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get cranky 4
もう何度目だろう。
黒野のオフェンスから始めて、俺を抜けないまま一回攻守交替して。俺はすぐにポイントしたので、また黒野のオフェンスに戻って、一体何度目の挑戦だ?
「まだやるのか?」
「…もう一本」
ぜぇぜぇしながらも黒野は食らいついてきた。
高校1年生相手に本気を出して大人げないが、俺だって1点たりとも譲りたくはない。
指導ではなく1on1を始めた俺たちに、ハル先輩が一度声をかけに来たが、俺も黒野もやめるつもりはなかった。
呆れた様子のハル先輩が肩を竦めてまた勝瀬さんのフォローへと戻って行って、それから何本のボールを叩き落としただろうか。
確かに黒野は上手い。スキルもあるし、飲み込みも早い。高校1年生でこれなら、将来バスケで飯が食える可能性だってあるだろう。高校生の中では間違いなくスタープレーヤーだ。
でも、現役のプロプレーヤーとして活躍している俺の敵ではない。何度やっても結果は同じだ。
「そろそろ諦めたらどうだ?今のお前には俺を抜くのは無理だ」
途中から、ハル先輩の言っていた様に、教職員のギャラリーがチラホラやってきた。多分彼らの大半の目当ては、ニュースなんかにも度々登場していて顔も知られているであろう俺で、必然的に俺と黒野の二人に注目が集まった。
多くの視線を集める中、高校生をこてんぱんに負かすのはあまり気持ちのいい事ではないし、負かされる黒野も嫌だろうと思う。
「くそっ!……いつか、絶対追い抜いてやる!」
「そう簡単に追い抜かせるかって。休憩にするぞ」
どうやったって勝てない相手とぶつかった後は、そっとしておいて欲しいだろう。そう思って悔しそうに歯噛みする黒野は置いて、体育館脇の水飲み場に向かった。
この学校の地理を知っている訳ではないが、どこの学校でも大抵同じ様な所にそれはある。ここも例に漏れず。
蛇口から直接水を飲んで、そのままの流れでいつも通り顔を洗おうとして掌に水を貯めた所で手を止めた。
タオルがないんだった。
体育館にわざわざ取りに戻るのも面倒だし、顔を洗うのは諦めるか。高1の癖に、俺にこれだけ汗をかかせたのだから、それだけでも黒野の実力は本物だな。悔しいけれど、あいつが大人になったら、俺にとっても脅威となるだろう。それは、嬉しい様でもあり、酷くムカつく様でもある。
あんな高校生、現時点では俺のバスケにおいても、対ハル先輩の事に関しても、ライバルにすらなり得ないのに、さっきから感じているこの焦燥は一体何なのだろう。
「これ、よかったら使いません?」
考え事をしていたせいか、その声がかかるまで、すぐ横に人が近づいてきていた事に全く気づかなかった。
「これ」というのは、差し出されたタオルの事だろう。戸惑っていると、その人物はニコニコしながらまた言葉を重ねた。
「怪しい者じゃありませんよ。ここの教員を勤めている中谷といいます。さっきの黒野君との1on1見ました。凄く格好よかったです」
「はあ、どうも」
中谷と名乗った男の人の良さそうな笑顔に気圧され、差し出されたタオルを受け取ると、さっきから浮かべていた笑みがより一層深くなった。
「嬉しいなー。俺、青木さんにこうしてタオル渡すの夢だったんです」
「夢?」
「青木さん、よく試合の後とか、こうして水飲み場で顔洗ってたでしょ?俺貴方の大ファンだったので、いつか俺のタオル使って貰いたいなーって。いつも青木さんにタオル渡すの、椎名先生の役目だったから」
「………」
「あ、ごめんなさい!俺ちょっと気持ち悪かったですか?気持ち悪かったですよね。突然すみません。でも本当、大ファンで…」
「貴方ですか」
「はい?」
