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a trip 3

「あの、すみません」 水族館の入り口。ハル先輩と二人チケット売り場に並んでいると、後方から声をかけられた。 振り返ると、女の子3人組がきゃあっと黄色い喚声を挙げた。 あまり大きい声を出さないで欲しい。ほら、全然気付いていなかった人も、俺の事なんか知らない人も、興味深そうにこっちを見ているじゃないか。 「青木さんですよね?あの、私達青木さんのファンで…」 恥ずかしそうに互いをつつきあっていた3人の内の一人が上目遣いに言ってきた。 まあまあ可愛い子なのかもしれない。ハル先輩と比べると天と地程差があるが。 「ごめんプライベートだから」 真顔でそう言うと、女の子達はギクっと立ち止まった。その隙にハル先輩の手を引いてちょうど空いたチケット窓口に向かった。 ファンは大事に。 その言葉は肝に命じているのだが、今は間が悪い。ハル先輩とのデートは、何人たりとも邪魔するのは許さない。 俺の真顔は無愛想に見えるらしいから、喩え頭の中お花畑女子でも、ちょっとそっけなくあしらえば追撃はしてこない。そのまま暫くむっつりして、話しかけるなオーラを放っておけば、遠巻きに見ていた人達も捌けていくのだ。 「水族館って暗いんですね」 さっきとは別人かと思われる程の笑みを浮かべてハル先輩に話しかける。 自分でもこの時ばかりは二重人格かと思うくらいちょっと気持ち悪いのは自覚している。 「本当だな」 ハル先輩は慣れっこなのか、特に驚いたり引いたりはしないのが救いだ。 初めこそ、『ファンに対してあんな態度で大丈夫か?』と心配されたりしたが、最近ではそれもない。それぐらい、声をかけられる事が多くなった。 シーズンオフに入ってすぐに撮影したアウルムのCMがテレビで流れているせいだ。 俺はアウルムの社長からのホモな誘いを断ったから、あのCMの話は絶対に破談になると思っていたのに、蓋を開けてみればこうだ。 俺はバスケ以外で有名になりたいとも思ってはいないから別にどっちでもよかったけれど、チームの事を考えると出演してよかったのだと思う。 社長はあのあとも暫くしつこかったけれど、ハル先輩の気持ちが少し分かるようになったのもあの経験のおかげだったのだし、結果オーライだ。 「これだけ暗かったら、手繋いでもいい?」 「バカやめろ」 小声で言ってふざけて手を掴んだら、すぐにハル先輩に手を振りほどかれた。 予想通り。暗いとは言え、人の姿が見えない程ではないのだから。 でも、動物園なんかに比べて何倍もロマンチックなこの場所ですら少し離れて歩かなきゃならないのって、寂しい。 俺たち付き合ってますと大声で言っても差し支えないくらい純粋に愛し合っているというのに。 スタスタと先に歩いて行ってしまったハル先輩を追いかけながら周囲にも視線を向けると、俺達が注目を浴びてしまうのは、何も俺がテレビに出ているというだけではない事が分かる。 ハル先輩を見ながらもじもじしながらヒソヒソ話をする女の子達。 魚ではなく、水槽の前に立つハル先輩の方をじっと見ているおにーさんやおじさん。 皆、ハル先輩の美しさに見とれているのだ。 分かる、分かるよ。一瞬時が止まってしまう位、ハル先輩は綺麗だもんな。 でも、残念ながらハル先輩は俺のなんだ。 「何見てるの?」 巨大な円柱状の水槽を見つめるハル先輩の横にぴったりついて、然り気無く腰に手を置いた。 「ほら、あれ。ナポレオンフィッシュ」 ナポレオンフィッシュとやらに夢中になっているらしいハル先輩は、俺が腰に手を回している事も、顔が物凄く近いことも全然気にしていないみたいだ。可愛いなぁ。 そもそも家の中とか人目のない所ではこの距離にいることの方が普通だから、注意して離れようとしている時以外はハル先輩は無防備なのだ。つまり、露骨に近寄らず然り気無く近づけば、限りなくデートっぽい距離感を保てる事が最近分かった。 「凄いおっきくて、面白い顔」 「本当ですね」 この水槽を見納めたらしいハル先輩は、また次の水槽も、その次も興味深げに眺めていて実に楽しそうだった。 「ハル先輩は魚が好きだったんだ」 「好きって言うか、面白い」 「あ、これ見て。土の中からうにょうにょ出てる」 「本当だ。名前は、………」 「ん?あ、チンアナゴって名前なんだ。なんでチンなんでしょうね?」 「珍しいからかな…?」 「ああ、そっちの珍か」 「いや、知らないけど」 「ちょっと待って…………ハル先輩、違った!犬の狆に似てるから、チンアナゴなんだって!」 スマホの検索結果を見せると、ハル先輩はまた興味深そうにそれを読んで、犬の狆の写真と目の前の水槽のチンアナゴを見比べた。 「……全然似てないな」 「確かに」 ………因みにこの会話、小さめのチンアナゴの水槽の前で身を寄せる様にしてくっついてしていたから、物凄く周囲から注目された。 でかくてテレビなんかにも出て目立つ俺と、銀髪や碧い瞳で目立つ上にとびきり美人なハル先輩が注目されるのは最早宿命の様なものだ。 それにしてもハル先輩が鈍感でよかった。こんなに見られてるって気づいたら、すぐに離れていってしまっただろうから。

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