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special to me 7

「しいちゃん大丈夫?」 「あ…ああ。悪い。また変な所…」 「この先ホテル街でしょ?あんなのにホイホイ付いていっちゃダメだよ」 ああ。 俺はまた情けない姿を見せてしまった。 助けて貰って心から安堵しているのも、本当情けない。でも、黒野が来なかったら、俺はあのままどこかに連れ込まれていたのだろう。男の言う通り、まともな抵抗一つできずに…。 「これ見てよ。すげー、笑える」 黒野に差し出されたのは、さっきの男から奪った画像だろう。さっきの男が、あろうことかセーラー服に身を包んで、しかも女の子みたいなポーズまでとっている。化粧もして、カツラを被っているが、確実におじさんだ。 余りに間抜けというか滑稽で、少し緊張が解れた。こんな男を、あんなにも怖いと思ってしまうなんて、普通に考えておかしい。でも、そうなのだ。俺はおかしいのだ。普通じゃない。おかしい。 「キモいよねー。あんなんただの変態のおっさんだよ。若いしいちゃんの方がきっと力だって強い。だから怖がらなくても大丈夫」 「そうだな…」 「でも、怖いんだ?」 「………」 「しいちゃん、あーいう事されるの怖いんだ」 「何で…」 何で黒野にはそれがわかるのだろう。抵抗できるのにしないのを見れば、さっきの男みたいに、『本当は嫌じゃない』と解釈するのが普通なのだ、きっと。なのに、どうして黒野は…。 「分かるよ。しいちゃんの顔真っ青だし、身体動かないんだろうなーって事くらい」 若い女性でもあるまいし。 あんな事されて、身体が竦んでしまうなんて、本当に出来損ないだ。 「こんな格好悪いとこばっか見せて悪い」 もうそこまで見透かされて、強がる事も、虚勢を張る事もできない。 黒野は、俺に憧れてたと言ってくれていたが、本性はこんなんだと知ってきっとガッカリした事だろう。わざわざ俺のいる高校にまで追いかけてきてくれたっていうのに…。 「俺さ、なんとなくしいちゃんがそうなった理由分かるよ。ほら、『俺達』って、子供の頃天使みたいじゃん?しいちゃんは今でもそうだけど。で、まあ俺も、ガキの頃はかるーく嫌な目に遭った事もある訳。軽くね。しいちゃんは俺より天使度高いから、子供の頃とかヤバかっただろうと思うし。トラウマになるよね、あーいうのってさ」 黒野は俺の事情を察している様だ。それはそれでいたたまれないが、今更否定もできない。それに、流石に1年以上も変態に囲われていたとまでは思われていないだろう。もしそれがバレたら、いくら厚顔無恥な人間でも消えてなくなりたくなるだろう。 「何にしても、助かった。ありがとう」 「どういたしまして。えへへ、しいちゃんにそう言われると照れるな」 鼻の頭をかいてはにかむ黒野は、年相応の子供らしい表情で、俺が知っているいつもの黒野だった。今日とか昨日の黒野じゃなくて、本当にいつもの。 やっぱり黒野は、何もなかった事にするつもりなのだろうと思った。それでほっとしたら、引き摺られる様に恐慌状態だった気持ちも落ち着いてきた。胸のムカつきもひいていく。 そもそもよく考えれば、黒野にはキスされたり、下半身に顔を押し付けられたりという最低最悪な場面は見られていないのだ。ただ、肩を抱かれている所を見られただけで。それだけでも格好悪いが、一番気持ち悪い場面は見られていないと思えば少し気持ちも楽になった。 「そう言えばしいちゃん今帰り?会議長かったんだね。にしても、こんな路地裏入らない方がいいよ?」 今帰りではないが、なんとなく本当の事は言いたくなかった。ただ、駅に用事があってとでも言えば済むことだが、俺は嘘が下手だから、黒野に自分の心の弱さまで見透かされてしまいそうで。一人でいられなくて家を飛び出したなんて、そんなの子供みたいで知られたくない。 「そういう黒野こそ、なんでこんな所にいるんだ?」 確か黒野はもっと学校寄りの駅を使っている筈なのに。 「ランニングしてた。表通りは走り辛いから、いつも裏通り走ってんの。学校から家まで走って帰るってのはよくやるんだけど、今日はなんかモヤモヤしてて走り足りなくて。気づいたらこんな所まで走ってたんだけど、でも偶然会えて本当によかった。運命の女神様のいたずらかな?なんちゃって」 ペロッと舌を出す仕草も、黒野なら様になる。黒野は男前なのに、可愛い所もある。愛嬌というのだろうか。そういう所がモテる所以なのだろう。そして、紫音とも似ている所だ。 「しいちゃん家どこ?送っていくよ」 「いや、いい」 「えー。でも心配」 「流石に俺にもプライドがある」 「そっか。そうだよね。じゃあ大通りまで一緒に出よう。俺ももう帰るから」 大通りに出るまでの道すがら、黒野はいつもの明るい調子で冗談を言って、何度か笑わせて貰った。 もう黒野に対して威厳とかは皆無だが、裏通りを走るのはやめろとだけは言った。助けられてばっかりの俺でも、一応生徒を守るのが義務だ。危ない通りを走っているのを知って放置はできない。 黒野はいつもの軽口もなく素直に頷いた。 ついさっきまで散々な目に遭っていたのが嘘の様だった。家を飛び出した時の心理状態よりも今の方がいいのではと思うくらいの平常心だった。 流石に不快感はあって、口の中や顔を今すぐに洗いたいと思ってはいるが、恐怖やショックは際立っていなかった。 そう思うのはアドレナリンが出ているせいで、きっともう少し時間が立てば、あの中年とのやり取りもトラウマの一つとなってしまうのだろうが。 だけど、それでも、紫音を失うかもと不安になったり、紫音の気持ちを疑ってみたりとかして悶々と眠れぬ夜を過ごすよりもマシなのかもしれない。 紫音を失うなんて、考える事すらしたくない。それは、あの変態の痴漢に襲われる事よりも、今の俺にとっては恐ろしい事だから。

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