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special to me 1

紫音と勝瀬さんが来てくれてからというもの、部員の気合いもやる気も明らかに変わった。スキルの面では、たった1日のコーチでどうにかなる物ではないが、モチベーションが明らかに違っていた。それは、部員全体に言える事だったが、特に気合いが違ったのは黒野だ。危機迫った様な真剣さで練習に参加している。 紫音がつきっきりで見てくれたのが良かった様だ。黒野相手に本気で1on1をして負かしていたので、どうなるかと心配していたのだが、黒野にとってはいい刺激になった様だった。そういう指導方法もあるのかと密かに紫音を見直したものだ。 「椎名センセ。今日も居残り付き合って」 「おう」 気合いの入った黒野との居残り練習は、もはや恒例とも言える程になった。 紫音のやり方を真似て、本気で1on1をしてやろうかと思ったのだが、黒野は俺にはそれを求めない。「しいちゃんには負けたくない」と言って頑なに拒否されるので、手本を見せたり、黒野のプレイを見て改善点をアドバイスしたり。 そういう訳であまり動かないので、最後の方には黒野はTシャツに汗だくなのに、俺はベンチコートを着込んでいるという変な対比が出来上がっている。 「黒野、そろそろ上がろう」 体育館を居残りで使えるのは20時までと決まっている。警備員の見回りがその頃に来て、施錠確認をするからだ。 「これ、決めたらね」 黒野が鮮やかに、でも力強くダンクを決めた。 俺は、身長がないから、ダンクは苦手だ。ジャンプ力はあるのでできないことはないが、かなりギリギリで余裕も鮮やかさも皆無。故に、ディフェンスのいないゴール前が空の場合のみしかできない。試合中そんな事はあり得ないので、ダンクシュートは俺にとっては使える技ではない。 だが、力強く男らしいダンクには、やはり憧れる。素直に格好いいと思う。 「ゴメンしいちゃん。寒かったよね?」 「お疲れ。別に寒くない」 「でも、12月だし、今日寒いし。手とか冷たいんじゃない?ほら、俺の手温かいっしょ?」 黒野に手を取られる。少し汗ばんだ、でも確かに温かい手だ。ホッカイロみたいな。 「ほかほかだな。あれだけ動いてれば、そうなるか」 「気持ちい?」 「絵的には気持ち悪いと思うけどな」 男子生徒に両手を握られる男性教師というのは、ビジュアル的にあまりよくないだろう。ここには黒野と俺以外いないのだが。 「大丈夫。俺達なら絵になるって。だって金と銀だよ?」 「色の問題じゃないだろ。ともかく、もういい」 「えー。まだ離したくないな」 「離せ」 「えー」 変な駄々をこねて手を離そうとしない黒野の手を振りほどく。 「しいちゃんひどー」 「ふざけてないで片付けるぞ」 まだブーブー言っている黒野には「モップをかけておけよ」と指示して、ボール籠を押して体育倉庫に向かう。 最近黒野は上機嫌だ。いや、上機嫌というのは少し違うのかもしれないが、前にも増して俺に懐いている。そして、俺自身も、黒野に少し甘過ぎる。練習だって毎回は付き合えないものの、出来るだけ付き合ってやる様にしているし、黒野にバスケ関連の事をねだられたら、出来るだけ叶えてやりたいと思っているのだから。 「しいちゃん」 「モップ終わったか?」 「ゴール下だけだからね。もう終わった」 「そうか。じゃあ、早く着替えて帰れ。風邪引くぞ」 「しいちゃんは?」 「少し残っていく」 「そっか。ねえしいちゃん」 早く帰れと言っているのに、何故か黒野は埃っぽい体育倉庫に入ってきた。 「俺、前ちょっと悩みがあるって言ってた事あったじゃん?」 「ああ。そうだな」 結局何だったのか分からず仕舞いだったが、今は調子もいいし、悩みがある様にも見えないし、もう殆ど気にしてはいなかった。 