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The truth SIDE 紫音 7
「俺がバカだった…」
「そんな事ないです。紫音君はあの人に騙されてたんですよ。純粋そうに見せておいて、とんだアバズレですよね」
「……これ、いつの写真ですか?」
「まだ紫音君と別れる前ですよ。日付は…12月27日です。きっと忘年会の後ですね」
「忘年会…。中谷さん、あの日はタクシーでハル先輩と帰ったって言ってましたよね…?」
「あ…ええ、そうですよ。その後に、ムラムラして出掛けたんじゃないですか?」
「………」
「ね、分かったでしょ?椎名先生はそういう人間なんです!紫音君は、もっと他にも目を向けた方がいいですよ」
「…他にも…って?」
「あの…例えば俺…とか。こう見えて結構人気有るんですよ」
中谷が身体をこちら側に倒して、俺を上目遣いで見ている。こういう仕草にはよく遭遇するが、まさか男にされるとは思わなかった。
俺は、望月に言われた様に、確かに鈍感だった。こいつが俺に近づいたのは、最初からそういう理由だったのだ。ただのファンなんかではなく。どうして俺はそれに気づけなかったのだろう。……自分への自己嫌悪と隣にいる男への嫌悪が酷い。
「そうですね。中谷さん、こうして改めて見ると貴方は綺麗ですね」
「紫音君…」
「ハル先輩の画像、もう見たくないので消して貰えませんか?」
「え…」
「忘れたいんです」
「じゃあ、俺と…」
「まずは忘れさせて下さい」
「…はい」
中谷は頬を赤らめて、こちらに媚びるような視線を送りながらスマホを操作した。その光景は反吐が出そうだが、そんな素振りはおくびにも出さずに口元を緩めて見守った。
「もう、椎名先生はいないですよ。ここにも、紫音君の頭の中にも…」
中谷は、顔を近づけて口づけを迫ってきたので、その肩を押した。「とうして?」と小首を傾げる。
「それで全部?」
「椎名先生の写真なんて、他に入れてませんよ。綺麗ですけど、この容姿で紫音君を騙して…って思うと見る度腹が立つんです」
ハル先輩は俺を騙したりなんかしてない。騙したのは、どこのどいつだ。腹が立って胸がムカムカして気持ち悪いくらいで、今にも爆発しそうだったが、まだ仮面は剥がない。ハル先輩が味わった絶望の一端だけでも、このクソ野郎に味わわせてやりたいからだ。
先程とは違ってハル先輩の事を悪く言われても反論しない俺を見ていい気になったらしい中谷の身体が一層しなだれかかってきて、下からこちらを見上げてきた。
「紫音君の宣材写真なら、パソコンにもタブレットにも、沢山入ってるんですよ。これからはプライベートの紫音君の写真も、沢山欲しいな…」
肩に手を回すと、中谷の顔がトロンと緩んで目を閉じた。
好きな男にこうされて、幸せそうに頬を赤らめて。
…もう突き落とすのはこの辺でいいだろう。俺も、これ以上自分を偽るのは無理だ。
「全部お前のせいだったんだな」
口づけをすると見せ掛けて逸らした耳元でそう言ってやると、中谷はパッと勢いよく目を開いて驚きの表情を見せた。そしてすぐに俺のさっきまでとは違う視線に気付いたのか、赤らんでいた顔が見る見る青ざめて行った。
「な、何の事ですか…」
「ハル先輩が秋良と寝たのは、お前のせいだったんだなって言ってるんだ」
「そ…んな、そんなの知りません!」
「じゃあハル先輩とあいつにどんな接点があるんだよ。お前以外にないだろう!」
「し、知りませんよ!ナンパでもされたんじゃないんですか?」
「ハル先輩がただのナンパなんかに付いていくもんか。ハル先輩が秋良とそうなる様に、お前が仕組んだんだろう!」
大方無理に酒を飲ませて泥酔させるかしてハル先輩が抵抗できない状況を作り上げたのだろう。タクシーで家の前まで一緒だったなんて真っ赤な嘘で、ホテルで秋良に引き渡したのだ。そうして、ハル先輩は身体を奪われた。
きっとあの写真で中谷に脅迫もされた事だろう。俺と別れろとか何とか。
でも、そんな事よりもハル先輩にとって一番のダメージは、秋良と寝てしまった事実だったのだろう。
俺はこの7年…いやもうすぐ8年、自分の事を無価値で汚いと思い込んでいたハル先輩に、何百回も愛を囁き、綺麗だと言い続けた。その末にようやく築き上げられた自尊心や自信を、いっぺんになし崩しにしてしまう程、それはハル先輩にとって残酷な出来事だったのだ。
こいつさえいなければ…いや、俺が軽率にこんな奴を信用して近づけさせなければ、ハル先輩はこんな目に遭わずに済んだのだ。秋良に身体を奪われる事も、弱味を知られて執着されることもなかったのだ…。
「誤解です。俺は何もしてません!」
未だに誤魔化せると思っているらしい男を睨み付ける。最低な人間だ。こいつもだし、こいつの思惑に気付かなかった自分も、本当に最低だ。
スキャンダルになったあの女との事も、俺たちの仲を引き裂こうとこいつが仕組んだ事なのかもしれない。俺は、こいつをスパイとして利用していたつもりだったのに、いつの間にか掌の上で転がされていたのだ。自分だけならまだしも、ハル先輩まで巻き込んで…。
「待って!」
「触んなよ」
立ち上がった俺にすがり付く手を汚い物を見るようにして払いのけると、中谷は一層ショックを受けた様な顔をして俯いた。
構ってやる訳もなく一歩足を進めたとき、地を這うような声がした。
「柚季の怪我を公にしてもいいんですか…?」
さすが狡猾な手を使ってハル先輩を陥れただけの事はある。脅迫はこいつにとっては常套句なのかもしれない。
「勝手にしろ」
「いいんですかっ!現役のプロスポーツ選手が暴力沙汰なんて、選手生命おしまいですよ!」
「選手生命?あの人を失うくらいなら、そんなのいらねえんだよ」
「そんな……」
もうこんな男に構っている暇はない。
一刻も早くハル先輩に会って、全てを謝りたい。ハル先輩に起こった全ては俺のせい。俺の軽率な行動と鈍さが招いた事だったのだ……。
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