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a trip 5
大浴場があるのは2階だ。浴衣の上に茶羽織を着てエレベーターを待つハル先輩の後ろ姿は、ショートヘアーの女の子にしか見えない。しかも、とびっきり可愛い女の子。
同じエレベーターに乗り込んだチャラそうな業界人っぽい男がさっきからチラチラとハル先輩を盗み見ている。しかも、こいつも浴衣着て2階で降りたって事は、大浴場に行くのか?
最悪だ。エロい目付きでハル先輩を見やがって。
大体、女の子にしか見えないハル先輩が男湯の脱衣室に入った時点で相当ざわつくと思うのだが。しかも、脱いだら真っ白のツルツル素肌に、薄く均等についた筋肉が非常にセクシーな裸体が表れて、胸はないけど可愛いピンクの乳首も見られたい放題見られて、下の大事なとこだって見られまくって、俺の大好きな濡れた髪の色っぽいハル先輩も余すことなく知られて……。
だめでしょ、これ。何人か絶対勃たすでしょ!
「ハル先輩ごめんなさい!」
もうあと2、3歩進めば青い暖簾を潜るといった状況で俺は音をあげた。
さっきは荒療治だの何だの余裕ぶっていたけれど、もう無理だ。どこに自分の恋人を見知らぬ誰かのオカズにさせたい人間がいるだろう。裸を見せつけたいと思う人間がいるだろう。
「どうした?」
「大浴場は諦めてください!」
「え……」
「ごめんなさい!」
「ごめんって、俺よく分からないんだけど」
「とにかくダメなんです!」
そう言うしかなかった。だってこんな公衆の面前でダメな理由を言って聞かせる訳にも行かないし、だからって黙って行かせる事も出来ない。ハル先輩は訳が分からないといった顔をしているけど、ここはひとまず怒らせてでもいいから部屋に連れ戻さないと。大体、裸でなくても、浴衣姿ってだけでいやらしいのに……。
「あの、お客様」
もう力ずくにでもハル先輩を連れ帰ると決めた時、浴衣姿の仲居さんに声をかけられた。
「すいません、もう戻りますから」
俺は随分大きめの声を出していたから、煩いとか他のお客さんの迷惑だとか注意されるのだと思ってそう言うと、仲居さんはまた声をかけてきた。
「お客様、もしよろしければ家族風呂がございますよ」
「ん?家族風呂??」
予想してなかったワードに頭がついていかない。
「はい。ご家族やカップルのみでお使いいただける浴室で、今ちょうど空いていますから。よろしければ、是非」
家族風呂!そんなシステムが…!
……それにしても、カップル…に、見えるよな、やっぱり。
ハル先輩がバリバリ男湯の暖簾一直線に向かっていたとしても、俺達はカップルにしか見えないのだ。つまり、先入観なしでも浴衣を着たハル先輩は女に見えるってことで、それが男湯なんかに入ったらヤバイ事はわかりきっている。
仲居さんはニコニコ朗らかに笑っているから、俺達大浴場に入る間でさえ離れるのが辛いラブラブカップルにでも見えているのかもしれない。
「ハル先輩、使わせて貰いましょう!」
「え…でも……」
「それでは、こちらにお部屋の番号とお名前お願いします。ご利用は1時間となっています」
「はい!」
世話好きそうな中年の仲居さんは、俺にとって救世主だった。二の足を踏んでいるらしいハル先輩にはこの際気づかないふりをしてスラスラと名前を書き込むと、ハル先輩の背中を推して男湯と女湯の間にある家族風呂へと入った。
「ハル先輩、よかったですね!これで安心して大きいお風呂に入れますよ」
帯をほどきながらそう言うと、ハル先輩は何故だか居心地が悪そうにしていた。
「どうしました?」
「いや、だって…」
「だって?」
「こういう所って、普通男同士で入らないだろ」
俺達がそういう関係だって、バレちゃったのかな…。
ハル先輩は口ごもりながらそう続けた。
成程。
ハル先輩は、自分が女に見えていたなんて露程も思ってないから、仲居さんに男同士のカップルだとバレてしまったと思っている様だ。
「俺、人前ではそういう素振り見せない様に気を付けてるのに、結構わかっちゃう物なのかな…。紫音を追ってる記者にもとっくに勘づかれてたりしたら、どうしよう」
「バレたらバレたでいいですよ、俺は」
「ダメだよ。俺だって、俺は別にいいけど、紫音の経歴に傷がつくじゃないか」
「傷なんて、俺はハル先輩とのことそんな風に思ってないよ!」
「紫音がそうでも、世間的には違うだろ」
「世間なんて俺どーでもいいです。だから、ハル先輩はもっと堂々と俺の恋人面してていいんですよ」
「俺は二人でいるときに恋人面できればそれで充分だよ」
ハル先輩……。
ああ、何と奥ゆかしく可愛らしい事だろう。
自分で言うのも何だが、俺はまあ割とモテる。そういう相手を恋人に持つと、周囲に向けて牽制の意味も込めた恋人アピールをしたがる子が多いと思う。実際、俺はアピールしたいタイプだ。けど、ハル先輩にはそういう独占欲とか自己顕示欲みたいなものが全然ない。
いや、あの中谷に嫉妬していた事もあったらしいので、全然ない訳ではないのだと思うが、表面上は見えてこない。
もっとガツガツ来て欲しいな…と思う反面、俺はそういう奥ゆかしいハル先輩を好きなんだろうなって気もするから、やっぱりハル先輩は変わる必要なんてない。
「ハル先輩、もー大好きです!」
あんまり可愛くて気持ちが昂ってしまって収まらず、いきなりハル先輩を抱き締めた。
「何?どうした?」
ハル先輩は一瞬驚いたみたいだったけど、すぐに笑ってそう言った。
ハル先輩はやること成すこと俺をキュンキュンさせてくる。もう、本当に可愛い。
あれ…?でもそう言えば俺はハル先輩をキュンキュンさせているだろうか?
