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gently than anyone 3

先の宣言通り支払いは俺がして、二人して固い表情のまま店を出た。 今日はもう気分が乗らないし、頭を冷やさないとハル先輩に暴言を浴びせてしまいそうなので、ここで別々に帰った方がいいのかもしれない。そう思ったが、そうしたら取り返しのつかない事態になりそうな予感がした。 ハル先輩がここ最近ずっと様子がおかしかった事もやはり、気になるし、例えカッとなって暴言を吐いてしまったとしても、ちゃんと話をするべきだと思った。 「ハル先輩のマンション行ってもいい?」 「え……うん」 ハル先輩自身もここで別のタクシーを拾おうと考えていたのか、少し驚いた様な顔をして、でも頷いた。 タクシーの中でも殆ど無言だった。取り合えず話はマンションに着いてからだ。 ハル先輩の部屋は、今日もまた乱雑だった。 普段は、『やっぱりハル先輩も男なんだなぁ』と思う程度だったが、今日は何故か胸騒ぎを覚えた。今日はただ乱雑という感じではなく、一応分類分けされて、敢えて床にそれらを並べている様な感じがしたのだ。引き出しの中の物なんかも全部出してある様な感じだ。こんな事をするのは、部屋を整理しようとしている時か、もしくは―――。 「ハル先輩、何これ?」 「…ちょっと、引っ越そうと思ってて」 そう、引っ越し。これは荷造りする時の状況だ。 「なんで?いつ?どこに?俺何も聞いてないけど」 「ごめん。急に決めたんだ」 「で、いつ、どこに引っ越すんですか?」 「今週の日曜。次の家はまだ見つかってないから、取り敢えず実家に帰る」 なんだそれは。普通引っ越しって、次に住むとこありきじゃないのか?それもなく引っ越すなんて、まるでこの家にいるのが嫌みたいじゃないか。 「何でそんな突然引っ越すんですか?この部屋、結構二人の思い出あるのに」 ここは、俺と4年間一緒に住んだ部屋だ。今でも二人で会うのはこの部屋でばっかりだし、俺にとっても、ハル先輩にとっても落ち着く場所だった…筈なのに。 何か凄く胸の奥がザワザワする。ハル先輩にはもうこの家は落ち着く場所でも幸せな思い出の詰まった場所でもなくなったとしたら…? 「…ちょっと、色々あって」 「色々って何ですか?」 脳裏を掠めた嫌な予感を振り払う様に、大きな声を出した。ハル先輩は少しビックリした様な目をして、でもそれはすぐに逸らされた。 「色々は、色々だよ」 「教えて下さい」 「いいだろ別に」 「いい訳ないじゃないですか。俺、一応彼氏ですよね?」 「そうだけど…」 「けどなんですか?そもそも、今日俺がこの部屋見たら、引っ越しのこと絶対気付かれるって思いませんでした?何でって聞かれるの想定しませんでした?俺がちゃんと理由聞かないで誤魔化されると思ってたんですか?」 「今日来ると思わなかった」 「は!?何で?デートの後はいつも家に寄ってましたよね?しかも、今日クリスマスイブですよ?普通に考えて行くでしょ?何?何なんですか?俺なんかしました?何でそんなに拗ねてるんですか?」 「拗ねてるとかそんなんじゃない」 「じゃあ何なのかちゃんと言ってください!」 本当に意味が分からない。何でそんな急に素っ気なさすぎる素振りをされなきゃいけないのか。 「……なんだよ急に。もうどうでもいいんだろ?」 「どうでもいいって、どういう意味ですか?」 「もう俺に興味ないんだろ」 「……は?」 「もう誤魔化すなよ。気ぃ遣って高い食事とか奢らなくてもいいから。罪悪感とか、別に感じなくてもいいから!」 ハル先輩が珍しく激した調子で言った。 でも、誤魔化すとか、罪悪感とか気を遣うとか、何の事? 「………あの、ハル先輩?俺、ハル先輩が何言ってるかよく分かんないんですけど」 「だから、もう俺の事どーでもいいんだろ?気にしてるフリしてくれなくてもいい!」 どうでもいいってそういう事?俺がハル先輩に興味ない?どうでもいい?何でそんな事考えるようになった?俺のどこにそんな片鱗があった? ついさっきまで頭に血が登っていたのが嘘みたいに俺の頭は冷静に働き始めた。 ハル先輩が感情的になることって、そんなにない。だから、これはかなり大事な局面だ。カッとなってる場合ではない。間違った対応をしてはいけないのだ。 「ハル先輩は何か勘違いしてるみたいだけど、取り敢えずこれだけは言わせて。俺は前と変わらずハル先輩の事大好き。愛してます。興味ないとか、どーでもいいなんて、あり得ないです。俺はハル先輩の事ばっか考えてる。だって俺にとって何よりも大事なのはハル先輩なんだから。それ以上大切なものなんてないから」 感情が昂ってるハル先輩を諭すように丁寧に言った。そして、言い終えた時、ハル先輩の瞼が伏せられて、見間違いじゃなきゃ、涙が――。 「ハル先輩!」 慌てて肩を抱き寄せたら、ハル先輩の身体からは崩折れるみたいに力が抜けた。 「どうしたの?ちょっと会わない内に、何でこんなになっちゃったの?」 柔らかな髪の毛を撫でながら限りなく優しい声を出した。 でも、この状況には俺にもトラウマがあって、本当は何があったのか詰問したい。気になって仕方がない。俺がハル先輩の変化に気づかないフリをしていた間に、もしかしたらまた大変な事が起こっていたのではないかと思うと居ても立ってもいられない。よく考えれば、中谷さんがスパイできるのは学内だけだし、一緒にいない状況だってたくさんある筈だ。それなのにそれに頼りきって安心していた俺がバカだったのだ。 でも、今はまだ問い詰める時じゃない。ハル先輩の取扱い…なんて言うのは失礼な言い方だが、繊細で地雷を沢山抱えたハル先輩への接し方は、長年培ってきたのだ。今は優しさだけを与えて、無理強いはしないであげないといけない時だ。

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