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scandal 3

『いいじゃん行こうぜ』 家に帰り着いてからも結構悶々と考えた。今最大のトラウマと対峙している真っ最中だというのに、その事よりも恋人の事で頭を悩ますのは意外と結構平和な事なのかもな、なんて事も頭の片隅には浮かんだが、それでもその恋人に関する悩みが結構深刻だったからとても能天気にはなれなかった。 そんな時、柚季から久しぶりに電話がかかってきた。その第一声が『これから飲みに行こう』だった。 「だから今は会えないって」 紫音と会えないのに柚季と会う訳にはいかないし、それに夜の、しかも酒の席なんてもっての他だ。 『へー。そんな事言っていーのかなー?』 「どういう意味?」 『紫音に会いたくねえの?』 「は?」 『紫音だよ、紫音。会わせてやるって言ってんの』 「どうやって?会えるわけないのに」 柚季は週刊誌の事もそれによって俺と紫音が会えなくなっているのも知っている。なのに、何を言っているのだろう。 『春に会えなくなってから、紫音ヤバいんだろ?全然覇気がないらしいじゃん。このままじゃシーズン始まっても使い物にならないんじゃないかって言われてるぜ』 「本当に……?」 そこまで問題は顕在化しているのか。早くどうにかしないと。でもどうして……。 「なんでそんな事柚季が知ってるんだよ」 『俺だって別に知りたかなかったけどよ、忘れた?俺の周りには紫音オタクがいるだろ?』 紫音オタク………? ――――思い出した。中谷先生だ。いや、中谷「元」先生。 中谷先生はいきなり学校をやめた。家業に専念するとか何とか言って、突然無断欠勤してやめた。 自分のクラスを持っていなかったことが幸いだったが、校長も教頭もカンカンだったし、もしかしたら懲戒解雇のような形になっているのかもしれない。 『その紫音オタクの一葉さんがさぁ、毎日毎日うるせんだ』 中谷先生は、まだ紫音の事を諦めたわけではないのか…。いや、ただ純粋なファンというだけなのかもしれないし、余計な詮索はよそう。今は紫音とバスケの問題だけに集中しなければ。 「それで、それとさっきの紫音に会わせるっていうのはどう繋がるんだよ」 会えっこないってわかってるけど、もしも本当に会える物なら俺だって会いたい。会って、俺が大丈夫なことも、バスケに集中しろってこともちゃんと伝えたい。会って話せばわかってくれる様な気がするのだ。 『紫音を回復させるには、お前と会わせるしかないだろ』 「会わせるって言っても、会えないから会ってない訳で……」 『だから、俺の所に来れば会わせてやるって言ってんじゃん』 「どうやって?」 『それはまだナイショ』 「……お前、俺のこと騙そうとしているだろ」 『しつれーな奴だな。俺がいつ春のこと騙した?悪いこと言わねえから来いって。紫音の為にもお前の為にも、絶対来た方がいーぞ』 何か方法があるのだろうか……。芸能の仕事をしている分、そのあたりの事は当然ながら柚季の方が詳しい。何か周りの目を欺く様な抜け道を知っているのかもしれない。 『後悔しても知らねーぞ』 俺が黙ったままでいたから柚季が追い討ちをかけてきた。 「……どこに行けばいい?」 紫音をこのまま放っておくことなんてできない。紫音が思い詰め過ぎて再起不能にでもなったら大変だ。会わせられるという柚季の言葉を、信じるしかない。 * 呼び出されたのは居酒屋でもバーでもなく柚季の所属する芸能事務所だった。 大手だけあって警備員が立っていて物々しい雰囲気だった。受付の女性に名前を伝えて案内された先は、美容室みたいに鏡と椅子が向い合せに置いてある部屋だった。 「よー春。久しぶり」 部屋についてすぐに柚季と、その後ろにもう一人男の人がついてやってきた。 「一体どうするんだよ」 「まぁまぁそう焦るなって。