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Realize 3

「それだけ?」 柚季がテーブルに置いた皿を見て思わず訊ねた。 水菜やパプリカのサラダとベビーリーフとプチトマトのサラダ、それに申し訳程度に小さなオムレツと鶏ハム。それらが大きな皿を贅沢に使って上品に盛られているのだ。 対して俺の皿には、色んな料理が所狭しと乗っている。 俺自身食べられない物は多いが、それでも沢山ある料理の中から気になる物を自分で取っていくというバイキング形式だと、1回目の調達ではこんな風になるのが普通だと思うのだが。 「俺今ちょっと絞ってる所だから」 「ダイエットって事?必要ない様に見えるけど」 「こないだ話してたCM決まってさ。ちょっと気合い入ってんだ」 「本当か!おめでとう!」 柚季は、片手間にやっていたらしいモデルの仕事に本腰を入れるようになってからすぐに頭角を表し、今では人気メンズ雑誌の専属モデルをやっている。テレビコマーシャルのオーディションなんかにも積極的に挑んでいて、今回決まったと話しているのは若者が好んで飲む清涼飲料水のCMだ。 「ま、俺が本気出せば紫音なんか霞むぜって所見せてやるよ」 「なんか、みんな凄いな」 本気で何かに打ち込んでいる人間は、本当に格好いいし、誰しも魅力的だ。 俺は…バスケだって結局中途半端に終わってしまったし、今だって紫音や柚季みたいにストイックに何かに打ち込んでいる訳でもない。本当に俺って…。 「なあ春、俺最近頑張ってるんだから、ご褒美くれよ」 「何で俺が?」 「だって俺、春の為に頑張ってるんだぜ?」 「俺の為…?」 柚季がモデルの仕事を頑張るのと俺に何の関係があるんだ? 「おっまえひでえな。俺言ったろ?有名になってお前の事迎えにいくって。その為に頑張ってるんだかんな?」 ……言われたっけ?というか、そういう様な事を言ったのは黒野じゃなかったか…? 「うわー、完全に忘れてるんだろ?なんて鬼畜だ。春ってドMに見せかけておいてドSだよな。お前に人生狂わされてる奴って沢山いるんだろうな」 「そうかな…」 俺は柚季の言葉が結構ショックだった。小悪魔と言われたのもそうだったけれど、俺は人の人生を狂わせたり振り回したりする様な何かをしてしまっているのだ……。 「おーい何思い詰めてんだよ。俺の言ったことは多分事実だけど、そうやってイチイチ気にすんなよ。お前に悪気がある訳じゃねーんだから」 「うん、ありがとう」 本当は気になる。今まで起こったことは全部、自分のせいなんじゃないかと思うことはよくある。でも、柚季も紫音も斗士も、みんな俺は悪くないと言ってくれるから、うじうじ気にするより、気にしない様にした方がいいのだ。 「春って真面目だよな。潔癖性の優等生って感じ。そんなお前が、よく紫音と付き合おうと思えたよな?つまり、男とさ」 「え…あ、うーん……そうだな」 「春は元々そっちなん?」 「違った…と思ってるけど、正直もうよく分からない」 「何でわかんねえの?」 「初めて好きになったのが紫音だから…かな」 「ふーん。それっていつ?」 「高一の時」 「高一!?お前、初恋が高一なの!?」 「そんなに驚く?」 「遅すぎだろ」 「ぼんやりとあの子可愛いなとかってのはもっと前にあったけど、あんまり心に残ってないから。それに…昔の自分って、自分だけど自分じゃないみたいな感じがするんだ。そういうの、ない?」 「ねえよ。意味わかんねえし。何で自分じゃないって思うんだよ?」 「何でかな…」 そう答えながら、自分の中で答えはすぐに見つかった。あの出来事のせいだ。あれ以前の自分と以降の自分は、一緒の筈なのに、決定的に違う気がしてならないのだ。 紫音は「何も変わってない」って言ってくれるけど、考え方や価値観、それこそ恋愛観だって、大きく変わったと思うから。 「じゃあ聞くけどさ、春の言う昔の自分って奴はどういう人間なんだ?」 「どういう…って言われても」 「何でもいいからさ、言ってみろよ」 「…バスケの事ばっか考えてたかな。女の子の事なんか二の次で。自分で言うのも何だけど、純粋だったし、何にも知らない子供だった」 「で、今は?紫音に汚されちゃって、汚い大人になっちゃったのか?」 「違うよ!紫音は寧ろ…」 「じゃー誰に変えられたんだ?」 「それは……」 はっとした。俺、一体何を話してるんだ。あれは知られる訳にはいかない事なのに。 「だんまりかよ。ま、いいや。潔癖で優等生な春が紫音と付き合う様になった理由も何となく分かったし」 「………」 「何があったか知らねーけど、春は考えすぎなんだよ」 「考えすぎ?」 「そ。お前の言う昔の春と、今の春はそんなに違わねえんじゃねえ?」 「違うよ…」 「そりゃ丸っきり一緒じゃないだろうけどさ、それってただの成長だろ?お前も紫音も深刻に捉えすぎなんだよ。喩えそれが本当に深刻な事だったとしたって、それに振り回されてる方がバカらしくねえ?だったら嘘でも思い込みでもいいから、犬に噛まれたくらいに思ってた方がいいじゃん」 柚季は随分とあっけらかんと軽い調子で言ってのけたが、俺にとっては結構衝撃的な言葉だった。 事実を知っている紫音や斗士からは、あの出来事をそんな風に軽くあしらわれた事はなかったし、二人ともどちらかと言うと腫れ物に触るような調子だ。 それが悪い訳ではない。寧ろ、俺自身にとっては確かに随分と深刻なトラウマだから、それを知っている人間に「あんな事くらいで…」みたいな事を言われたら、それはそれで傷ついたと思うのだ。 でも、一方で、俺はどうしてあんな奴のせいで大好きなバスケまで辞めて、今でも思い出しては苦しめられ、こんなに何年経ってもあいつの記憶で生活やら食事やら、色んな面に支障を受け続けなければならないのかという憤りだってあるのだ。 トラウマに悩まされながら、その悩まされている事実にも悩んでいるという、最低の悪循環。 開き直れたら、どんなに楽だろう。犬に噛まれた処か、蚊に刺されたくらいに思えたら、どんなに気持ちが軽くなるだろう。それは、自分の中だけでこれまでに何度だって考えた事はある。でも、他人に言われたのは初めてだったのだ。 柚季は何も知らないし、何も知らないからこそ言っているのかもしれないけど、でも、自分の中だけで考えているのと、他人に言われるのとでは重みが違う。 そうだ。嘘でも、思い込みでもいい。 大したことない。あんな奴、俺の今後の人生に本当の意味で影響を与えることなんて出来ないんだから。

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