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I like…? 2

淡々と授業と部の指導をこなし、黒野の練習にも付き合い、志垣先生から言いつけられた仕事もこれまで通りこなせた。 驚くくらい感情は平坦で、表面上は黒野の冗談に笑ってやる事だってできるけど、心の底から笑う事はできなかった。喜ぶことも、楽しむことも。でも、悲しくて沈むことも、寂しくて震える事もない。ただただ平常心。 そんな毎日を送っていたある日。 校門を出た時、1台の車に後ろからクラクションを鳴らされた。 大きな音にびっくりして振り返ると、スッと赤い高級車が隣についた。 「ハル、久しぶり」 左ハンドルのその車から顔を出したのは、中谷先生があの日差し向けたモデルの男だった。 「何でこんな所にいるんだ」 「そんなん決まってるじゃん。ハルに会いに来たんだよ」 「何の用」 「相変わらず冷たいねー。そういう所が好きなんだけど」 「用がないなら帰る」 「ちょっと待てって。乗って」 「何で」 「一葉さんに仲良くしろって言われたんだろ?な?そういうこと」 そういう事って、つまり脅してるのかこいつは。 車から降りてきた男に腕を掴まれ、助手席に誘導される。 「すごいっしょ、このシート革なんだぜ?」 物凄くどうでもいい事を聞かされながら結局そのシートに座らされる。 直ぐに車は発進した。 何処に連れていかれるのだろう。ホテルか…? この男、モテそうだから、わざわざ男の俺なんか相手に選ばなくても困らなそうなのに。 「ハル何で俺の事無視すんの?」 「そんな事、無視された時点で察しろ」 「うわあ。やっぱ堪んねえな、ハルは」 悪態をついたのに何故か男は嬉しそうで、少し不気味だ。 「そんなキモいもの見るみたいな目で見るなよ。俺だって傷つくんだから」 「そんな風に見えない」 「あはは、そう?でもさ、俺って自分で言うのも何だけどモテるんだよね」 「……」 「女の子に言い寄って、無視された事も、そっけなくされた事も、そーいう目された事もねえの」 だから何だ。大体俺は女じゃない。 「だからさあ、ハルにそっけなくされて、火ぃ着いちゃった。どうしてもハルを落とさないと気が済まねえの」 「ばかばかしい」 「ハルさあ、彼氏の前ではデレてるんだろ?」 「……」 「ハルが彼氏の名前…しおんだっけ?呼ぶ時の声、すげー甘ったるかった」 「……」 「俺の事もあんな風に呼ばせてえの」 「……」 「何とか言えよ」 「誰がお前なんか」 「うわ、可愛くねえ」 男はその後は暫く無言で車を走らせた。 15分程走ったら、高い建物も人通りも全くない、寂れた道に入った。街灯も殆どなく、車のヘッドライトだけが道を照らしている。 「どこ行くんだよ」 「ナイショ」 何処と無く面白くなさそうな声で男が言った。 車は段々山道を登っていく。 無視した腹いせにこんな所で放置されたらどうしようか。ここが何処かわからないから、タクシーだって呼べない。 また暫く走ったら、男がウインカーを出した。 そこは開けた駐車場だった。 先の方は展望台になっていて、柵の前に望遠鏡らしき物がいくつか置いてある。 でも、寒いこの時期のしかも平日に、車は一台も停まっていなかった。 それなのに、男は何故かわざわざ展望台がある所から一番遠くに車を停めた。 後から誰か来たとしても、絶対この近くには停めないだろう、そんな場所に。 「どうする?俺と仲良くいちゃいちゃ夜景見る?」 「見る訳ないだろ」 「だよな。そう言うと思った」 男はシートベルトを外すと、シートを後ろに下げた。 その動きに決定的な不穏を察して、何かを考える間もなくドアノブに手を伸ばした。 が、そこを引いてもドアは開かない。鍵を動かしてみても、同じ。何度やっても、そのドアは開かなかった。 「無駄だよ。チャイルドロックかかってるから。ハルがどんだけ頑張っても、そのドアは中から開かねえよ」 その声は耳元で囁かれた。 俺がドアと格闘している間に、男は俺の上に乗り上げる様な形になっていたからだ。 「なあ俺、ハルと出会ってから、ハルの事ばっか考えてんの。ハルとしたエッチばっか思い出して抜いてんの。笑えるだろ」 ガクンと視界が揺れたと思ったら、俺は一瞬で仰向けになった。男がシートを倒したのだ。 俺の顔の横には男の両手があって、真上には大して楽しくもなさそうな無表情の顔がある。 「本当はハルの笑った顔が見たかったんだけど、お前思ってた以上に可愛くねえから、そーいう面倒なのやめる事にした」 男の顔が近づく。キスされる。 「やっぱ嫌がらねえ。お前最高に素直じゃないけど、エッチは好きなんだろ?」 またキス。今度は舌が入ってきた。 「答えろよ。好きなんだろ」 また。 「言えよ。好きって」 「…ってに…」 「ん?」 「勝手にそう思ってればいいだろ」 真横に引き結ばれていた男の口角が、にいっと弧を描いた。 「ほんっと素直じゃねえな。可愛くないハルは放っといて、身体に聞いてやるか」 男の手が俺のネクタイを外した。落ち着いたピンク色のネクタイ。紫音がくれた、大事なもの。 「いーこと思い付いた」 男は楽しそうに言って、俺の両腕を掴んで頭上で固定した。 「ハルはどーせ嫌がらないから必要ないけど、プレイとしてね。俺結構こーいうの好きなんだけど、大事にしたい相手にはちょっと出来ないじゃん?」 シュルシュルとシルクの生地が擦れる音がして、俺の手首は紫音のくれたネクタイで一纏めにされた。 何度かこうして手首を緊縛された事はあるから、分かる。こんな、痛みも痺れも感じない様な緩い結び方なら、もがけば直ぐに外せるだろうと。 でも俺はそれを外そうとはしなかった。 自分の両手が自由にならないという事に、何故だか安心してしまっていたから…。

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