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gently than anyone 7
「ハル先輩、練習しよう!」
「練習…?」
「そう、練習!変な奴に襲われた時の練習」
俺の肩口から顔を上げたハル先輩の顔は、疑問符を浮かべていたが、涙に濡れてはいなかったから少しほっとした。あんまりにも落ち込んでたら、『練習』所ではないからだ。
この提案は、本当に『練習』の意味も半分くらいあったが、残り半分は気を紛らせたいと思っての事だった。
「俺の事、変態の暴漢だと思って!行くよ?」
言うと同時にすぐさまハル先輩の両手をとった。
戸惑っている様なハル先輩は無抵抗だ。されるがまま。
「抵抗してみて。しないと、先進めちゃいますよ?」
「練習って、そういう事?紫音相手じゃ意味なくないか?」
「こーいうのは反復練習が大切なんです。そしたら、考える隙もなく身体が動くようになる…ハズ」
「でも…」
「遠慮は要りませんよ。力いっぱい振りほどいて。そうしないと乳首舐めちゃいますよ?」
肌蹴た上半身からは、さっきから非常に美味しそうなピンク色がチラチラ見えて、俺を誘ってくる。しかも、こんな両手の自由を奪うなんてシチュエーション、煽られない訳がない。でも、あんな最低な事言った後だ。流石に強引に事を進めるつもりはない。あくまでこれは『練習』で、ハル先輩に自信を取り戻して貰う為の事だ。
なんてそんな事を考えていた時、ハル先輩が両手を振った。さっき俺が言った通り、遠慮なく、乱暴に振りほどいた。
俺が考え事をしていたせいもあって、ハル先輩の両手の拘束はいとも簡単に外れて、ハル先輩もちょっと驚いた顔をしていた。
「今のいいですね!相手が油断した隙を狙うって感じもよかったと思います。そのぐらい強く揺るぎなく暴れたら、大抵の男は諦めますよ」
「そうかな」
「じゃ、もう一回。今度抱き付くから、逃げてくださいね」
宣言通りにガバッと抱きつく。柔肌がピッタリと張り付く。あー、俺も上の服脱いでおけばよかった。そうすれば布ごしじゃないハル先輩の肌の感触をもっと楽しめたのに。
いやいや、ダメだダメだ何考えてるんだ。これは練習。ハル先輩の為。
……そんなこんなで葛藤しながらも真面目にハル先輩が暴漢から逃げる練習を続けて、段々ハル先輩も抜け出しかたが上手くなってきた。コツを掴んだというのか、力の入れ方を学んだというのか。
ハル先輩はずっとバスケ選手だっただけあってやっぱり非力ではなかった。俺相手だと、俺が本当に本気を出せばハル先輩がいくら暴れても組伏せられるだろうが、俺くらいでかくて力も強い男はそうそういないから、大抵の奴にはハル先輩の力で対抗できると思う。あとは、ハル先輩の心の問題なので、現実的にどうなのかは分からないが。
「ハル先輩、大分いい感じになりましたね」
「うん、ありがとう」
「どーいたしまして」
実際にこの練習が役立つか否かは置いておいて、ハル先輩の表情は明るくなったから、目的の半分は達成できたと思う。ハル先輩を落ち込ませたのは俺の責任だから、まるで誤魔化したみたいなやり方だったかもしれないけど、ハル先輩はいくら俺が全部悪いって言っても、それでも自分を責めてしまう質だから、誤魔化しでもなんでも、気持ちを切り替えて笑って欲しかった。
やっぱ身体を動かす事って大事だよな。おまけにスキンシップしながら。
そう考えると仲直りエッチと効果は同等だったかもしれない。エッチと違ってあっちの方は満たされないけど、今日はいいのだ。そんな事よりも今日は傷ついたハル先輩を優しく撫でて、抱き締めて眠りにつきたい。
まあ、ハル先輩を抱き締めたら俺はきっと元気になってしまうだろうけど、それはハル先輩が寝た後にコッソリでもいいし…。
ってな事を考えていたら、ハル先輩が物凄く近くに寄って来て、俺の頬に手を伸ばした。
「紫音、ここ…ごめんな」
暴漢役だった俺とハル先輩でちょっとした揉み合いになった時に、勢い余ってハル先輩の手が頬に当たったのだ。
「大丈夫ですよ、これくらい」
「うん…でも、赤くなってる。痛くないか?」
ドキドキドキ…。自分の心音が早くなっているのが分かる。だってこれ……。この近さ。そしてそっと頬に置かれた手。すぐ目の前にはシャツを引っ掻けてるだけという悩ましい姿の最愛の人。
ヤバイヤバイ。頑張れ俺の理性。
「ぜ、全然、痛くないですよ」
「よかった」
そう言ってほっとした様に頬を緩めたハル先輩に、俺は、俺の自制心はノックダウンした様だ。
離れて行く白い手を無意識に掴んで、口づけをした。
「ん……んん…っ」
ハル先輩のちょっと苦しそうで色っぽい声。
気付いたら俺はハル先輩の口内を貪ってた。ダメだ。こんなキスをしちゃ、歯止めが効かなくなる。止めないと。俺は今日ハル先輩を全身全霊で慰めると決めたんだから。
理性を総動員して唇を離すと、二人の間に唾液の糸が引いた。ハル先輩の赤い唇は、二人分の唾液でテラテラ光っていて、俺を誘ってくる。
いかん。煽られるな。
「ごめんハル先輩。つい、条件反射で」
目線を無理矢理唇から離して、ハル先輩の目を見たら、その瞳もちょっと潤んで俺を誘ってくるから、慌てて目を逸らした。
「?…別にいいけど」
「さ、俺、汗かいたし、ハル先輩もそんな格好じゃ寒いですよね?シャワー浴びちゃいましょ。ハル先輩先にどうぞ」
「え?」
「さあ、どうぞどうぞ。温まってリラックスして、今日はゆっくりしましょう」
疑問符を浮かべたハル先輩を脱衣所に誘導した。ハル先輩は何だかよく分からないという顔をしていたけど、そこまで連れていかれたら素直にシャワーを浴びる事にしたらしい。俺が脱衣所から出る前に服を脱ぎ出した物だから、慌てた。慌てて退散した。
ハル先輩がシャワーを浴びている間は、ともかく気持ちを落ち着ける事だけを考えた。
賢者だ。賢者になるのだ。今夜一晩、俺は賢者でいる。ハル先輩の傷を、優しさで包む僧侶になるのだ。心を無にして煩悩から解き放たれるのだ。
「紫音?何してるんだ?」
心を無に。心を無に。そう考えながら座禅をしていたら、シャワーから上がったハル先輩に声をかけられた。声をかけられるまで気づかなかった辺り、結構上手く座禅出来ていた気がする。
そう思って振り返った先には、ボクサーパンツに白いシャツだけを羽織って片手で髪の毛を拭くハル先輩の姿が――。
無になっていた筈の俺に、煩悩のシャワーが降り注ぐ。なんと悩ましい……!
「ハ、ハル先輩!なんて格好してるんですか!」
「え?ああ。お前が突然風呂に押し込むから、着替えなかったんだよ」
「早く!早くちゃんと上下きっちり服を着てください!風邪引きますよ!?」
「ああ、うん」
ハル先輩は寝室に向かった様だった。
頭を冷やさないと、煩悩がヤバイ。
そう思って浴室に駆け込んだ。
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