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Only you 6

――次の日。 土曜日の午後。 俺はあまり人通りの多い所は好きではないのだが、今日の待ち合わせの相手は人混みが好きみたいだ。厳密に言えば、人混みと言うよりも、人が集まる話題の場所が。 「ごめんね春。待った?」 「さっき来たとこ」 「よかった。今日もその眼鏡似合ってるね」 「顔がにやけてるぞ、斗士」 「あは、ばれた?」 会うのは1ヶ月ぶりだけど、斗士とはブランクも距離も全然感じない。 付き合いは高校からだけど、俺の秘密を知る数少ない友人の一人で、俺にとってはかけがえのない親友だ。二人ともが社会人になっても尚、時折こうして会っている。 「んー!美味い!」 イチゴと生クリームとチョコレートソースがたっぷり乗ったパンケーキを、目の前の斗士は大きな口で頬ばった。見ているこっちが胸焼けしそうな程の生クリームの量だ。 「春も一口食べる?」 「いいや。俺はこれで」 自分の皿に置かれた、バター以外トッピングなしのシンプルなパンケーキを一口サイズに切り分けて口に運ぶ。普通に美味しいけど、恥を忍んで女の子だらけの中わざわざ並んでまで食べたいとは思わない。が、斗士はいたく気に入った様で「美味い」と頻りに喜んでいるので、さっきかいた恥も、待ち時間も無駄ではなかった。 「春、最近どう?仕事は上手くいってる?」 半分くらい食べて、取り合えず満足したらしい斗士が話を向けた。 「うーん。ちょっと…」 仕事の事と言われてどうしても脳裏を過るのは昨日の事だ。 「何?何かあったの?」 「仕事っていうか、人間関係なんだけど…俺って、女みたい?」 「そんな事ないよ。雄々しくはないけど、ちゃんと男だ」 「そうだよなぁ…」 食べかけのパンケーキをフォークでつつく。冷えてバターが固まったら、初め程の美味しさはなくなっていた。 昨日家に帰って、黒野が言っていた「ずりねた」という単語を調べてみたら結構衝撃的で、紫音に訊ねなくてよかったと心底思った。 でも、志垣先生の言っていた事は、全くの空想でも虚構でもなかったということだ。 「何?また男に襲われた?」 「『また』とか言うなよ。結構本気で悩んでるんだから」 「図星なの!?え、大丈夫?」 「いや、襲われたとかじゃない。でも、俺が生徒のズリネタにされてるらしくて」 俺にとっては覚えたての単語だったが、斗士にとってはお馴染みの単語なのだろうか。すんなり会話は進行した。 「それはしょうがないよ。だって春の高校、男子校だろ?女の子いなかったら、消しゴムでさえズリネタにするのが男子高校生ってもんだから」 「消しゴム…?」 「ってのは物の喩え。ほら、箸が転げても笑うとかって言葉あるでしょ?それと一緒。10代の男なんか、何だってズリネタになるってこと」 「じゃあ、深く考えなくていいって事か?」 「うん。妄想に止めてる分には別にいいんじゃない?その妄想を実行する奴がいたら問題だけど」 妄想を実行って、それこそ襲われると言う事か。1対1ならまだしも、高校の時みたいに大勢で来られたら…?そう考えると背筋が凍る。 斗士は気にしなくていいとあっさり言った『ズリネタ』にされているという事実も、俺の中ではそう簡単に割り切れない。が、消しゴム並に思われているだけなのだと思えばいくらか気は楽だ。 「俺、なんか男を誘ってる様な雰囲気とかある?」 「うーん、春が誘ってる訳ではないと思うけど、花みたいなもんかな?」 「花?」 「そう。吸い寄せられちゃうっていうの?」 「それってつまり、俺が誘惑してるって事か?」 「違う違う。例えが悪かったね。花は撤回。花には虫を惹き付ける理由があるけど、春にはないもんね。春にその気がなくても、周りが勝手に春を欲しがっちゃうんだよ。大抵の人間は美しいものが好きだから」 「…それ、どうにかならないかな」 「無理でしょー。それだけ綺麗で魅力的だって事だよ」 「俺はそうは思わない。あいつなら簡単に落とせそうだとか、気が弱そうだとか、そんな風に思われてるだけだ」 だから痴漢にも遭うし、生徒からも変な目で見られるのだ。やっぱりもっと身体を鍛えて、弱そうだと思われない様にするのが得策かもしれない。 「春に正面から近づくのって結構ハードル高いよ?自分に自信がないとなかなか声かけれないと思うな。麗しの美男子。高嶺の花って感じするもん」 「斗士も紫音も、俺を買い被りすぎ」 麗しの…なんて、自分はそんな王子様キャラじゃない。自分の容姿をブサイクだとは思わないが、紫音や斗士が誉めちぎってくれる程の物は持ち合わせていないと思っている。日本人とは毛色が違うから、変に目立ってしまうだけだ。 「そういう春は自分を見下しすぎ。そう言えば青木には?この事話した?」 「…話してない」 「え…まさか、あれからまだ会ってないの?」 あれからというのは、前回斗士に会って以降という事だろう。前は渋谷に連れていかれて結構大変だった。元々煩い所も人が多いところも好きじゃなくて、殆ど行ったことはなかったが、やっぱり苦手な所だなと再認識させられた1日だった。 「11月初めと、先週も会ったよ。試合見に来ないかって言われて」 「へー。ようやく春の事呼んだ訳、あいつ」 10月にリーグ戦が始まって以降、紫音は多忙だ。それでも、紫音ならすぐに「試合観に来て」と言ってくれるだろうと俺は密かに期待していた。が、その予想は的中しなかった。紫音は丸1ヶ月全然声をかけてくれなかったし、会いにも来てくれなかった。自分で観に行くしかないとチケットを探し始めた頃には、紫音は爆発的に人気者になっていて、観覧席のチケットなんて全く取れなかった。 好調に活躍しているらしい紫音を、恋人である自分がテレビのニュース番組を通して知るのは結構辛くて、斗士には愚痴っぽく相談した事もある。 紫音に直接それを言えばいいのに、俺はまた下らない意地を張ってしまって、「試合が観たい」とも「会いたい」とも言えなかった。 こんなんじゃいつか愛想を尽かされるんじゃないかって不安もあるのに、俺の意地はまるで最後の砦みたいに強固だった。

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