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break up SIDE 紫音 2
次の日、試合が始まるまでの間、俺は着信を待っていた。ハル先輩からの着信を。
無事なのは知っているけど、声が聴きたかった。俺の送ったメールを見て、電話をくれる筈だ。
でも、9時になっても10時になっても電話は来なかった。
深酒した様だし、まだ寝ているのかもしれない。そう納得して試合をこなした。が、試合終了後携帯を確認しても、ハル先輩からの連絡は入っていなかった。
おかしい。もう昼なのに。引っ越しの段ボールが11時にくると言っていたから、確実に起きている筈なのに。
ミーティング後、痺れを切らして電話を鳴らしたが、応答しない。
何かあったんだ―――。
俺はすぐさま控え室を飛び出した。
豊田さんに「どうした?」と言われた気がしたが、振り返る余裕もない。
タクシーに乗り込んで、暫くしてから携帯が鳴った。ハル先輩かと思って慌ててポケットから取り出したが、画面に表示されてるのは違う名前だった。
『紫音君?今どこ?』
「中谷さんすいません。今日のナシで」
『え?…どういう事?』
「急用で。本当すいません。また連絡します」
相手の返事を待つ余裕もなく電話を切った。他の相手と通話してる間にハル先輩から着信がないとも限らない。
試合会場からだったので、15分程でハル先輩のマンション前に着いた。釣銭を貰う時間すら惜しくて、「とっといて」とエントランスへ駆け出す。
1台しかないエレベーターを焦れったく思い、非常階段を駆け上がってハル先輩の部屋のドアノブを回した。
鍵は、かかっていない。
もしかしたら、侵入者がいるかもしれない。
逸る気持ちを抑えてそっと靴を脱いで、リビングへと繋がるドアを静かに開いた。
ドアを開いてすぐ、ハル先輩の姿は目に入った。
組み立てた段ボールの前に座って、脱力した様な無気力な顔をしていた。その表情に一瞬驚いたが、それでもその手には詰めようとしていたらしい書類を持っていたのでほっとした。
「ハル先輩、無事だ…」
明らかに無事だ。侵入者もいない。普通に荷造りしてる。よかった……。
ほっとしたら全身の力が抜けて、その場にへたりこんだ。
変態が家に侵入したんだとか、どこかに連れ去られたかもしれないとか、そんな最悪な状況ばかり想像していたから、ハル先輩がここでこうして普通に荷造りしている事が何よりも嬉しい。
「紫音?」
ハル先輩が慌てた様子で俺に駆け寄ってきた。
起きてからシャワーを浴びたのだろう、ハル先輩の身体からはシャンプーとかのいい匂いがしてくる。
その身体をぎゅっと抱き締めると、いきなりの事に驚いたのかハル先輩がビクッと震えた。
「ハル先輩、俺心配したんですから。昨日から電話くれないから」
ハル先輩がここにいるのを確かめる様にきつく抱き締めて、首元に顔を埋めた。やばいくらいいい匂いがする。俺の中の雄を刺激するハル先輩の匂い。堪らん。
「ごめん」
「忘れてたんですか?酷いですよ。俺がどれだけ心配したか、分かってます?」
「うん。ごめんな」
「何か言い訳してくださいよー」
ハル先輩が無事ならそれでいい。だから、俺は別に怒っている訳でもなんでもないが、俺が穏やかに過ごせる様、連絡を忘れないで欲しいし、電話には出て欲しい。完全に心配性な俺の都合だが、それだけは徹底して欲しい。
「なあ紫音」
「ん?」
「俺達もう別れよう」
「………………………え?」
何を言われたのか、本当に一瞬分からなかった。難しい言葉では全然ないのだが、脳が受け取り拒否をするというか、解読拒否をするというか。
でもようやく何を言われたのかを正しく理解して、でも意味が分からなくて、ハル先輩の肩を掴んでその顔をまじまじと見た。ハル先輩には表情がなくて、何を考えているのか分からない。
「何言ってるんですか?ドッキリですか?こういうドッキリは俺嫌ですよ」
「そんなんじゃない。本気で言ってる」
「え…?ちょっ、何でですか!?全然意味が分からないんですけど!」
「うん、ごめん。でも俺もう無理だ」
ハル先輩は相変わらず無表情で、冗談でもドッキリでもなさそうだ。サーっと全身から血の気がひく。
俺、今度は何やった?
