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a trip 8
「紫音可愛い」
触れたとき同様そっと顔を離したハル先輩が、火照って赤いであろう俺の顔を見てそう言うと優しく微笑んだ。
俺の顔は、更に赤くなっているだろう。
ついさっきだ。ハル先輩に『可愛い』って言って貰えたら嬉しいだろうなぁなんてぼんやり思ったのは。
実際に言われてみたら、照れ臭い気持ちが半分くらい占めていて、でももう半分は予想通り、喜びの感情だった。
でも、その嬉しさっていうのは、言われた言葉自体にかかったものじゃなくて、その言葉から愛されているんだと強く実感したからだ。
「紫音、俺……ちゃんと優しくするから」
ハル先輩は緩ませていた唇をきゅっと閉めて言った。
優しく…って、何……?
そう思っている内に、またハル先輩が首筋にキスをし始めたので、今度こそ攻めようと思っていた俺はさっきよりも心持ち強めにハル先輩の動きを止めた。
「どうした?……なんかダメだった?」
「え?ダメも何も、今度は俺が上になりますよ」
「え?だから、今日は俺が…」
「今度は俺に、お礼させてください」
そう言って起き上がろうとする俺を、ハル先輩は尚も阻止した。
「俺、ちゃんと覚悟決めてきたんだ」
「へ?」
「紫音は、俺が欲しいんだろう?」
そうストレートに言われて、俺はまた頬が熱くなるのを感じた。ハル先輩は、本当に俺の願いを叶えてくれるつもりだったんだ。覚悟とか、心の準備とか、そのことだったんだ。
うわー、何してくれる気なんだろう。「紫音のしたい様に何でも……」なんて言われたらどうしよう。
「欲しい。すごく欲しいです」
でもハル先輩、安心してください。
俺、頭の中ではハル先輩に色々エロい服着せたりしたけど、現実ではそんな事しないから。実際実現できるなんて思ってなかったからコスチュームだって用意してないし。
だからいつも通り……いやいつもより少しねちっこいかもだけど、ノーマルなエッチするだけだから。
だから、大丈夫。
そう言おうとしたが、先にハル先輩が口を開いた。
「俺、女の子とも経験ないから…」
経験?
あ、コスプレとか、何かアブノーマルな経験?
だったらそりゃあそうだ。
俺の知る限りハル先輩に彼女がいた事はないから、アブノーマルどころか、普通のエッチの経験もないはずだ。いや、あったら困る。
俺がひとり納得して頷いていると、そんな俺を見てハル先輩もひとつ頷いて意を決した様に言った。
「初めてで上手くできるか分からないけど、紫音がいつもしてくれるみたいに優しくしたいと思ってるから」
言い終えるとハル先輩はまた俺の身体に身を埋めた……じゃない、というより、覆い被さった。
くすぐったい様なハル先輩からの口付けを受けながら俺は考えた。
俺がいつもしてるみたいに?
優しく?
初めて?
…………!!
それらのワードが導きだす答えは、明らかにひとつだった。
それに気づいた俺は、ハル先輩に乗っかられているというのにあるまじき事に性的興奮というものが一瞬でどこかにいって、結構なパニック状態に陥った。
「ハ、ハル先輩!違う!そうじゃない!」
俺はガバリと身体を起こすと、びっくりして顔を上げたハル先輩と正面で向き合った。
俺の突然の豹変に、ハル先輩は些か驚いた様に目を丸くしていたが、すぐに少し悲しそうに言った。
「ごめん。上手じゃないのは分かってる。キスも、前戯も、その気にさせるのも、下手くそだって。でも、ちゃんと練習して紫音みたいにできる様になるから。だから、少しだけ見守ってくれると嬉しい」
ハル先輩は至極真面目に、凄くズレた事を言った。
何を言うんですハル先輩。
俺がするよりも然り気無くスマートに事を始めて、凄く丁寧に、愛されてるなって感じさせる前戯をしてくれたじゃないですか。お口でしてくれたのもエロくて物凄く気持ちよかったけど、それと対照的に初なキスとか少年の様な無邪気で綺麗な笑顔。あのギャップにグラッとこない奴いないって。
きっとあんな事女の子がされたら、魂ごとハル先輩に奪われちゃうよ。ハル先輩は年を経る毎に美しすぎて女から近寄りがたいと思われる様になってきたけど、あんな風だと知られたらきっとモテモテだろうな。だってそうやって見るとお伽噺の王子様そのものだから。
………って瞬時に思ったけど、これは言わない。
ハル先輩のズレた話題に話を合わせると論点がズレるし、ハル先輩が王子様系になって男だけじゃなくて女までこれ以上惹き付ける様になっちゃったら俺が困る。
「ハル先輩、違う。ハル先輩のやり方がどうのじゃなくてハル先輩は盛大に勘違いしてる」
「勘違い?」
「そう!何でそう思ったのか全然わかんないけど、俺はそういう意味でハル先輩が欲しいって言ったんじゃなくて、俺は今まで通りハル先輩を…」
ここまで言って、自分の身勝手さに初めて気づいた。
俺は当たり前の様にハル先輩を押し倒してきたけど、ハル先輩だってさっき自分で言っていたみたいに歴とした男だ。
勘違いとか何とかは全然関係なくて、ハル先輩が自分の意思で俺を……その……やりたい………と思ってる場合は、一体どうすれば……。
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