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not sweet… 3

「ざる蕎麦売り切れてて、とろろ蕎麦しかなかったんです。とろろは俺が食べますから」 コンビニの袋から黒いプラスチックの容器に入った弁当を取り出しながら紫音が言う。 俺の目の前に置かれたのは紫音の言う様にとろろ蕎麦。 紫音の前にはメガ盛りと書かれた唐揚げ弁当。 蕎麦の横に置かれた小さなカップに入った白いドロドロとしたとろろに、一気に食欲をなくす。 「ありがとう」 蕎麦の容器を開けると、紫音の言葉に甘えて、素早く白いとろろの入った小さな容器を紫音の前に移動させた。 きっと紫音はそれをメガ盛りなご飯にかけて食べるのだろう。そう思って、台所から醤油を持ってきて、既に唐揚げを頬張っている紫音に手渡す。 立ったついでにミネラルウォーターとグラスも二人分テーブルまで運んだ。 「ありがとうございます。ハル先輩、それだけで足りる?俺の唐揚げ分けますよ?」 「ん、いやいいよ」 「蕎麦だけじゃあんまし栄養無さそうですよ?」 「昼はちゃんと食べてるから、大丈夫」 「ならいいですけど…」 唐揚げ弁当は、見ているこっちが気持ちいいくらい豪快に紫音の胃袋に収まっていく。スポーツ選手の紫音は身体が資本なのだ。あの肉体を維持していく為には、当然確り食べなければならない。 日々身体を動かしている紫音とは違い、バスケをやめてから確実に筋肉が落ちているのがわかる。 服の上からでもわかる紫音の引き締まった無駄のない筋肉と、がっしりとした骨格、男の俺でさえ見上げる程の長身は、男たる者の憧憬そのものだ。 ここ最近は疲れて家に帰るとすぐ寝てしまうが、筋トレだけでもしようかな。いや、まずはもっと筋肉の元となるものを食べなければ…。 そんな事を考えながら紫音を眺めていたら、最後の最後、少しだけ残ったご飯に、醤油を混ぜたとろろをかけて、それもほんの2口程で完食してしまった。 視界から白いドロドロした物がなくなった事に少しほっとした。 元々は好き嫌いは少ない方だった。とろろだって、嫌いじゃなかった。 でも、「あれ」以降、どうしても食べることができなくなってしまった。見た目が生理的に受け付けないのだ。 他にも、あれから食べられなくなった物は多い。刺身や生卵など生臭くドロリとした物は全般に食べられないし、肉類も血生臭い赤みの強い物は苦手になった。 解放されてもう6年も経っているが、その影響は食の面以外でも俺の中の色んな所に色濃く残っていて、たぶん一生消えない。所謂トラウマという奴なのだろう。 それでも日常生活がままならない訳ではないので、積極的に治療しようとか向き合おうとかそんな風には少しも考えていない。ある意味自分がこうなった事を諦めているのかもしれない。「受け入れている」とは決して言いたくはないから、本当の意味で諦められてはいないのだろうけど。 「ハル先輩、まさかもうギブ?」 「よかったら紫音食べて」 「えー…ってこれ、半分も食べてないじゃないすか」 「仕事中ちょこちょこ摘まんじゃったから」 確かに今日、隣の席の高宮先生からお菓子の差し入れがあったが、それは昼過ぎだった。でも、とろろ芋一つのせいでこんなのひとつ完食できない自分が恥ずかしいし、何より紫音に心配をかけたくなくて、誤魔化した。 俺の嘘に納得してくれた紫音はペロリと3口で俺が格闘していた蕎麦を完食した。 紫音は俺がそれを苦手な理由を知らない。紫音と俺の付き合いは長いが、お互いの事を深く知ったのは、「あの」後恋人同士になってからだったから、紫音は俺の事を元からの偏食家だと思っている。 あの日々を連想する物は、日常生活の中にたくさん紛れていて、それが今日はたまたまあれだっただけのことだ。 このトラウマは、生々しい記憶が少し薄らぎ、精神的に穏やかに毎日を送れる様になった頃に、まるで「忘れるな」と言われているかのごとく生じて、俺の心を乱し始めた。 ごく軽いフラッシュバックとでも言うのだろうか。ふとした瞬間、本当に些細な繋がりで脳が勝手に連想ゲームみたいにあの時の事を思い出して、強い羞恥心や恐慌に襲われ、人目も憚らず叫びだしたくなる衝動に駆られるのだ。 それは例えばベッドのシーツを交換している瞬間だったり、電車の中で革製のストラップが目の前で揺れている時だったり。 同じ様な状況で、いつもそうなるという訳ではなく、その時の自分の体調やメンタル面が大きく影響している。

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