129 / 236

scandal 7

柚季に手をひかれて踏み込んだ店の中は薄暗かった。奥からは男女の賑やかな声が聞こえてきて、まだ入り口に立っているだけだというのに早くも怖じ気づきそうだ。 「すみません今日貸し切りなんですよ」 慌てて駆け寄ってきた店員が言う。 「俺とこの子も参加者ね」 柚季が帽子とメガネを外すと、店員はすぐさま道をあけた。柚季の顔はまるで水戸黄門の紋所みたいだ。 「行くぞ」 柚季に再び手を引かれる。行くしかないのだ。それなのに、今になって逃げ出したい気持ちが溢れだしそうな程沸き起こってきた。 ああ、どうしてこんな事に。 こんな、わざわざ合コンなんかに参加しなくても、紫音に会う方法は他にもあったんじゃないのか。 でも、これでこのまま帰って紫音が中谷先生の策通りに誰かと間違いを犯してしまったら嫌だし、やっぱりこうするしか方法はない……のかもしれない。 ずんずん歩く柚季に連れられて、だんだんと人影がはっきりしてくる。 一団が囲っているのは、店の中央に置かれた大きな楕円形のテーブルだ。 店自体はこじんまりとしているが、そのテーブルを除くと周りはすべて半個室になってる様でカーテンの仕切の奥にテーブルの席や、小上がりになっている席がいくつかあった。 「よー。盛り上がってる?」 柚季が声をかけると、賑やいでいた一団が一瞬静まり返り、視線がこちらに集まる。 うわー……最悪だ。見るな。こっちを見ないでくれ。 紫音がどこに座っているのか確認したかったのに、いきなり向けられた大勢の視線をまともに受ける事ができなくて下を見ることしかできない。 「柚季!?」 女の子の一人がびっくりした様な声をあげて、周囲もざわついた。 女の子達は口々に「柚季じゃん」とか「柚季さんだ」とか、「あの子誰?」とか言っている。 「俺も参加させてー。男が増えた分女の子も連れてきたからさ、いーだろ?」 柚季遠慮もへったくれもなくちょうど空いていた端の席に座って、その隣に俺を座らせた。 「女子には自己紹介いいよな。って訳で、サンフィールズの皆さん初めまして。秋良柚季といいます。今日はよろしくー」 「あんた見たことあるぜ!CMに出てるだろ?」 柚季の隣の席に座っていた勝瀬さんが言うと、紫音のチームメイト達も口々に「そういえば…」と言い始めた。 あんまりこっちに注目を集めないで欲しい。俺は空気の様な存在でいたいのに…。 けど、遅れて参加するという一番目立つ登場をしたからには、注目を集めずに済む方法はなかった様で…。 「で、秋良君が連れてきたそっちの女の子はなんてお名前なの?」 勝瀬さんが軽い調子で言った。が、俺の頭の中は大パニック状態だ。どうすればいいんだ。大体名前なんて考えてないし、女のふりしてるのにそのまま春じゃおかしいだろうし……。 さっきまでは柚季のついでに見られていただけだったのに、今度こそみんなの視線が俺に突き刺さっている。余りの緊張に顔が熱くて頭が沸騰しそうで、なんかクラクラしてきた。 「柚季……」 「この子すげー恥ずかしがり屋なの。名前はハルコちゃんって言うんだ。よろしくな」 倒れてしまう前に小声で柚季に助けを求めると、柚季が助け船を出してくれたから、いきなり卒倒することはなんとか免れた。 ……本当に助かった。自己紹介さえ済んでいれば、あとは黙っていても大丈夫だろう。みんなが雑談に戻ったら、後はゆっくり紫音を探して、そして、うーんと、紫音にどうにかして話しかけて、俺だって気づいてもらって……。 「ハルコちゃんもモデルなの?」 そう思っていたのに、こっちに向けられる視線はまだ止まなかった。今度は誰か知らない声の主が『ハルコちゃん』に話しかけてきた。 「違う違う。ハルコちゃんは一般人だよ。だからきれーなモデルやカッコイイバスケ選手に囲まれて緊張してるみたい」 また柚季が代わりに答えてくれる。ありがとう柚季。本当に。 「そうなんだ。モデル並みにスタイルいいし可愛いのにね」 「だろ」 「もしかして秋良君の彼女?」 「いやーそれが残念ながら違うんだよな」 「お待たせしました~」 店員が俺と柚季の前にビールジョッキを置いた。