「その悩み、しいちゃんに教えてあげよっか?」 今は鳴りを潜めているとは言っても、またいつぶり返して調子を落とすともしれない。このチームのエースたる黒野が何に悩んでいるのかは、知っておきたい。確か、俺に言いたいことが沢山あるとか言っていたし。 「話す気になったんだな」 「うん。まあちょっと焦りがあって」 「焦り?」 「うん。でも、一つお願いがある」 「何だよ?」 「俺の事下の名前で呼んでくれない?」 「下の名前?何でまた」 「呼んで欲しいから。だって、青木さんの事は下の名前で読んでたでしょ?」 「紫音は関係ないだろ」 「ほらまた。ずるいよ、あの人ばっかり。…もしかしてさ、しいちゃん俺の下の名前知らないんじゃないの?」 「何言ってるんだ。知ってるに決まってる」 部員は全員、フルネームで覚えている。顧問として当然だし、試合の参加申込みの名簿だって、何回書いたか分からないくらい書いてるのだから。 「じゃあ言ってみてよ」 「颯天だろ?」 「………ね」 「?」 「スッゴクいいね!もっかい呼んで?」 「だから、颯天…」 「ヤベー!」 こいつ、一体何を言ってるんだろう。そんなに下の名前で呼ばれるのが好きなのか?でも、部員からは結構下の名前で呼ばれていなかったっけ? 「…で、悩みっていうのは?」 「『颯天君教えて』って言ってくれたら教えてあげる」 「お前な…」 「ゴメンゴメン。冗談。ね、ちょっと恥ずかしいから、目閉じてて」 「目?なんで?」 「いいから。そうしないと教えてあげない」 「……」 変な要求だと思った。目を閉じないと言えない事なんてあるのだろうか。 …例えば、「実はカツラなんだ」とかで、目を開けたらカツラを外した黒野が立ってる…みたいな? そういう事なら、あり得る。目を閉じるくらいお安い御用だ。 「分かった。これでいいか?」 言われた通りにすると、黒野が身動ぎする気配がした。 動くって事は、まさか俺の想像が本当だったりするのだろうか。もしそうだったら、どうしたらいいだろう。正直この年齢で若ハゲだとしたら、可哀想にと思ってしまうが、そんな事を引いても余りある程に黒野は格好いいし、男として充分魅力的だから、それを伝えて…。 そこまで考えた所で俺の脳は停止した。 黒野に両肩を掴まれて、何だ?と思ったのも束の間、唇に温かくて柔らかい物が押し当てられたからだ。それが何かなんて、目を開けなくても分かる。余りに驚いて、一瞬の隙が出来た。唇に、濡れた感触が。 「いて!」 加減出来ず思いっきり突き飛ばした黒野の背中は跳び箱にぶち当たったらしく、ドンと結構派手な音がした。 「しいちゃん、意外と力あるね」 「ふざけるのも大概にしろ!」 俺は誂われたのか。 本気で心配して、相談に乗ってやろうとしていた自分がバカみたいではないか。 「ゴメン。怒らないで」 「真剣に話を聞こうと思ってたのに」 「俺だって真剣だよ。真剣に、しいちゃんにキスした」 「そんなん、真剣にされて堪るか!話す気がないなら、もう帰れ」 「酷いな。しいちゃん、俺本気。悩みってそういう事。ね、分かるでしょ?」 「意味がわからん。もう、今日は帰れ。俺も今日はお前の話を冷静に聞く気になれない」 いつになくしゅんとした黒野が「分かった」と帰っていく後ろ姿を見て、少し言い過ぎたかと胸がズキっと痛んだが、それ以上に頭の中が混乱していて、残業する気も起きずに家に帰った。 少し頭が冷えたら、黒野が何を言いたかったのか分かりそうになって、でもそれを認めたくない自分が必死に否定して、それを繰り返していたらよく眠れない内に朝になっていた。 23時頃にかかってきた紫音からの電話には、何かボロが出そうな気がして出れなかった。

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