あ、この人今日春を担当してくれる新美(にいみ)さん」 「よろしく」 「よ、よろしくお願いします」 柚季に紹介された新美さんという30代前半くらいのお洒落な男性に笑顔を向けられ思わず挨拶を返してしまったが、一体何をよろしくお願いすればいいのかよくわからない。 「じゃあ、早速始めるかな。そこ座って」 「え……」 「その椅子」 新美さんにきびきびと指示されて、また思わずその通りにしてしまう。俺は鏡の方に向いていて、新美さんが俺の後ろに立った。 「柚季、こんな可愛い子どこで見つけてきたんだ?これ地毛?すっごい綺麗だね~」 「可愛いっしょ?俺のこれ」 新美さんが美容師さながらに後ろから俺の髪を触っている。そして、斜め後ろからは柚季の声。『俺のこれ』って言い方がなんか嫌だったけど、美容室に来た時みたいに無闇に頭を動かしちゃいけない様な気になってしまい、振り向けなかった。 「あの……」 「なんだお前、両刀だったのか」 「まあね」 「あんまり派手にやるなよ」 「だいじょーぶ。そっちの方はこいつだけだから」 二人が楽しそうに会話する中、俺は完全に置いてけぼりだった。話の内容もさっぱりだし、もう本当にこの状況は一体何が何だか……。 「それにしても本当びっくりするくらいの美人だし、色白だねえ。合うファンデあるかな……」 「粉はいらないんじゃね?こいつすげー肌もきれーだし」 「確かにそうだな。髭も生えてないし、肌理も細かい。凄い透明感だ。俺、こんなに綺麗な男の子に会ったの初めてかも……」 「だろ?アイドルもびっくりだよな」 「いや本当に。職業病かな、つい見惚れてしまうよ」 新美さんが鏡越しに俺の顔をじっと見た。何か検分されているかの様な視線に思えて、凄く居心地が悪い。 「気持ちすげーよく分かるんだけどさ、あんま時間ねーんだ」 「おっとそうだった、悪い悪い。それじゃあアイメイクからとりかかるかな」 「なるべく原型とどめないようにやっちゃって」 あいめいく?あいめいくって……? 新美さんがこれまた美容室でよく見る移動式ワゴンから手に取ったパレットには、何か色々な色の塊が乗っていて、手には筆を持っている。これからいきなり絵を描くという訳ではなさそうだから、あいめいくの指す所は一つしかない様に思える。 「あの、ちょっと待ってください」 「何?」 新美さんがさっきの鋭い視線とは一転、にっこり笑って聞き返した。つい絆されそうになる笑顔だが、だからって流され続ける訳にもいかない。 「それって化粧道具ですか?」 「そうだよ」 「あの、俺、男なんで化粧はいらないし、なんでここにいるのかもよく分からないんですけど」 「ハハハ…君面白いね」 「え……」 「男なのはちゃんとわかってるよ。でもここには変身しに来たんだろう?」 「変身…?」 「もー春は相変わらず鈍いな。お前がそのままの姿だったらすぐ記者とかに嗅ぎつけられるだろ。だから俺が新美さんに頼み込んで特別にお前を変身させてやることにしたの!」 変身…?化粧で変身?ハロウィンの仮装みたいな、化け物に変身?でも、今ハロウィンじゃないし、逆に浮くんじゃ……。 「確かにそうだけど、余計目立つよ」 「だいじょーぶだいじょーぶ。ちゃんと違和感なく仕上げるから、新美さんが。ね?」 「ああ、大丈夫だよ。君ならとびきり自然に、しかもめちゃくちゃ可愛くできると思う」 自然に?可愛く……? 「でもこんな時期に男が化粧してたら違和感しかない気が……」 「時期…?っていうのはよくわからないけど、その他は心配いらないよ。俺の腕を信じて」 腕を信じる……? 「………どういう事ですか?」 首を傾げる俺に柚季が盛大なため息をついた。 「ほんっとわかんねえ奴だな。お前はこれから女の子に変身すんの!紫音に近づくならそれが一番自然なんだから」

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