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into the night 4

俺は正直言って自分の価値がよく分からない。でも、いつも紫音が俺を見てくれていて、俺が大切だと言ってくれて、優しくしてくれて、愛をくれて。 それで辛うじて価値ある存在だと思わせてくれている。 俺は自分の身体を他人に好き勝手される事の虚しさを知っていて、それを諦める事も知っている。 『諦めないとやっていられなかった』なんて言うと聞こえはいいが、つまり俺は自分の身体に価値がある事を諦めたのだ。 まだ幼い頃、痴漢や変質者によく遭う俺に、母は『自分の身体は自分だけの物で、とても尊いものだから大切にしなければ』と教えてくれた。 幼い頃は何度痴漢に遭おうと、変質者に襲われようと、今と同じ様な気持ちには決してならなかった。根底に母の教えがあったからで、俺自身もそれを当然の事と思っていたからだ。 でも、あの凌辱の日々の中で、その考えは否定された。否定したのは、自分自身。 どれだけ嫌だと思っても、抵抗しても毎夜暴かれる日々。したくない行動を強制され、心にもない事を当たり前の様に言わされる日々。 そんな終わりの見えない地獄の中、『自分が尊い』なんて思っていたら、益々苦しいだけだ。 だから、俺は自尊心を棄て、自分の身体を諦めた。差し出した。他人が好き勝手してもいい、価値のない物に貶めた。 俺は今でも、そこからどう這い上がっていいか分からない。 堕ちるのは簡単でも、上るのは難しい。 元の正常だった価値観がどういう物だったか思い出せない。 あれが起こるまでは確かに持っていた自分を敬う気持ちを、どうしても取り戻せない。 普通に育ってきた人は当たり前に持っているであろうそれが、俺には欠けたままなのだ。 俺は紫音のフィルターを借りて辛うじて真っ当な人間の振りをしてるだけだ。 紫音が俺に価値を見出だしてくれてるから、こうして道を逸れる事もなくまともに生きている。 だから、紫音がいなくなる事は、俺にとって死活問題なのだ。 それなのに、どうして中谷先生は紫音にちょっかいを出すのだろう。紫音の事を好きな女の子達も揃ってみんないなくなればいい。 この世界が、俺と紫音だけの世界になればいい。 ああ。それはいいな。 そうなれば、俺には何も恐れるものはなくなるし、自分の価値を取り戻せなくても、紫音が「大切だ」といつも囁いてくれたらそれだけで十分だ。それだけで―――。 「椎名先生、何してるんですか?」 聞き慣れた嫌味な声に我に返る。 俺は鏡の前でどれくらいの時間こうしていたのだろう。 「具合が悪いんですか?」 「いえ」 「貴方また性懲りもなく酒を飲んでましたね?」 「志垣先生には関係ないでしょう」 「迷惑を掛けないのならね」 「迷惑なんてかけてません」 「じゃあこれは?貴方が席を外してもう15分は経っている。中谷先生も心配していました。人に心配をかける事は迷惑じゃないんですか?」 「……ただ、腹を壊しただけです。ご心配かけてすみませんでした」 そう言って志垣先生の横を通り抜けてトイレを出た。志垣先生の何か言いたげな視線を背中に感じたが、無視した。どうせ嫌味か説教だろう。 よりによって志垣先生と中谷先生の二人が心配なんてしてるものか。きっと、潰れてたら嘲笑ってやろうとか思ってるだけだ。 そんな事を考えながらも、『俺は一体どうしてしまったのだろう』と思っている自分もいる。 卑屈になるのはやめて、何があっても紫音を信じるって決めた筈なのに。それなのに、心に浮かぶのはマイナスな事と悪態ばかりだ。 きっと酒に逃げたのが間違いだったのだ。 度を越えた酩酊は楽しい事ばかりじゃないらしい。 心の奥底でいつも思ってた深層心理みたいな物も引き出してくるらしい。 それは俺にとっては地雷すぎる。 「あ、お帰りなさい。遅かったですけど大丈夫ですか?」 「ちょっと腹を壊しただけです」 ニコニコ顔の中谷先生には、志垣先生と同じ言い訳を使った。こう言っておけば、わざわざ追求される事もない。 「私も今頼む所なんですけど、椎名先生何飲みます?お腹下したなら、温かい…熱燗とかにしますか?」 「いえ。酒はもうやめて、ウーロン茶にします」 「そうですか。あ、グラス交換制なんで、これ飲んじゃって下さいね」 中谷先生が示すのは、3分の1程残ったカクテルだ。 喉も渇いていたしゴクゴクと煽ると、やけに喉がやけつく様な気がした。一気に飲んだせいかと、その時はあまり気にも留めていなかった。 * * 「椎名先生、潰れちゃいました」 「ありゃ?顔色変わってなくても、本当に回ってたんれすねえ」 中谷先生と高宮先生が頭上で繰り広げている会話は辛うじて耳に入るが、身体が怠くて怠くて、頭を挙げられない。 「なーんか、無防備でカワイイな」 「え!?津田先生、そっち?そっちの人!?」 「違うっての!椎名先生だからだよ。分かんないかねえ?」 「まあ、分かりますけど。…で、どうしますー?」 「私が送って行きますよ」 沈みそうな意識の中、その声に引き戻される。 「え、志垣先生?」 「一応目付け役ですから」 嫌だ…。志垣先生にだけは借りを作りたくない。後でどんな嫌味が飛んでくるかわからない。『言った通りでしょう』とかネチネチ言われそうだし。 でも、あれからウーロン茶を何口かしか飲んでないのに、どうして俺はこんな事になってるんだろう。何でこの身体は言うことを聞かないのだろう。 「志垣先生って、確か家正反対ですよね?私、椎名先生の家と近いですから、私が送って行きますよ。その方がタクシー代も勿体なくないですし」 「そんな…中谷先生に面倒かけられません」 「大丈夫ですよ。ついでですから」 「……すみません。私の指導力不足で…。迷惑かけます」 そんなやり取りが志垣先生と中谷先生の間でなされて、俺は中谷先生の荷物になる事が決定したらしかった。正直どちらにも借りを作りたくはなかったが、それでも志垣先生よりはマシなのかも……。 そう思ったのを最後に、俺の意識は完全に沈んだ。か

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