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not sweet… 4
「ハル先輩、なんか疲れてる?」
その声で内面に向けていた意識を戻したら、紫音が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「ごめん、ちょっと考え事」
「なんか、表情優れないですけど、どうしました?」
紫音は心配そうな表情のままだが、その声色が少し残念そうに聞こえた気がしたから、焦って笑顔を作る。
せっかく2ヶ月ぶりに紫音と会えたっていうのに、こんな仏頂面してたら、紫音だって面白くない筈だ。
「ごめん、何でもないよ」
「本当ですか?何か悩みとかあるなら、俺聞きますよ?」
「大したことじゃない。仕事のこと」
「教師って大変ですよね、絶対。俺には絶対無理ですもん」
「そんなでもないよ。紫音の方が凄いじゃないか。海外での活躍、見たかったな」
「活躍って程でもないです」
少し照れた様に鼻の頭をかく紫音は、恥ずかしそうだけど、それでも誇らしげに見えた。
紫音は、弱小チームだった潮陽高校を、宣言通り強くして注目を集め、見事バスケ推薦で強豪大学に入学した。
高2の秋にようやく本格的にバスケ部に復帰できた俺も、紫音の活躍の影で目を付けて貰えたらしく、紫音と同じ大学から声をかけて貰っていた為、バスケ部に所属しながらそこで教育課程を学び、高校英語教師の免許を取得した。
紫音もそうだが、俺も大学4年の時に幾つかのプロチームからスカウトを受けたが、全て断って教員になる道に進んだ。
自分の体格が貧相で限界を感じていた事もあるが、それよりも何よりも問題だったのは、大舞台に立つのを怖れる自分がいた為だ。
大きな試合になればなる程、いつもしないミスが増えて、いつもは出来るプレーがスムーズに出来ない。それはチーム内でも紫音ぐらいしか気づかない程の些細な変化だったが、自分の中では悔しくて情けなくて仕方なかった。自分が未だあの事を引き摺っていて、大勢の観衆の前に立って注目を浴びる事に恐怖を感じているという事実を認めたくなかった。自分の弱さに直面させられる気がしたからだ。
だから、本当はそれが心的外傷のせいだとわかっていたのに、紫音には「調子が悪いだけだ」と言って、本当の事は告げなかった。もうあれは乗り越えたのだと思われたかったし、紫音にだってあの事は、少なくとも生々しい部分だけでも忘れて欲しかった。
あの悪夢の様な出来事も、トラウマという響きも、俺を照らし続ける太陽の様な紫音には似合わない。その記憶に残ることすら、紫音を、そして俺たちの今の関係性を汚す様で嫌だった。
全てを有言実行してきた紫音の事は心から尊敬している。同時に、いつも隣にいてくれるのに、手を伸ばしても届かないくらい遠い、尊い存在だと感じている。勿論、物理的な距離ではなく、人間的なレベルにおいての事だ。
もうこれは崇拝にも近いのかもしれない。
紫音の事は当然恋人として好きだが、同時に俺が失った全てと、手にしたかった全てを持っている俺の理想と憧憬の塊なのだ。
俺がそう思っている事を紫音に悟られたらなんとなく怒られる気がするので、紫音にはそんな片鱗を見せないように気を付けているが。
「本当はハル先輩と一緒にプレーしたかったんですけど」
ポツリと紫音が呟いた。
紫音は、俺がスカウトを断った時、凄く感情的になっていた。
「ハル先輩は自分の限界を自分で決めてるだけだ」と珍しく本気で叱咤されたし、考えを改めるよう沢山説得してくれたけど、それでも俺にはプロの道を選ぶことはできなかった。紫音と二人、インカレでも、全日本でも随分目立ってしまった。それだけでも内心ヒヤヒヤしていたと言うのに、プロになって今以上の注目をこの先ずっと浴び続けるなんて、とてもじゃないけど無理だ。
だって――――。
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