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苦しそうに横たわる剛の側で、弘人は見守ることしか出来ない。
何も出来ないのが辛くて、悪いとは思ったが剛の手帳をこっそりと開いた。
そこには、今まで登った山の記録、日常の他愛も無い出来事、仕事のアイデア、そして弘人のことが書かれていた。
最初は単純に、弘人の小綺麗な容姿に惹かれたこと。
お近づきになりたくて、己の私物をさも弘人の落とし物だという体で話しかけたこと。
そんなことをする自分を浅ましく思ったこと。
会話を重ねるうちに、ひたむきに仕事へ向かう姿勢を好ましく感じたこと。
己の話を興味津々で聞いてくれる姿に惹かれていったこと。
年甲斐も無く若者に恋をしてしまう自分を恥ずかしく思ったこと。
そして、弘人の笑顔を見るだけで、一日中幸せな気持ちでいられること。
この日記は熱烈なラブレターのようだった。
同性だろうが年上だろうが、他者から愛されているという事実は、ただただ温かい。
「うぅ……」
剛が唸りながらこちらに寝返りをうった。
「タケさん、昨日は酷いこと言ってごめん。何か飲む?」
「大丈夫、直ぐに治すよ……あ、手帳、見られちゃったか……」
剛は弘人の手の中の手帳を見て恥ずかしそうに笑った。
「俺のこと沢山書いてあったよ。照れるじゃん」
「男に好かれて気持ち悪いだろ、ごめんな」
「気持ち悪くない。昨日のは嘘だ。人が人を好きになる事は……その……素敵な事だと、思う」
「でも、こんなオジさんが恋なんて、恥ずかしい」
数日前、山に登る理由を聞いた際『恥ずかしいから山に逃げたくなる』と言った剛の気持ちが少しだけ分かった気がした。
無邪気で自信家に見える姿は彼の鎧で、本当の彼は、自身の性的指向を受け入れられないまま中年になってしまった、自己否定の塊だ。
そんな彼を慰めたのが、男も女も関係ない、命がけの山の世界だったのだろう。
「タケさんは、気持ち悪くも恥ずかしくもない。タケさんは、俺の憧れだ」
その言葉を聞いた剛の目から、一筋の涙がこめかみへ流れていった。
「ああ、ありがとう、ヒロくん」
弱々しい声を出す剛を励ますように、弘人は努めて明るい声で問いかける。
今まで剛がそうしてくれたように。
「タケさん、何かして欲しいこと無い? キスでもしちゃう?」
冗談で言ったつもりだが、剛が喜ぶのならキスぐらいしてもよかった。
「こんな所でヒロくんと初キスするなんて嫌だなぁ……無事に外に出られたら、してもらおうかな」
「今、して欲しいことは無いの?」
「……じゃあ、笑ってて」
「え?」
「いつも笑わせてあげたいって思ってるんだけど、面白い冗談は浮かばないし……だから、笑ってて。ヒロくんの笑った顔が、大好きなんだ……」
弘人は、ゲイというだけで肉体的接触をすぐに連想した自分を、愚かに思った。
キスがしたい、セックスがしたい、そんな欲求の前に、ただ笑わせたい。
大きな身体を丸めて懇願する彼は、なんて尊い存在なのだろう。
弘人は寒さで強ばる頬で、なんとか笑顔を作った。
そのぎこちない笑顔を見た剛は、それはそれは嬉しそうに笑った。
相手が笑うから、自分も笑う。
それを見た相手が、また笑ってくれる。
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