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into the night 3
「椎名先生、飲んでます?」
高宮先生は今日も元気いっぱい皆に酒を勧めて回っている。
終業式のこの日は、職員の忘年会の日でもあった。
なぜあんな簡単にキスをされてしまったのか。俺が考える事はそればかりで、あの時の状況を反芻しては反省点を探し出し、自責していた。
「なんか元気ないですね!明日から休みなんですから、景気よく、ぱーっと飲みましょうや!」
「はあ、頂きます」
高宮先生に並々注がれたビールを煽ると、身体が内側から熱くなって、なんとなく気分が良かった。
酔っぱらいたいと思ったことはこれまであまりなかったが、今日は酒の力を借りたい気分だった。そうしないと、自分を責める気持ちしか沸いてこないから。
「いい飲みっぷりじゃないですか!」
「今日はビールが美味しく感じます」
「いいですね!飲みましょう飲みましょう」
高宮先生のノリに釣られて、1次会なのにかなり飲んでしまった。
ビール瓶を何本開けただろうか。
高宮先生は顔が真っ赤だ。もし、そういう体質なら、俺も同様に真っ赤になっていただろう。
明確な酔っぱらってるサインが出るのは、俺からしたら羨ましい。顔を真っ赤にした人間に必要以上の酒を勧める人はいないからだ。
「椎名先生はまだまだ行けそうれすねぇ」
「いえ、もうかなり回ってますよ」
「またまたぁ~」
高宮先生、津田先生の盛り上げコンビに囲まれて、いつもなら自制していたラインを超えて飲んでしまった。
酒に溺れる人間の気持ちが少しだけ分かる気がする。思考が鈍って、一時的でも、嫌な事を考えずに済むからだ。
今日だけだと言い聞かせて、勧められるがままにぐいぐい飲んだら、なんだか楽しくなってきて、高宮先生の下らないギャグが面白くて堪らなかった。
*
「椎名先生、あまり飲み過ぎないで下さい」
志垣先生にそう言われたのは、2次会の店に行く途中でだった。
酒に飲まれる俺を嘲笑う様でもあり、心底迷惑そうな顔だ。
俺はちゃんと自分の足で歩けているし、志垣先生に迷惑をかける様な事もしていないのに。
「そんなに飲んでません」
酒の力で気が大きくなっているせいか、不満が口から出た。普段なら口答えなんて絶対しないのに。ああ。でも、口答えしたら、なんかスッキリした。いつもいつも説教ばかりしやがって。こんな時まで煩いんだよ。
「飲んでますよ。いつもよりピッチが早い」
いつもの俺の酒の飲み方を見ていたのか?どこまで人を監視すれば気が済むんだか。
「そんな事ありません。普段通りです」
こうやってイチイチ否定してる時点で俺はいつも通りじゃないのだが、酔っぱらっている事を気づかれたくなくて、わざとシャッキリと歩いた。
「何にせよ自制してください。貴方が酔っぱらって破廉恥な真似でもしでかしたら、指導者の私の責任にもなるんですから」
破廉恥な真似?
俺が酔っぱらって素っ裸になるとでも言いたいのか?何で俺が。それをしそうなのは、もっと他にもいるじゃないか。失礼だが完全にフラフラしてる高宮先生とか。俺は酒を飲んで露出する癖も趣味もない。
淫乱だの破廉恥だのと、この人は俺を何だと思ってるんだろう。本当に腹が立つ。
「破廉恥な真似なんて、する筈ないじゃないですか」
「だといいんですがね」
俺の事何も知らない癖に見透かしたみたいな目で一瞥された。
せっかくいい気持ちで飲んでいたというのに、この人のせいで台無しだ。
悪いことは続く物で、2次会では中谷先生の隣の席になってしまった。
志垣先生の発言にも苛ついていたし、これはもう飲まずしてやっていられるかという状況だ。
前後不覚になるまで飲むつもりはないから、軽めのカクテルばかりを頼んだ。飲まないと間が持たないし、鬱憤晴らしの為にも今の酩酊状態を保っておきたくて、ちびちびずっと飲み続けた。
「今日はソフトドリンクじゃなくて大丈夫なんですか?」
「ええ。明日休みなので」
「そうですか。…明日の試合行きますか?」
「いえ」
中谷先生の言う明日の試合とは、言わずもがな紫音の試合の事だろう。明日は部活がないので観に来てと紫音に誘われていたが、ちょうど引っ越し業者が段ボールを持ってくる時間と被っていた為、観に行けないのだ。その後は荷造りもあるし、週明けには会えるからいいかと思っていたが…。
「俺行くんです。また紫音君に食事に誘われたし」
「……そうですか」
動揺するな。紫音は、中谷先生を友人だと思っているから、何の気なしに誘っただけだ。そうに違いない。
俺が試合もデートも断ったから、時間が出来たから、たまたま声をかけただけだ。だから、紫音には何の意図も下心もないのだ。
「でも、こんな頻繁に誘われると期待しちゃいますよね」
でも確かに中谷先生の言うように頻繁だ。紫音は俺と違って友人も結構いるし、チームメイトとも上手くいってるみたいだった。時間が出来たからって、わざわざ知り合ったばかりの中谷先生ばかりに声をかけるのはどうしてなのだろう。
居心地が良いから?凄く気が合うから?一緒にいて楽しいから?
でもそれって、凄く嫌だ。紫音が今は中谷先生の事何とも思ってなくても、好きになる要件が揃ってるって事じゃないか。
はたして俺は、紫音にとって居心地のいい相手だろうか?気の合う相手だろうか?楽しいと思ってくれているのだろうか…?
「あれ?椎名先生、どこに行くんですか?」
「…ちょっとトイレへ」
「あ、そうですか。行ってらっしゃい」
中谷先生は昼間の不機嫌はどこへやら、何時もの穏やかな笑みを浮かべて手を振った。
きっと紫音の前でもニコニコ愛想を振り撒いているのだろう。
俺はどうだ。紫音の前であんな風に笑っていたっけ。
トイレの手洗い場の鏡に写る自分の顔をまじまじと観察した。仏頂面だ。可愛げもない。
紫音は俺のどこをそんなにいいと言ってくれるのだろう。
さっきまで楽しかった酒が、今度は別の方向に作用しているみたいだ。
なんだか凄く悲しい。
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