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into the night 1

12月26日の今日は、高校の2学期の終業式だった。 今年は27、28日が土日なので、実質明日から年末年始の休みが始まるので暫くは部活もない。 紫音から、年末年始は北海道に旅行に行こうと誘われた。土日は紫音は今年最後の試合が残っているし、日曜は引っ越しがあるので、出発は週明けの29日からだ。 クリスマスイヴは、俺のせいで台無しにしてしまったので、久しぶりにずっと紫音と一緒にいられる正月が凄く楽しみだ。 俺は物事を悪い方に考えるのが得意らしい。紫音が浮気してるとか、俺の事好きじゃなくなったとか、そんなの冷静に紫音の態度を見ればあり得ないって分かるのに、あの時の俺は完璧にそう思い込んでいた。 その悪い想像は勝手に膨らんでいって、果てには紫音は俺を振る気なんだ。高い店で高い食事を奢って、それで俺との関係を清算したいんだとまで思う様になっていた。 あの時の気持ちは、思い出すだけで胸が張り裂けそうだ。大袈裟だけど、この先どうやって生きていけば良いのだろうかとまで考えた。 中谷先生の事は、結局紫音に聞くことはできなかったけど、きっと何かの行き違いだ。紫音がそんなナンパみたいな真似する筈ないし、あの店には確かに連れていったみたいだけど、それだって俺の為だと言ってくれた。 2人がどういうきっかけで仲良くなったのかは、この際考えない事にする。俺は紫音の言葉を信じる。中谷先生に何を言われても、紫音が俺だけを好きだというその言葉を信じる事にしたのだ。何と言われても…。 「椎名先生ズルいですよ。ただの友達なのに、イヴに紫音君と過ごしたんですって?」 職員トイレで手を洗っている時に入ってきた中谷先生が唐突にそう言い放った。 その口元には、いつものアルカイックスマイルすら浮かべていない。口調は穏やかだけど、あまり機嫌はよくなさそうだ。 「どうして知ってるんですか?」 「紫音君に聞いたからですよ。恒例なんですって?」 「…まあ」 「いいですねぇ。毎年紫音君とクリスマス過ごせるなんて。分かってますか?」 「?」 「紫音君とイヴを過ごしたい人間が、この世の中にどれだけいるか。その権利を毎年の様に手にできる事がどれだけ光栄な事か」 「…そうですね」 「紫音君がイヴを過ごすのに相応しい相手って、もっと他にいる気がしますけどねぇ」 「………」 俺は相応しくないと言いたいんだろう。 そんな事、言われるまでもなく分かってる。ちゃんと自覚してる。でも、それでも紫音が俺を選んでくれて、俺を一番大切だとまで言ってくれたから。だから、もう卑屈な事は考えない事に決めた。自虐と卑屈は、いつしか俺の思考回路を乗っ取っていて、そうするのが平常みたいになってしまっているのだが、なるべく追い出す様にするとそう決めたのだ。 「だって、イヴを過ごすなら、紫音君の事が好きな俺の方がまだ相応しい気がしちゃうなぁ。紫音君の事も楽しませる自信あるし…」 確かに俺は楽しませる所か怒らせてばかりだったし、挙げ句には凄く気を遣わせて、しかも紫音のその優しさに完全に甘えてた。 でも、紫音はそんな俺がいいと言ってくれてるんだから、それでいいのだ。自信を持て。卑屈になるな。 「椎名先生は、紫音君の事どう思ってるんですか?」 何とも直球な質問だ。中谷先生は完全に俺をライバルと見定めているらしい。 付き合ってる事は隠すにしても、俺も紫音を好きだと言ってもいいんじゃないだろうか。いや、でもそうしたらやっぱり変に勘繰られるだろうか。写真週刊紙にも追いかけられる程有名人な紫音だ。変な事を口走って、それを中谷先生が悪意をもって吹聴したりしたら、途端に紫音に変な噂がまとわりついてしまう。爽やかさが売りのスポーツ選手である紫音に同性の恋人がいたりしたら、イメージダウンは必至だ。 でも、紫音の事好きじゃないみたいな素振りを続けるのも限界だ。 こんな風に嫌味を聞かされるのも、もう限界。 「ご想像にお任せします」 「……へえ。そうですか。因みに、紫音君は貴方の事、ただの先輩って言ってましたよ」 そうだろう。紫音だって、この人に本当の事を打ち明けるつもりはないのだ。そこまで信用している訳ではないのだ。世間体の為には仕方のない嘘だ。分かっているけど、そう言ってる紫音を想像すると少しへこむ。前に俺が同じ様に答えて紫音が『落ち込む』って言ってた気持ちが分かった。 「不満そうですね?」 「いえ…」 中谷先生の視線はさらに険しくなった。ずっと紫音との事を否定していた俺が、ある意味認める発言をしたからだろう。本当はあんな事言うべきじゃなかった。でも、この先ずっと言われっぱなしなのは嫌だった。俺だって、紫音が好きなのだから。 「それじゃあ、私はこれで…」 話も途切れたので、まだまだ言いたい事がありそうな中谷先生を残して廊下に出た。 まるで逃げるようだが、争いは好きじゃない。できる事なら回避したい。あんな風に敵意剥き出しで睨まれるのは、凄く居心地が悪いのだ。

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