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scandal 10

「ハルコちゃん、大丈夫?」 ヒロキとワタルが控えめに言った。 俺は二人の目からは紫音に失恋した可哀想なやつという風に映っていることだろう。実際、俺の気持ちとしてもかなりショックが大きくて、今すぐに紫音に追い打ちをかけに行く勇気は持てなかった。 「っ…」 しかも、今の今まで忘れていた右足も突然痛くなってきた。こんな足で走ったりしたから、また変に捻って痛めたのかもしれない。 「足どうかした?」 「こっち、座って」 ヒロキとワタルが心配そうに駆け寄ってきて、傍の椅子を指し示した。ここなら紫音が戻ってきた時に再び話しかけられるし、ともかくただ立っているだけでも痛いから、言われた通りに座ることにした。 「ちょっと見せて」 「!!だ、大丈夫!そんな事しなくていいよ!」 ヒロキが俺の足元に跪いたから椅子から飛び上がるくらい驚いたけど、実際は身体を支える脚が片方使い物にならなくて身を引くくらいしか出来ていない。 「俺、大学でスポーツ医学習ってたから」 ヒロキは俺の制止も聞かずに俺の右足を持ち上げて自分の膝に乗せると、靴を取り去った。 「――――――!!!」 足なんか汚いし、それに足の形とかサイズを見られたら男だって絶対ばれるじゃないか!! 俺は言葉も出せない程に焦っていた。でも、この状態で暴れる訳にもいかず、せめてじっとしていることしかできない。 幸いにも、ヒロキは俺の足の形とかサイズにはさして注意を払った様子もなく、真剣に痛めた足首を診てくれている。 「結構腫れてる。こうしたら痛い?」 ヒロキがゆっくり足首を内側に捻った。 「痛い…」 「こっちは?」 今度は外側だ。 「大丈夫」 「多分捻挫だね。骨までは大丈夫だと思うけど、この腫れ方だと靭帯が少し切れてるかもしれない」 「え…」 靭帯って結構大事なんじゃ……。 「大丈夫だよ。ちゃんと治療すれば後遺症は残らないし、1か月くらいで運動だってできる様になるから」 ヒロキのその言葉を聞いてほっと胸をなで下ろす。指導者としてバスケが出来なくなるのは困るし、紫音とだってたまにはお遊びのバスケがしたい。 「ハルコちゃん、立てる?」 「え?」 「言ったでしょ?ちゃんと治療しないと。椅子に座ってたんじゃ悪くなる一方だから、あっちの小上がりの部屋に行こう」 小上がりの部屋って、個室じゃないか。そんな所に籠っては紫音に会えない。 「このままここに座って安静にしてたんじゃダメ?」 「ダメだよ。鬱血しちゃうから」 どうしよう……。 でも、初めに捻った時よりも確実に痛みが増しているし、悪化してしまったのは言うまでもない。ヒロキの見立ては信用できるし、言ってる事も的確だ。ちゃんと応急処置しないで後遺症なんて残ったら………。 「おぶろうか?」 なかなか動こうとしない俺を、動けないせいだと勘違いしたらしいヒロキにそう言われて、ようやく決心した。 「大丈夫です。自分で行けます」 まずはお言葉に甘えて応急処置をして貰おう。 紫音のいる部屋がどこなのかは分かったし、ヒロキが指さしている部屋は紫音の部屋の隣の部屋だから、何か不穏な空気を察したらその時こそ壁を殴るなり蹴るなり何とかして止めればいいし。 片足跳びで部屋まで移動すると、靴を脱いで小上がり席に上がる。 真ん中に置かれたテーブルは掘りごたつになっていて、その周りの板間に座布団が4つ置かれている。 ヒロキの指示で、俺は板間に足を伸ばして座った。ヒロキはテキパキと俺の痛めた方の足を丸めた座布団の上に乗せて高くすると、タオルで簡易的に足首を固定してくれた。その上からワタルが店の人から貰ってきてくれた氷の袋を当ててくれた。 「包帯とかテーピングがあればもっとよかったんだけど」 ヒロキが申し訳なさそうに言った。でも、申し訳ないのはこっちの方だ。こんな時にこんなドジをやらかして迷惑をかけてしまっているのだから。 「そんな、十分です。本当に助かりました」 「ハルコちゃんの役に立てて嬉しいよ。勉強してた甲斐があったな」 「ちぇー、俺も勉強しておけばよかった」 ワタルが悔しそうに言う。ワタルだってタオルや氷を借りてきてくれたし、すごく感謝している。 「二人のおかげです。ワタルもありがとう」 「『航』だって!」 ワタルがなぜか目を輝かせて言った。 「俺の事も名前で呼んでよ、ハルコちゃん」 ヒロキが少し悔しそうに言う。 「え?えっと、ヒロキ…さん。ありがとう」 「えー。俺の事も呼び捨てでいいのに」 そう言うけど、ヒロキは多分年上だ。年上相手に呼び捨てってなかなかしづらい。 「でもま、亭主関白心は揺さぶられるけど」 「亭主関白心って何すか~」 ヒロキもワタルも楽しそうだ。 俺は結構二人に失礼な態度をとったというのに、二人ともちっとも怒っていないどころか本当に親切にしてくれて、やっぱり紫音のチームメイトはいい奴ばっかりなんだなあと感心するばかりだ。 「あの、お、私は暫くここでこうしているので、二人はもうここにいてくれなくて大丈夫ですよ」 それでもさすがにあんなに露骨に紫音の元に走って行った俺(ハルコちゃん)にはもう興味はないだろう。同じく紫音の 元へと行ったミホちゃんとやらの事もあっさり諦めた様だったし。 