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get cranky 5

「暗記は得意です」と言う相手に口頭で番号を伝え、今度こそ体育館に戻ると、黒野はハル先輩にシュートフォームを見てもらっている様だった。ちょっと放置しすぎたので、心優しいハル先輩が声をかけたのだろう。ムカつく。 俺に対しては頑なに「指導はいらない」なんて言っていた黒野は、真剣にハル先輩のアドバイスに耳を傾け、素直に返事をしている。まるで別人の様だ。 ハル先輩が、構える黒野の腕の位置を後ろから修整する。ああ、そんなに近づいちゃダメですってー!くそっ!腕握られやがって! 心の中で悪態をついていたら、黒野の口元が引き上げられた。目線はゴールポストに向いているのに、その笑みは非常に不自然で、たぶん、いや確実に俺へのアピールだ。間違いない。 もしかしてこれはあれか?さっきの俺がやった事の仕返しか…? 「おい、戻ったぞ」 「紫音。どこ行ってたんだよ」 堪らずかけた声に、ハル先輩が振り返る。さっきから俺の存在に気付いていたらしい黒野は、ハル先輩に整えられたフォームでそのままボールを放ち、憎たらしくもネットに入れてから悠々と振り返って言った。 「大きい方ですか?」 「なんだトイレか」 「違います!ちょっと水飲んで来ただけです」 本当に憎たらしいガキだ。慌てる俺をふふんと鼻で笑って見ている。 「もうあと15分位で練習終わるけど、ラストスパートで色々教えてやってくれな」 「りょーかいです!」 ハル先輩に元気に挨拶したはいいものの、あっちに行ってしまったハル先輩を見送って振り向くと、「お前に教わることなんかない」みたいな顔した黒野がぶすっと突っ立ってる。 「お前さ、俺の事気に食わないみたいだけど、椎名先輩もああ言ってたし、一つくらい何か覚えれば?お前が巧くなれば椎名先輩は喜ぶんだから。ダブルクラッチとかは?できる?」 「できる」 「じゃあやって見せろよ」 ボールを投げて寄越すと、黒野はすぐさまドリブルでゴールに向かった。そのままダンクするのかも思いきや、レイアップに切り替えてシュートを決めた。 どうだ?と言わんばかりの視線を向けられるが、俺から見ればまだまだだ。 「ディフェンス入ってやるから、もう一回やってみろ」 俺の性には合わないが、さっきみたく本気で止めにかかるのではなく、こんな風にブロックされたらレイバックで行った方がいいなとかいうのが分かる様にディフェンスしてやった。動きのバリエーションを増やす様に道筋をつけてやったのだ。 今日で一つくらい成長して貰わないと俺の面目も立たないし、ハル先輩に潤んだ瞳で「紫音のお陰だ」とか言われたいし。 それに、さっきまで感じていた黒野への焦燥は、ハル先輩の傍にスパイを置けたことで安堵し、すっかり鳴りを潜めていた。 俺はハル先輩の傍にいつもいられないのに、こいつはいつも傍にいれて、一緒にバスケもできて…っていう事に焦りを覚えていたのかもしれない。 でも、これからは俺の目がここにも行き届く。ハル先輩に対する所有欲とか独占欲は、かなり異常だが、そんなの今更だ。さすがにハル先輩にスパイの事は言えないが。 部活動の終了の時間はすぐにやって来て、ハル先輩の号令で整列した生徒たちに 「あーざーした」と野太くお礼を言われ、今日の俺たちの役目は終了した。 …筈だったが、部活の時間が終わって気の緩んだ部員たちに勝瀬さんと二人して囲まれて、プロの世界の厳しさや楽しさ、その道に進むためにしてきた事等ざっくばらんに話してやった。このくらいのオマケはつけてやってもいい。ハル先輩も嬉しそうだし。 ハル先輩に連れてこられた黒野もその輪には居たが、他の部員達の様に目をキラキラさせてはいなかった。 一応話はちゃんと聞いている様だが。 手のかかるお子ちゃまがこの部のエースで、ハル先輩も大変そうだ。まあ、手がかかるのは、一丁前の恋心と嫉妬心のせいなのだろうが。 黒野はハル先輩にとってはただの生徒だ。ライバルにはなり得ないし、性格は俺に対しては最悪だが、ハル先輩におかしな真似はしないだろうと思う。例えば徒党を組んで襲いかかるとか、弱味を握って脅すとかそんな真似は。 ハル先輩が男にモテるのは、ある程度は仕方ないのだ。だってそれだけ綺麗で可愛いから。 問題なのは、どういう相手からモテるかだ。黒野は、心配いらないだろう。例えて言うなら、望月みたいなもんだ。あいつを誉めるみたいで嫌だが、自分の欲望よりも、ハル先輩の幸せを考えられる人間。そんな風に見える。 なぜさっきの俺は、こいつにあんなに強い危機感を覚えたのだろうか。

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