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not sweet… 5
「ごめんハル先輩。そんな顔しないで」
また暗い深淵を覗いてしまいそうになっていた俺を、紫音の声が引き戻した。
目の前の紫音は悲しそうな、なんとも言えない表情を浮かべている。俺は、どんな顔をしていたのだろう。
「で、仕事の悩み事って何ですか?」
「え、いや、本当に大した事ないから…」
一転明るい調子で紫音が問う。
まさか突っ込まれるとは思っていなくて、俺は少ししどろもどろだ。貴重な二人の時間を、俺の下らない愚痴なんかで潰したくはないのだが。
「前言ってた指導教員?」
「あれ…?俺、話したっけ?」
「2ヶ月前会ったときにチラッと。そいつ、まだネチネチハル先輩に絡んでくるんですか?」
2ヶ月前、話しただろうか…。自分で覚えていないくらいだから、話したとしても本当に少し愚痴った位だろう。そんな程度なのに、紫音はちゃんと覚えていてくれたのか。
「俺の事、気に食わないみたい。今日も帰り際1時間くらいお説教されたし」
「1時間も?それ、パワハラじゃないですか。あんまり酷かったら、もっと上の…教頭とか?に相談した方がいいですよ」
「うん……まぁ、でも間違ったことばっか言ってる訳じゃないから…」
「そうだとしても、1時間は長すぎますって。ハル先輩なんかすごく疲れた顔してるから、心配」
紫音の眉毛が言葉の通り心配そうにひそめられた。俺は昔から紫音にこんな顔させてばっかりだな。
「大丈夫。耐えられなくなったらちゃんと相談するよ。……せっかく久々に会えたのに、ごめんこんな話」
「そんな事気にしないで、何でも話して下さい。ハル先輩何でも一人で抱えちゃうから、心配なんです」
「うん。ちゃんと話すよ」
愚痴だとしても話した方が紫音が安心できるのなら、その方がいい。紫音に心配かけたくない。
「あと、他は、変な奴いないですか?」
「変な奴?」
何の話だろうか。
「ハル先輩の事、変な目で見る野郎とか、いないですか?教師だけじゃなくて生徒も!ハル先輩の高校、よりによって男子校だし」
紫音はおどけるでもなく至って真剣に言った。さすがに会う度言われる訳ではないので忘れていたが、この手の質問は紫音からよく受けていた。
「そんなのもういないって。俺ももう24で女の子と間違われる様な感じでもないし、あの頃とは違うよ」
「いやいや、確かに前とは違いますけど、ある意味前よりヤバイというか、なんと言うか…。ともかくハル先輩は警戒心を解いちゃダメです。それに、そのパワハラ野郎だって怪しい。そういう相手を罵るのを悦ぶ性癖とか持ってるのかも…」
「考えすぎ」
紫音の強引なこじつけに少し呆れるけど、紫音をここまで心配性にしてしまったのは間違いなくあの事件のせいなので、この手の話題は自分ではあり得ないと思っていても頭ごなしに否定することはできない。だからこそ、苦手だ。
「あながち間違ってない気がします。ハル先輩の鈍感な所も可愛いけど、ちゃんと警戒して気を付けて下さいね。男はみんな狼なんですから」
「紫音も?」
「ん?」
「紫音も狼なのか?」
話を逸らしたくて意味ありげに微笑んでみせたら、紫音がテーブル越しに額がつくかつかないかくらいの距離までずいっと近づいた。
「当たり前じゃないですか。俺、ハル先輩といる時間の大半、ムラムラしてますよ」
熱い吐息混じりに囁く声。内容はセクハラ親父みたいなのに、なんでこんなにセクシーなのか。
「……そんな事真顔で言われたら反応に困る」
唇に啄むようなキス。
「大丈夫。俺が反応、させてあげるから」
その合間に直接的な言葉を挟んで。
先に煽ったのはこっちだった筈なのに、あっという間に主導権は紫音に握られた。
いつもの事だけど、少しだけ悔しい。でも、そんな事を考えていられる余裕はすぐになくなるのだけれど。
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