「ハルコちゃん、そんな水臭い事言わないでよ」 「そうだよ。だって紫音の事はもう諦めただろう?」 「いいえ、諦めていませんよ」 さっきは、ちょっとびっくりしすぎて心が折れそうになってしまったけど、次こそはどんなに邪険にされようと紫音に俺(ハルコちゃん)が俺だって分かって貰うんだ。俺はその為に来たんだし、その為にここにいるんだから。 「ハ、ハルコちゃんって意外とガッツあるんだ」 「い、一途なんだね」 心なしか二人は引き気味だ。その時―――。 「ハルコちゃーん?ハルコちゃんいるー?」 聞き覚えのある呼び声の後に、部屋のカーテンが開かれた。 「いたいた。……って、何?どうしたの?」 顔を覗かせたのは案の定勝瀬さんだった。明らかに怪我をしましたという感じの俺の足を見てびっくりした顔をしている。 「ちょっと、足を挫いてしまって」 「え!?誰にやられた!?」 勝瀬さんが凄く焦った様に聞いてきた。何でそんな、加害者がいるみたいな感じで聞いてくるんだろう。 「いえ、」 「おいおい勝瀬、俺達が何かしたって言いたいのか?」 自分で勝手に捻っただけ。そう答えようとしたが、ヒロキの抗議の言葉に遮られた。 「そうじゃないけど……さっき秋良くんに『ハルコちゃんが無事か確かめて欲しい』って必死な調子で言われたもんだから、なんかこっちも焦っちゃって…」 柚季が……?俺の姿が見えなくなったから心配してくれたのか……?それにしても大袈裟だな。 「秋良って、ハルコちゃんと一緒に遅れて来た奴だろ?」 「そ」 「なんだよあいつ。ハルコちゃんの男気取りかよ」 「秋良君は秋良君で楽しんでるみたいだったけどね~」 機嫌の悪いヒロキに対して勝瀬さんが意味ありげに言った。 「へー。それで、誰と?」 「アオイちゃんって言ったっけ?紫音の隣に座ってた子。紫音にあんだけ熱上げてたのにあっさり乗り換えるなんてあの子もすげーよなぁ」 ヒロキと勝瀬さんの会話を聞いて勝手に推理する。 柚季と部屋にいたのが紫音の隣に座っていた子だったって事は、紫音の残る取り巻きの女の子は3人って事か。紫音は他の3人の女の子達全員と個室にいたのだろうか。でも、そう言えば紫音がいた部屋は静かだった様な気がするし、今も隣の部屋から女の子の声もしてこないから、3人全員と……ってより、誰か特定の1人と一緒だって考える方が自然かも。紫音が1人に絞ったから、アオイちゃんも紫音を諦めて柚季といたのかも……。 ――――って、俺何考えてんだ!紫音がそんな、浮気みたいな事自らする筈ないのに! 「ハルコちゃん」 気がついたら、目の前に勝瀬さんが屈んでいて俺の顔を覗き込んでいた。 いつの間にこんなに近くに……! 「ほんっと可愛いねぇ。俺、最初に君を見た時からずっと思ってたんだけど、俺達どこかで会ったことない?」 ギク……。 やばい。勝瀬さんはやばい。勝瀬さんとは去年沢山話もしたし、食事もしたし、バスケもしたし、ともかく自分の事を知られ過ぎている。 「勝瀬、古典的すぎるぞ」 「そーじゃなくて。本当に絶対どっかで会ったことあると思うんだよなぁ……」 どこだったかなぁと考え込む勝瀬さんのせいで冷や汗が凄い……。このままじゃ俺が男だってことだけじゃなくて、その正体までバレてしまう……。 「トシアキ~何してるの~??」 俺のピンチを救ったのは、酔っ払い独特のふわふわとした声だった。その声と同時にこの狭い個室内にわらわらと3人の女の子達が入って来たから、俺は呆気に取られた。 「他の奴らは?」 「みんな潰れちゃったわよ~」 「君たち強すぎ~」 「だって飲むしかないっしょ~」 1人動じていない勝瀬さんが女の子達と会話をしている。………トシアキって勝瀬さんの名前か。 「ワタル、やっぱりその子の所行ってたのね」 「ミ、ミホちゃん……」 「ほんとムカつく~。いきなり柚季とイチャラブで現れたらかと思ったら、今度は別の男捕まえて逆ハーしちゃってさ~」 ミホちゃんと呼ばれた女の子が俺に敵意剥き出しの視線を向けている。柚季とイチャラブ……って、ラブラブとかイチャイチャって意味だよな…? ………あ、手を掴んでいたからそう思われてしまったのか。もしかしてこの子は柚季が好きだったのだろうか。それなら変な誤解を生んでしまって申し訳ない事をした。でも、確かこの子はワタルといい感じで、その後紫音の所に行った子じゃなかったか……? 「まあまあミホちゃん落ち着いて……」 「この子が紫音君以外のイケメン独占してるから、私たち余り物と飲むしかなかったんじゃない!」 「余り物って、酷いなぁ~」 ………酔っ払いの女の子は恐い。直接文句を言われている俺は元より勝瀬さんもタジタジだ。 「おい勝瀬、この子達連れて自分の部屋に帰れよ」 ヒロキが小声で勝瀬さんに言ったが、この狭い室内で内緒話なんてできる筈もなく。 「なぁに、私たち邪魔者?」 「ヤダ最低!超ムカつく~!」 「ま、まぁまぁ、あっちで飲み直そう!航も一緒に!ね!」 「えっ、俺!?」 勝瀬さんがワタルを無理矢理引き摺りながら、ブーブー文句を言う女の子達も連れて部屋から出て行った。 残ったのは俺とヒロキだけで、嵐が去った後の静けさを思わされた。

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