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break up SIDE 紫音 1
忘年会があると言っていた26日の夜、日付が変わってもハル先輩から連絡がなかった。帰ったら連絡するって言っていたのに。
つい最近変質者に襲われたと言っていたから、心配で仕方なくて、ついに夜中の2時に中谷さんに電話をかけた。
『椎名先生とは日付が変わる頃に一緒に帰りましたよ。もう寝てるんじゃないですか?』
開口一番、ハル先輩の事を尋ねた俺に、中谷さんにはそう答えた。
午前2時という非常識な時間帯に電話をかけてしまったのだが、中谷さんの声は弾んでいた。忘年会後なので、酔っぱらっているのかもしれない。
「ハル先輩、飲みすぎてませんでした?」
『そうですねぇ、今日は少しピッチが早い様でしたけど…』
「え!大丈夫かな…。駅から帰る途中で寝ちゃってたりしたらどうしよう!」
あんな可愛い人が路上で寝てたら、確実に誰かにお持ち帰りされてしまう。ハル先輩はそんなに酒癖は悪くないと思うが、でも可能性がゼロでない限り心配だ。
「俺、ちょっとハル先輩家行ってきます!」
『あ、ちょっと待って。大丈夫ですよ。今日はタクシーで帰って、家の前まで一緒でしたから』
「あ、そうなんですか?」
いつも電車で帰っていたハル先輩の事だから、今日も電車だと思ったが、なんだ、タクシーか…。
「はあー、よかった…」
一気に肩の力が抜けた。
いつもより飲んでいたらしいし、部屋に着いて俺に連絡をする間もなく寝てしまったのだろう。
これでひと安心だ。
この前の喧嘩の教訓を生かして、やたらと中谷さんを頼るのはやめようと思ったのだが、こんな事ならもっと早く電話をかけていればよかった。
やっぱ、スパイは必要だ。俺の精神衛生上、もうなくてはならない存在になりつつある。
『紫音君、こんなに夜更かししても大丈夫?明日試合なのに…』
「大丈夫大丈夫。今から寝れば5時間寝れるし。中谷さんのお陰で眠れます。ありがとう!」
『…椎名先生の事、そんなに大事ですか?』
「とーぜんです!俺の一番大切なひとですから!」
『ふふ…、なんか、その言い方って、恋人の事を言ってるみたいですね』
「え、あ、いやいや。そんなんじゃないですけどね」
いかんいかん。ハル先輩が職場で変な噂立てられたら困るよな。
それに、男もイケると思われたら、今より益々狙われてしまう。それは絶対に避けたい。
『そうなんですねぇ』
「ははは…。じゃ、俺そろそろ寝ます。夜分遅くにすみませんでした」
『いえ。紫音君の声が聞けてよかったです。いい夢見られそう』
「え、そ、そうですか?」
『はい。大好きなので。それじゃあ、明日の試合と食事、楽しみにしています』
「あ、はい。お休みなさい」
中谷さんはどうも俺の熱狂的なファンらしいが、あーいう事を男に言われるのはまだ慣れない。
でも、ファンだし、大事なスパイだし、邪険にはできない。
試合には、中谷さんは自分でチケットを買って見に来ている。俺と知り合う前からチームのファンクラブに入っていたらしくて、ホームでの試合はほぼ毎試合観に来てくれていたらしい。
中谷さんはスパイとして非常に役に立ってくれてはいるが、関係者席に通すのは、身内かハル先輩だけだと決めているから、俺から呼んだ事は一度もない。
そのハル先輩は、明日は引っ越しの準備があるとかで観に来られない。
ハル先輩が普段は部活で観に来られない土曜日は、中谷さんにハル先輩の学校での状況を聞くのが恒例になりつつあったので、何の気なしに中谷さんに声をかけてしまった。が、また中谷さんに事細かにハル先輩の事を教えて貰って、それが影響して俺が普段と違う行動を取っちゃったりして、それをまた誤解してハル先輩との仲が拗れる事だってあるかもしれない。
だから、この密会は明日を最後にしよう。
今日みたいに、心配で心配でどうしようもない時に頼るだけでも十分だ。
そんな事を考えながら、すぐにやってきた睡魔に身を任せた。
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