3 / 7

03

 苦しそうに横たわる剛の側で、弘人は見守ることしか出来ない。  何も出来ないのが辛くて、悪いとは思ったが剛の手帳をこっそりと開いた。  そこには、今まで登った山の記録、日常の他愛も無い出来事、仕事のアイデア、そして弘人のことが書かれていた。  最初は単純に、弘人の小綺麗な容姿に惹かれたこと。  お近づきになりたくて、己の私物をさも弘人の落とし物だという体で話しかけたこと。  そんなことをする自分を浅ましく思ったこと。  会話を重ねるうちに、ひたむきに仕事へ向かう姿勢を好ましく感じたこと。  己の話を興味津々で聞いてくれる姿に惹かれていったこと。  年甲斐も無く若者に恋をしてしまう自分を恥ずかしく思ったこと。  そして、弘人の笑顔を見るだけで、一日中幸せな気持ちでいられること。  この日記は熱烈なラブレターのようだった。  同性だろうが年上だろうが、他者から愛されているという事実は、ただただ温かい。 「うぅ……」  剛が唸りながらこちらに寝返りをうった。 「タケさん、昨日は酷いこと言ってごめん。何か飲む?」 「大丈夫、直ぐに治すよ……あ、手帳、見られちゃったか……」  剛は弘人の手の中の手帳を見て恥ずかしそうに笑った。 「俺のこと沢山書いてあったよ。照れるじゃん」 「男に好かれて気持ち悪いだろ、ごめんな」 「気持ち悪くない。昨日のは嘘だ。人が人を好きになる事は……その……素敵な事だと、思う」 「でも、こんなオジさんが恋なんて、恥ずかしい」  数日前、山に登る理由を聞いた際『恥ずかしいから山に逃げたくなる』と言った剛の気持ちが少しだけ分かった気がした。  無邪気で自信家に見える姿は彼の鎧で、本当の彼は、自身の性的指向を受け入れられないまま中年になってしまった、自己否定の塊だ。  そんな彼を慰めたのが、男も女も関係ない、命がけの山の世界だったのだろう。 「タケさんは、気持ち悪くも恥ずかしくもない。タケさんは、俺の憧れだ」  その言葉を聞いた剛の目から、一筋の涙がこめかみへ流れていった。 「ああ、ありがとう、ヒロくん」  弱々しい声を出す剛を励ますように、弘人は努めて明るい声で問いかける。  今まで剛がそうしてくれたように。 「タケさん、何かして欲しいこと無い? キスでもしちゃう?」  冗談で言ったつもりだが、剛が喜ぶのならキスぐらいしてもよかった。 「こんな所でヒロくんと初キスするなんて嫌だなぁ……無事に外に出られたら、してもらおうかな」 「今、して欲しいことは無いの?」 「……じゃあ、笑ってて」 「え?」 「いつも笑わせてあげたいって思ってるんだけど、面白い冗談は浮かばないし……だから、笑ってて。ヒロくんの笑った顔が、大好きなんだ……」  弘人は、ゲイというだけで肉体的接触をすぐに連想した自分を、愚かに思った。  キスがしたい、セックスがしたい、そんな欲求の前に、ただ笑わせたい。  大きな身体を丸めて懇願する彼は、なんて尊い存在なのだろう。  弘人は寒さで強ばる頬で、なんとか笑顔を作った。  そのぎこちない笑顔を見た剛は、それはそれは嬉しそうに笑った。  相手が笑うから、自分も笑う。  それを見た相手が、また笑ってくれる。

ともだちにシェアしよう!