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Only you 1
もう少し。
あともう少しだけ我慢すれば―――。
電車が徐々にスピードを落とし、完全に止まった瞬間、慣性の法則で進行方向に少し身体を持っていかれる。
この駅で俺が移動することを経験から既に知っているらしい真後ろの相手は、最後の足掻きのつもりかその揺れに乗じて殊更身体を…下半身を押し付けてきた。丁度尻の辺りに当たる覚えのある硬い感触は本当に言葉に出来ないくらい気持ち悪い。
停車して、ドアが開いて、降車する人達が動き出すまでのほんの数秒。そのたった数秒だけでも吐き気を催す。
この駅は比較的大きな駅で、降りる人も多い。
俺はここで降りる訳ではないが、いつもこの駅で人波に沿って移動する。言うまでもなく後ろにいる痴漢から離れる為だ。
この痴漢、4ヶ月前に初めて俺を狙ってからというもの俺をターゲットに定めたのか、俺が離れるまでの1駅分、身体を触ったり、はたまた自分の物を押し付けたりという迷惑行為を働いてくる。
乗車する車両を変えても、時間を微調整しても週に何回かは遭遇してしまう。乗り込む駅自体が同じなので、残念ながら目立つ容姿の俺は見付けやすいのか、その一駅分の為に付け狙われているのだ。
こちらも相手の顔は覚えてしまった。普通のサラリーマン風の男だ。強いて特徴を言えば、頭髪が薄く、神経質そうで気弱そうな中肉中背。少しくたびれたスーツを着た、どこにでもいそうな中年の男。
こっちも向こうの顔を知っているので、その男を見つけたらすぐに他の乗車口に移動しているのだが、奴は決めた相手への痴漢行為に慣れているのか、ギリギリのタイミングで俺の後を追ってきて、乗り込んだ後もどういうテクニックなのか上手く俺の後ろに付くのだ。こっちは人の流れに揉みくちゃにされながら空いてるスペースに立つのがやっとだっていうのに。
いつもの様に降りる人について行って、乗車口近くの手摺に掴まった時、背後に違和感があった。異様に密着されているこの感じと、尻に擦り付けられている硬い感触は、ここに逃れて来る前と同じ――。
「逃げちゃだめだよ」
そうハッキリ耳元で囁かれて、目の前がクラクラした。
つけてきたのだ。いつもはそんな事しないのに、どうして…。
『間も無くドアが締まります。駆け込み乗車はお止めください……』
電車の運転手か駅員のマイクを通した声が聞こえてきて、やがてチャイムと共にドアが締められた。
この駅では降りる人も多ければ乗り込む人も多いので、気付いた時には先程と同じくらい満員で身動きは取れない。
どうしよう。この先15分以上乗っていなくちゃいけないのに。
どこか逃れられるスペースはないものかと目線をさ迷わせていたら、不意に後ろから右手を取られた。
突然の事に無防備に真後ろに持っていかれた手は、男の手に包まれる様にして硬くて熱い物を掴まされた。
――それは服ごしでも布越しでもなく生身の人間の肌で俺の頭の中は軽くパニックに陥った。
俺が混乱してるのをいいことに、男は握らせた手を上下させてきて、その先端に指先が触れたとき、濡れた感触に触れた。
――もう、無理…。
力ずくで右手を取り返した直後、男はしつこく追ってきて、また先ほどの物を掴ませようとしてくる。
これまで経験したことがないほど大胆なそのやり口に恐怖すら覚える。
あんな物二度と掴まされて堪るか。
攻防の末握らせる事は諦めたらしい男の手が、また尻を這う。そして、たぶんもう一方の手で自分の物を刺激している。知りたくないのに、密着しているせいで男の手がその辺りで上下しているのが分かってしまう。寧ろ、わざと分からせるように動かしている様な気もする。
唇がつきそうな位耳元に寄せられた男の口からは、荒い息遣い。
そして、殆ど吐息みたいな小さな声で呟いた。
「ねえ、かけていい?」
ぞわっと肌が総毛立つ。せめてもの抵抗に首を振ってみたけれど、男は吐息に笑いを含ませただけで効果はなさそうだ。
気持ち悪い。吐きそう。
次の駅で降りよう。遅刻したとしても、これは精神的に耐えられない。
どんどん荒くなる男の吐息と、手の上下する動き。尻の上を這い回る手の平。全部が泣きそうな程気持ち悪い。
なんでこんな事されなきゃいけないんだろう。
俺が何をしたというのだろう。
もう嫌だ。こんな事する男も、される自分も。
紫音―――。
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