なんで?」
「好きになるようなとこ、ねえだろうが」
「なくないよ。いっぱいあるよ、好きなとこ」
挙げろというならいくつでも挙げられる。
昔は、強くてかっこいいところが好きだった。ヒーローに憧れる気持ちに近かったように思う。それは今でも変わっていないが、ヒーローを守りたいとは普通、あまり思わないだろう。
間近で不安げに瞬く宗介の瞳を、那緒は掬いあげるようにじっと見つめる。
「いっぱいあるけど……優しくて、真っ直ぐなとこが、いちばん好き」
そう伝えると、宗介は目を泳がせて「……そんなんじゃねえよ、俺は」と呟いた。
「真っ直ぐなんかじゃねえ。矛盾だらけだ」
卑下するような言葉がぽつりと落とされる。それはきっと、誰にも晒したことのなかった、紛れもない宗介の本心だった。
那緒の胸が締めつけられる。
確固とした信念のもとで生きていると思っていた。本当は宗介だって、揺れていたのだ、いつも。そう思ったら。
愛しくてたまらなくなった。
泣きたいくらい。
今日だけ泊めてくれ、と言った宗介は。
明日には家に帰って、きっと両親と顔を合わせる。
今日の出来事を宗介の両親がどれだけ怒っているか、何と言って宗介を咎めるのか。想像するだけで那緒が苦しくなるのは、宗介がまた一人で戦うつもりなのがわかるからだ。
他人に頼ることが下手な宗介は、たぶん、また自分で決着をつけようとする。人間のそういう性質は簡単には変わらない。
でも宗介は、自分に助けを求めてくれた。
その事実が那緒には重要で。
一緒に戦うことも、守ることもできる。それを、ちゃんと伝えておかなくては、と思った。
もう絶対に一人にはさせない。
一人じゃないんだと知っていてほしい。
「……あの、宗ちゃん」
抱いていた腕を離し、布団の下で宗介の手に触れる。細く筋ばった手の甲の感触。微睡みの中のようなあたたかさ。
「もっかい、ちゃんと言い直していい?」
心臓がうるさくて、宗介に聞こえてしまうと思ったが、いっそのこと聞かせてやりたい気もした。代わりに指どうしを絡ませる。宗介は拒まない。
「好き、……です……」
育て続けてきた心が、ぎこちなく声になって喉を震わせる。
ちゃんと宗介の鼓膜まで届いたか自信がなくなって、きゅっと指に力を込め、もう一度。
「宗ちゃんのことが好きです」
ずっと昔に芽吹いていた感情が、ようやく咲くのを許されて、那緒の中で確かな言葉になったーーそんな感じがした。
数ヶ月前に言ったそれとは違う。宗介がなかったことにしようとした、あのときの言葉とは。
宗介は、那緒の瞳を見つめ返しながら、しばらくなにも言わなかった。那緒には永遠にも感じられた清らかな沈黙ののち、ふ、とその眼差しが陰る。
「……お前がアルファで、俺がオメガだからだろ」
静かに、しかしどこか投げやりに宗介が言うので、那緒は間髪いれずに否定を口にした。
「違うよ。それは違う。だってさ、宗ちゃん」
そんなことを言わせてしまうほど、現実が宗介の心に巣食ったその根は深く、那緒にはそれが苦しかったが。
「そうなる前から俺たち、一緒にいたじゃんか」
物心ついた頃にはもう出会っていて、那緒は那緒だったし、宗介は宗介だった、そこからなにも変わっていない。
ただそれだけなのに、宗介が「わかんねーよ……」と目を伏せるから。
「わからせるよ、俺が」
ごつん、と額を合わせた。
頭の中身がこれで全部、宗介の中へ流れ込んでいけばいいのに。はちきれそうな愛おしさが残らず伝わればいいのに。
やわらかい夜風が頬を撫でる。今夜が涼しくてよかった。熱帯夜だったらこんなそばで触れられなかったかもしれないと、那緒は少しだけ思った。
「俺のこと、そういうふうに見てよ」
吐息が当たる距離。焦点が合わないほど近い。
「ずっと近くにいられるなら、友達でもいいやって思ってたけど。友達じゃ、守れないときもあるから、今日みたいに」
フェロモンの匂いは消えていないが、触れたところのあたたかさのほうが、何倍も存在感があった。知ってしまうと、欲しくなる。この体温を独り占めしたい。
「宗ちゃんの、いちばん近くにいたい」
宗介のことはなんでも知っているようなつもりでいたのに、初めて見る顔も、初めて聞く声も、いくつもあったしきっとまだあるのだ。そばで守りながらひとつひとつ知っていきたいと思った。
ゆっくりでいい。宗介さえ許してくれるなら、時間はいくらでもある。
宗介が眉を顰めた。
「ヘタレのポンコツ野郎が何言ってんだ、バカ」
でもその目元は薄っすらと朱がかっているのが、暗闇にもわかってしまって。無意識のうちに口元を緩ませた那緒は、「ニヤニヤしてんじゃねえっ」とゼロ距離からの頭突きを受ける。
「いだっ……いきなりなにすんだよ……っ」
じん、と疼く額の痛みに、目を瞑って耐えていたら。
唇にやわらかいものが触れた。
え、と思ったときにはもう離れている。
「……えっ」
慌てて開いた瞼の向こうで、宗介はじっと那緒を見ていた。
黒真珠のような瞳が淡く煌めく。
なにか言いたげでもある。
けれど、なにも言わないまま宗介は、ぷいっと顔を背けた。
「え、宗ちゃん……いまのなに、ねえ」
「寝るぞ」
ごろんと寝返りを打ち、那緒に背中を向けてしまう。
夢だったかと思うほど一瞬の出来事、しかし、少しかさついた感触がまだ那緒の唇には残っている。
「うそ、宗ちゃん、説明してよ。ねえ、ちょっと、こっち向いて」
「黙れ。自分で確かめただけだ」
「な、なにを」
「……嫌なことかどうか」
ぼそりと言われた言葉に、期待と不安とが入り交じって那緒を襲う。一気に渇いた感じのする喉を小さく鳴らし、尋ねるも。
「け……結果は……?」
「うるせえ、寝ろ」
つれない返事に那緒は「無理だよぉお」と悲鳴をあげた。
それを笑うように、外では気の早い鈴虫が鳴いている。秋の訪れの微かな気配を謳っている。
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