ハル先輩に無理だと言わせる何をやった?
「ハル先輩ごめん!また俺何かやらかした?!」
「違うよ。紫音は何もしてない」
「嘘だ!じゃあ何で、何で…別れたいなんて…!」
「………」
「分かった!こないだの喧嘩、まだ引き摺ってますか?俺がまたヤキモチで酷いこと言ったから。本当ごめん!もうしないから!」
「違うよ。あれは関係ないし、紫音は悪くない」
「じゃあどうすればいいんですか!?」
ヤバイ。泣きそう。
何でこうなってしまったのかはサッパリだが、ハル先輩が俺と別れたいと言っている。それだけで凄いダメージだ。パニックだ。何とかしないといけないのに、どうすればこの局面を打開できるかが分からない。
「紫音のせいじゃないから。俺が…俺が無理なんだ」
「無理って何ですか?」
「…付き合っていく自信がない」
「何で?どうしてそんな急に。これまで、7年も付き合ってきたじゃないですか。なのに、どうして…?」
「…ごめん」
「ごめんじゃ分からないですよ!」
「………」
「同性なのが気になるんですか?俺が…人前でもいちゃつきたがるから、そういうのが嫌なんですか?」
「違う」
「じゃあ、俺が嫉妬深いから?心配性だから?疲れちゃった…とか?」
「違うよ」
「じゃあ何なんですか?俺は何をどうすればいい?」
「…紫音は何もする必要ないよ。直して欲しい所なんてないから。俺の問題なんだ。だから、紫音は悪くない」
「そんな…」
ハル先輩は『何もしなくていい』って言ってるけど、それは、何しても変わらないって事と同義で、俺が何をしようと、ハル先輩の決意は揺るがないということだ。絶対に別れたくない俺にとっては、こんな残酷な事はない。
でも、俺にはもう一つ心当たりがあった。それはハル先輩にとっては最悪な状況だけど、俺にとっては唯一の希望でもあった。愛しい人の『最悪な状況』を希望と思ってしまう俺は何て自己中で最低な人間だろうと思うが、仕方ない。ハル先輩を絶対に失いたくないから。
「ハル先輩、また誰かに脅されてる?前みたいに、『別れる』って言わされてる?」
「違う。そうじゃない。俺が、自分で決めたことだ」
「本当に…?」
ハル先輩の瞳は真っ直ぐこっちを見据えてはっきりと頷いた。とても嘘や誤魔化しをしている様には見えなかった。
そしてそれは、俺の唯一の希望が打ち砕かれた瞬間だった。
俺にはもう理由が思い付かない。
考えたくなかった、たった一つを除いては。
「ハル先輩……俺の事、嫌いになったの…?」
まるで泣く直前みたいな情けない声。こんな格好悪い声、普段なら絶対ハル先輩に聞かせない。
顔が引き攣った形のまま強張った。顔面の筋肉が固まって、少しも動かない。
『嫌い』なんて言葉、口に出すのも嫌だった。だから今までそれだけは聞かなかったが、思い付く限りのそれ以外の可能性を全て否定されては、もうそれしかハル先輩が俺と別れたい理由が見つからない。
もしそうだったらどうすればいいだろう。
ハル先輩を失ったら、俺には生きる意味がなくなってしまう。楽しみも、喜びも、何もない人生になってなしまう。
そんなのは嫌だ。嫌なんだ―――。
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