「椎名先輩に、俺と付き合ってるんじゃないかとかいうくだらない質問をしたのは、貴方ですね?」
「あ…ご、ごめんなさい」
やっぱりそうか。学生時代の俺とハル先輩を知っている同僚教師なんて、そうはいない。こいつが下らない事をハル先輩に聞いたが為に、元々人前でいちゃつくのを嫌がるハル先輩の態度が更に硬化して、誰も知り合いのいないであろうデートの時だって友達の距離を保とうとしてくる様になってしまった。家の中では以前と変わらずイチャイチャさせてくれるが、俺はデートの時だって、ふいに手と手が触れ合ってドキッとする程度の距離にハル先輩を感じていたいのに。
「あの…気にしてますか?」
「俺は全然全く気にしてないけど、椎名先輩は気にしてるみたいなので、もう二度とあんな事言わないで下さいね」
「すみません」
みるみる内にしゅんと小さくなっていく目の前の男を見て、ちょっと言い過ぎたかと思った。
曲がりなりにも俺のファンと言っているし、試合ももしかしたら観に来てくれているかもしれない。つまり、大事なお客さんである可能性があるということ。
「こっちも言い過ぎました。これからも応援宜しくお願いします」
フォローを入れて、せっかく受け取ったタオルで濡れた口元だけ拭って返した。
「そんな事言って貰えるなんて、感激です!」
返したタオルを大事そうに両手で抱えた中谷という男は、さっき自分で言っていた様に確かにちょっと気持ち悪かった。でも、なんとなく、女の子のファンが多い男より、同性のファンが多い男の方が格好いい気がするので、同性のファンは特に大事にしたい。だって、男からも憧れられる男ってのが、真の男だ。
「あ、あの、青木さん」
黒野も待たせているし、体育館に戻ろうかと歩を進めかけた時、背中に声がかかる。ウザったいなと内心思いながらも「ファンは大事に」と自分の胸に言い聞かせて、愛想よく振り返る。
「何?」
「よかったら…なんですけど、番号交換しませんか?」
「はあ!?」
せっかく浮かべた作り笑顔もすぐに霧散した。
番号交換だあ?なんでそんな事、いちファンとしなきゃならないんだ。さっきはちょっと優しい言葉をかけただけで舞い上がってた癖に、大胆すぎやしないか。自分に自信のありそうな相当可愛い女でさえ初対面でそんな事言わない。それなのに、なんで男のファンなんかに俺のプライベートまで知られなきゃならないんだ。
「あ、すみません。でも、俺、椎名先生の同僚だから、色々とリーク出来ますよ?」
「はぁあ!?」
またまた何を言ってるんだこいつ。ハル先輩?リーク?どういう意味だ?
「椎名先生は否定してましたけど、青木さん、椎名先生の事でさっき凄く怒ってたし、その…やっぱりかなり親密なのかなって…」
「だったら何だよ」
「いや、ほら。椎名先生って、自分の事よく分かってないっていうか、隙があるっていうか。きっと青木さん心配してるんだろうなーって思うんですよね。そういう心配が試合に影響してもよくないし、傍にいられない分、俺が椎名先生の事見て、青木さんに報告しようかなーなんて…」
「是非!!是非番号交換しましょう!」
なんだこいつ、ただのいい奴じゃないか!
俺は先程睨んでいたのが嘘みたいな顔で、中谷の肩を掴んだ。
中谷は、「嬉しいです」なんて頬を染めていたけど、こっちとしては願ったり叶ったりな提案だ。
ハル先輩の学校での様子が定期的に知れたら、それほど安心できる事はない。こいつが、これから俺のスパイとしてハル先輩を見守ってくれる訳だ。
『ハル先輩に下らない質問をした相手』は、ハル先輩自身に邪な興味を持っているのかもしれないと初めは思っていたが、俺のファンというのは嘘ではなさそうだし、それなら俺の大事なハル先輩に変な事はしないだろう。
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