俺ってちゃんと格好いい事言ったり格好いい姿見せたりできてるっけ?
…………あんまり思い浮かばないな。ヤバイ。ちゃんとしなきゃ。
「そうだハル先輩、安心してください」
「ん、何?」
腕の中でハル先輩が微かに首を傾げる。あんまり抱き心地がよくて、すぐに離すのは忍びないから抱き締めたままなのだ。
「あの仲居さんに、俺達の事がバレた訳ではないですよ」
「え、そうなのか?じゃあ何で…?」
「浴衣姿のハル先輩が可愛いからです」
「は?」
「俺達の事、普通の男女のカップルだと思ったみたいですよ」
「男女…?」
「そ。ハル先輩可愛いから、浴衣着てると女の子に見える」
「嘘だ」
「本当。上に羽織着てると身体のライン出ないし」
ハル先輩は少し黙って、それからその心情を吐露する様に嫌そうに言った。
「……最悪」
「そんなことないよ。俺はすっごい興奮した。てか、してる」
「……なんか当たってる」
「ごめん。抱き締めてたら、つい」
「大浴場無理だったのって、そういう事?」
「ん?そういうって?」
「だから……その……」
「あ、俺が反応しちゃうからって事か。そう言われてみればそうですね。俺絶対反応してたや」
周りの男共よりも誰よりも早く俺が勃ってたかも。それはそれで確かにマズイ。
「そうじゃなかったなら、何でダメだったんだ?」
「だってハル先輩こんなに可愛くて綺麗なんですもん。俺以外の奴も絶対反応する。直接襲われなくても、視姦されまくるじゃないですか」
「されないよ」
「されますって。100%されます。俺、喩え妄想でもハル先輩のこと汚されたくないから」
「………俺ってそんなに女っぽいの?」
「何言ってるんですか!女よりよっぽど可愛いです!」
俺が正直に答えると、ハル先輩は下を向いてしまった。
やばい。
『女より可愛い』はさすがにまずかったか。ハル先輩は男なんだから、そんな事言われて喜ぶはずないじゃないか。
「ご、ごめんハル先輩!俺、無神経でした!」
慌てて身体を離してからよーく見ると、ハル先輩の肩が小刻みに揺れている。やばすぎる。これは相当怒らせたか、傷つけたか……。
「ごめ…!」
驚いた。
もう一度謝ろうとしたとき、ハル先輩が顔を上げたのだ。
その顔は、俺が想像してた怒った顔も悲しそうな顔もしてなくて、クスクス楽しそうに笑っていたから。
「ハル先輩…?」
思わず力が抜けたみたいな声が出た。何が何だか……?
「笑ってごめん。つい」
「つい…?俺、何か面白いこと言いましたっけ?」
「いや。どっちかっていうと嬉しかったのかな」
「え?」
「俺が女の子より可愛いなんて、そんなのあり得ないのに、紫音が真剣にそう言うから」
「いやいや。だって俺本気で……」
「うん、だからありがと」
「もー可愛い!世界一可愛い!」
ちょっと恥ずかしそうなハル先輩が非常に可愛くて、俺はまた抱きついてしまった。
でも、俺は一般論としてハル先輩が女より可愛いって言ったつもりなんだけど、ハル先輩は『紫音にとっては』って解釈してるよな…?
何でそーなる?って感じだけど、ハル先輩は俺から可愛いって思われてて嬉しいのか。そう思うとニヤけてしまう。
でも、俺も本当はかっこいいって言われるのが一番嬉しいけど、ハル先輩から『紫音可愛い(はぁと)』なんて言われたら、それはそれで嬉しいかも。いや、絶対に、めちゃくちゃ嬉しい。
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