誰かが頼んでくれていたらしい。 「取り敢えずビールでいーよな?んじゃ、メンバーも増えたって事でもう一回かんぱーい!」 勝瀬さんが半分も残っていないビールジョッキを持ち上げた。周りのみんなもそれに倣ったから、俺も同じようにした。 柚季とその隣の勝瀬さん。そして勝瀬さんの隣の紫音のチームメイトと乾杯をする。柚季とは反対側の俺の隣に座っている女の子と、その隣の女の子とも。 楕円のテーブルの手前側に男、奥に女と分かれて座っているが、円形なので端は男女が隣になる。 俺の列にずらっと10人くらい座っている女の子達は、みんなモデルってだけあってぱっと見ただけでもすごく美人な子ばっかりで、少しドキドキしてしまうくらいだ。グラスを握る爪の先まで完璧に綺麗にしてあって、こんな子たちを差し置いて紫音は本当に俺を選んでくれるのだろうかと不安になってしまう。 あ、そうだった。ともかく早く紫音を探さないといけないんだった。 乾杯を終えて注目から逃れたおかげでようやく顔を上げられた。 勝瀬さんの隣の隣から一人ずつ顔を流し見ていく。薄暗いせいでとても見づらいが何人かの男と目があった。中には高校や大学時代に試合で当たって見知っている選手もいたけど、昔の話だ。俺の事自体覚えているか疑問だし、気付かれる事もないだろう。 そしてようやく紫音を見つけた。 俺から一番遠い端の席だ。他の男とは結構な確率で視線があったというのに、肝心の紫音は全くこっちを見なかった。 隣に座っている女の子が甲斐甲斐しく何事か紫音に話しかけていて、でも紫音はつまらなそうな感じでただ相槌を打っている。 心ここにあらずといった様子で、やる気も覇気も全然ない。いつも太陽みたいな紫音が、今日は全然笑っていない。 バスケをしている時もあんな感じなのかな……。あんな状態を見ていたら、誰だってなんとかしたくなる。中谷先生が心配するのも当然だな……。 「あれあれ?そこにいるのは紫音君かい?」 俺が紫音を見つめていたのを知ってか知らずか、柚季が芝居がかった声で言った。 紫音はめんどくさそうにこっちを……柚季を見た。そして、俺が見たこともない様な怖い視線を柚季に向けた。 「なんだよ睨むなよ。俺達の仲だろ」 「うるせえ。話しかけんな」 「んだよノリわりーな。なぁ、春」 柚季の最後の呟きは俺にだけ聞こえる小さな声だった。 ノリがどうのというよりも、俺は紫音の怖い顔を見る機会がほとんどなかったから、それに圧倒されてしまっていた。 それに、紫音は俺にびた一文の目線もよこしてくれなかった。 考えてみれば俺はこれまで紫音の眼中に入らなかった事なんてなかった。紫音はいつも俺を気にかけてくれて、俺に優しい視線を向けてくれていたのに、「ハルコちゃん」は紫音にとって何の興味の対象にもならない存在だった。正に空気だった。 俺がこんな格好をしているから、紫音に気付いてもらえなくて当然だ。 でも……どこかで紫音は俺がどんな風になっても気づいてくれるのではないかと期待していた部分があったから、紫音から空気の様に扱われた事は少なからずショックだ。 「春、大丈夫?」 「うん…」 「席替えターイム!」 勝瀬さんが突然大きな声を出した。席替え…って。 「なぁなぁ、ちょっと早くね?」 柚季が勝瀬さんに言ったけど、勝瀬さんは首を振る。 「せっかくこんなに可愛い子ばっかりいるのに、むさくるしい男の隣になんて座ってられるかってんだ」 勝瀬さんの意見は、他の男も賛同のものらしい。女の子たちもクスクス笑いながら満更でもない様子だ。焦っているのは俺だけ。 「春、残念だけど」 柚季が申し訳なさそうに言った。 「俺、どうすればいい…?」 「ふつーにしてればだいじょーぶ。あ、けど『俺』はなしな。紫音の隣……は、もう埋まっちゃってるな。ま、タイミング見て話しかけにいけよ」 できるだろうか…。紫音の両隣はびっくりするくらいすぐに埋まってしまった。両隣どころか、その周りにもさらに2人の女の子が集まっている。すごい人気っぷりだ。 「そこいいか?」 「あ、わりい。んじゃ、頑張れよハルコちゃん」

ともだちにシェアしよう!