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not sweet… 10

満員電車は苦手だ。 学生時代に比べると格段に減ったが、スーツを着た明らかに男であると分かる筈の俺の尻を撫で回す輩がたまに出没するからだ。 でも、よりによって今日出くわすとは…。 紫音の与えてくれた久々の温もりや甘酸っぱい気持ちに心がほっこりしていたというのに、一気に気分は急降下だ。 男なのに痴漢だと騒いでも滑稽なだけなので、控え目に触ってくるだけの様なタイプは気づかない振りをしてやり過ごすことにしているが、今日の相手はしつこかった。その触れ方は控え目どころではなく大胆で、硬い尻をそうして何が楽しいのか揉んだり、割れ目に指を添わせたりしてくる。 さすがに気持ち悪くて出来る限り身を捩って抵抗したが、その手はぴったりと尻に張り付いて離れない。 服の上から出来ることなんてたかが知れてる。そう言い聞かせて身体を這う気持ち悪い感触をやり過ごそうと努めた。が、暫くしたら密着度が高まり、男の荒い息遣いまで聞こえてきて吐き気が込み上げる。こんな所で吐くわけにはいかないので、口元を覆ってそれにもなんとか耐えて、次の駅に着いた所で降りる人の流れに乗って入り口まで移動した。どうやら痴漢は着いてこなかったらしく、胸を撫で下ろす。 「しいちゃん?」 知った声に顔を上げると、キラキラと光を反射する明るい金髪が目に入った。 「やっぱりしいちゃんだ。この電車だったんだ!初めて会ったね」 ニコニコと爽やかな笑顔を振り撒いている相手は黒野颯天(そうま)。今年入学したばかりの高校1年生。俺が顧問を勤めるバスケ部の部員だ。 「黒野、お前『しいちゃん』はやめろ」 「あれ?その声どうしたの?」 「お前なぁ…」 「風邪?なんか顔色よくないよ?」 「俺の事はいいから、」 「夏に風邪ひくなんて、しいちゃんらしいや」 「『椎名先生』だろ」 「なんかしいちゃんスーツ着てると先生って感じ」 「スーツ着てなくても先生だろうが」 「堅いこと言わないでよー」 馬耳東風とはこの事だ。何度注意しても直らないので、自分としてはもう呼び方なんてどうでもいいと諦めているのが正直な所なのだが、いかんせん志垣先生が煩い。困ったものだ。 黒野は、今の中高バスケ界では知らない者はいない程の有名なスター選手で、間違ってもうちみたいなバスケにおいては無名の高校に来るような選手ではない。 それなのに、この通り黒野はうちの学校に入学した。バスケプレーヤーとしての俺のファンだったからというだけの理由で。 ファンだったというだけあって、初めはしおらしい物だった。当然敬語も使ってたし、しいちゃんなんて呼び方してなかった。それが、いつの間にこうなってしまったのだろう。普段の授業は色んなレベルの生徒がいるので置いておくとしても、バスケ部の指導においては結構厳しくやってるし、馴れ合ってるつもりもないのだが、志垣先生の言うようにどこか舐められる要素があるのだろうか。 電車を降りて、駅の改札を抜けても向かう先が一緒なので黒野は隣を歩く。 金髪と銀髪が揃えば只でさえ目立つのが倍に目立つので少し居心地が悪い。 黒野は名前からはわからないがイギリスと日本のハーフで、その金髪も天然だ。 ハーフらしく彫りの深い甘いマスクで、この辺一体の中高生から絶大な人気を誇っていて、駅でも騒がれていた。 黒野といるととにかく目立つし、「お兄さんですか?」なんて俺まで声をかけられた。顔は全然似てないと思うのだが、髪の色でそう思われるのか。 「しいちゃんも現役の頃は騒がれたっしょ?」 「お前程じゃない」 「嘘だー。青木さんと二人でいつも女の子引き連れてたじゃん」 「そうかもな。そんな事より黒野。今日のテストは大丈夫か?赤点とるなよ?」 もうすぐインターハイが始まる。去年は予選敗退だったが、今年は黒野のおかげで予選は順調に勝ち上がっている。うちの学校は、文武で言うと「文」に力を入れている方なので、成績いかんによってはインターハイに出場できない。 ワンマンチームにはしたくないし、去年から指導にしている2、3年生も大分動ける様になってきたが、この先も勝ち上がるには黒野の存在は必要不可欠だ。 「だーいじょうぶだって。俺って何でもできちゃうから」 必殺のキラキラスマイルを向けられる。傲慢な物言いだが、黒野が言うと様になる。黒野も紫音と同じくらい自信に満ち溢れているし、しかもその自信がハッタリではなく事実に裏打ちされているからなのだろう。 「気を抜いておかしなミスするなよ」 「わかってる」 黒野とは校門を抜けた所で別れた。職員玄関と生徒玄関は裏と面だ。

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