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scandal 2
『ハル先輩!今日はどうでした?大丈夫ですか!?』
帰る途中にかかってきた電話に出た途端、紫音が矢継ぎ早に言った。
「大丈夫だよ」
『でも、今日もやっぱり再体験したんでしょ?辛かったでしょう?ああ、俺も一緒にいてあげられたらいいのに……』
「紫音、大丈夫だよ。それに、今日は吐かなかったんだ」
『そうなんですか!』
「うん。先生に進歩だって誉められた」
『ほんと、それは本当に進歩ですよ!』
「うん」
『でも、それでも辛かったですよね……。ハル先輩、俺がお願いしといてあれですけど、辛かったらやめてもいいですからね』
紫音が思い詰めた様に言った。
紫音は1日目のカウンセリングで、俺が退行催眠後に取り乱し、ガタガタと震えながら嘔吐するという場面を見ていたから、心配で堪らない様だ。カウンセリングを一緒に受けられないどころか会えないからこそ、尚更。
「確かに辛いけど、でも俺続けたい。紫音が紹介してくれた樫野先生はとても信頼できる人だし、俺も乗り越えたいから」
治療で主に行う退行催眠では、あの時の事を再体験させられる。それにより現在は安全であるという事を刷り込むと共に過去を客観視できる様になるらしいが、俺はまだまだ客観的にあの時の事を体験する事はできない。だから、きっと暫くはこの段階から先へは進めない。
意図的にトラウマをフラッシュバックさせられるので、正直辛いしカウンセリングのある日は憂鬱だ。でも俺は不思議と前向きだった。
紫音に会えなくても、以前程の不安もない。これまではあのことから逃げているばっかりだったけれど、今は立ち向かっているからかもしれない。辛いけど、苦しいけれど、後ろから追いかけられるよりも過去だと言い聞かせながら対峙していた方がまだましなのだと、こうしてみて初めて気づいたのだ。
『ハル先輩は本当に強いですね。俺も見倣わないとな……』
「何言ってるんだよ。紫音の方がずっとずっと強い癖に」
『強くなんかないです。だって俺、今にも全部投げ出しそう……』
「またそんな事言って」
『本当に。もう全部投げ捨てて、ハル先輩に会いに行きたい』
「そんな理由で投げ出すなよな」
『だって、会いたい。傍にいたいんです』
「別に一生会えない訳じゃないんだから」
『そうだけど……』
「俺は治療頑張るから、紫音も頑張って欲しい」
『俺何を頑張ればいいですか』
「そんなの決まってるだろ。バスケだよ」
『やっぱりそれか……』
「当たり前」
『はぁ…………』
紫音は深いため息をついた。
紫音には、ちゃんとバスケに精を出して欲しいのに、この調子ならきっと練習にも身が入っていない事だろう。
俺と紫音が会えなくなってからもうすぐ2ヵ月になる。原因は週刊誌だ。
6月の紫音の誕生日に二人で旅行に行った事を記事に書かれてしまったのだ。
その記事は『プロバスケ選手の青木紫音、北海道で銀髪美女と二人きりでお泊まり!?』という煽りから始まるものの、美女だと思ったのは記者の勘違いで相手は男でしたというオチがついていて、1ページにも満たない短いものだった。
バスケにも紫音にも興味のない層からみれば流し読み対象のどうでもいい記事であっただろう。
だが、俺と紫音を知っている層からすれば、かなり問題のある記事であった。それを書いた記者に意図があったのかどうかは判然としないが、短くても家族風呂に二人で入って行ったことなんかはしっかり記載されていたし、知っている人間からすれば『銀髪の男』というのは俺である事はすぐに連想される。つまり、噂されていたという俺達の仲を肯定するかの様な内容であったのだ。
俺の事を知っていて噂も耳に入っていただろう紫音のチームのオーナーとバスケ協会のお偉方は、すぐに紫音を呼び出して真偽の程を確かめた。
正直者の紫音は正直に俺との仲を話したらしいから、オーナー達は頭を抱えたそうだ。そして、俺たちは会うことが禁止された。
上は、日本プロバスケ界の花形選手の紫音に『同性愛者疑惑』は相応しくないと考えた様だ。
俺も、そう思う。
同性愛はやっぱりマイノリティだから色眼鏡で見られるものだし、そういう噂が出るだけでもイメージダウンは必至だ。女性ファンの多い紫音の人気が陰れば、せっかく注目を浴びてきていたバスケもその人気を確立する前に陰の競技へと逆戻りだ。
紫音はあまり注目を浴びることが好きではないから、その人気もバスケ界を牽引する役割を担う事も本望ではないのは分かる。でも、天性のカリスマ性とエースと呼んでも差し支えない実力、そしてあの甘いマスクがあれば、注目するなと言う方が無理がある。
紫音には本人が意図しないたくさんの期待と責任がのし掛かっている。それは言葉ではいい表せないくらいに大変な事だと思うけど、紫音は強いから、これまでそれに押し潰される事もなく飄々としていた。そして、遺憾なく実力を発揮して本当の意味でチームを牽引してきた。
紫音がプレッシャーに押し潰されそうになってバスケを純粋に楽しめなくなってしまっているのなら別だが、そうではなくて俺と会えないというただそれだけの理由で紫音がバスケを投げ出そうとするのは嫌だった。
紫音がプロになるためにどれだけ直向きに努力してきたかは、ずっと隣にいた俺が一番知っている。どれだけバスケが好きかも、知っている。紫音の今の地位は、俺なんかの為に投げ出していい物ではないのだ。
なのに―――。
紫音は冗談なんかではなく本気で投げ出そうとしている。
いわく「ハル先輩との仲を引き裂くのなら、バスケなんかしなくてもいい」と。実際、会うのを禁止されて1週間で、紫音はオーナーに辞めると言ったそうだ。その時はチームやチームメイトへの責任を懇々と説教され、紫音も思い直したらしいが、また最近紫音のモチベーションがだだ下がりしている。
何かいい手はないものだろうか………。
『はぁ……。今日俺飲み会なんです』
そんな報告すらため息混じりの紫音だ。これは結構限界なのかもしれない。
「チームメイトと?」
『だけじゃないらしいけど、詳しくは聞いてません』
紫音は投げ槍に言った。1度目の説得では「チームメイトへの責任」といった部分が紫音の心に響いた様だったが、次はそうもいかないかもしれない。
「なぁ紫音、気持ち切り替えて頑張ろう。ほとぼりが冷めれば、前と同じように会えるんだから」
『ほとぼりっていつになったら冷めるんだろう……。ハル先輩が大変な時に一緒にいられないなんて、支えられないなんて、俺恋人失格だ……』
「そんなことないって。俺は本当に結構大丈夫だからさ」
どう言えば紫音の気持ちが納まるのだろう。前向きになってくれるのだろう。
慰めたり元気づけたりするのは、これまで紫音の役目である事の方が多かったから、立場が逆転すると一気に戸惑ってしまう。
俺なんかの為にバスケ辞めるなよ。伝えたい事はこれだけなんだけど。
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