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my secret/another story
類は類を呼び友は友を呼ぶ。
最近読んだ自己啓発本にも、こんな様な事が書いてあった。
人間にはレベルみたいな物があって、上のステージにいる人とは交じり合いたくても交じりあえない。自分の周りにいる人は自分と同じレベルもしくは自分以下のレベルの人で、それ以上のレベルの人は向こうから近づいてきてはくれないのだと。上のステージに行きたくば、よい行いをしろ。何事にも一生懸命取り組め。陰口を言わず、いつも笑顔で。好きな人にも嫌いな人にも感謝の気持ちを持て。
確かに、本を読んだ直後はほんの少し自分のレベルが上がった様な気になった。いい行いを沢山して、勉強も頑張った。いつもニコニコ、寝る前には沢山の人にありがとうを言いながら眠った。
でも、ある時ふと思った。こんな事を続けても、いくら自分を磨いても、住む世界の違う人とは交じり合えないんだろうなと。どんなに手を伸ばしても、雲の上には届かないのと同じ様に。僕の新しい扉を開けてくれた憧れのあの人は、今どんなステージにいて、どんな人達と笑い合っているのかな。
my secret
キーンコーンカーンコーン……。
4限目の授業は英語だ。
英語の授業は、特に楽しい事のない僕の学校生活唯一の楽しみとなっている。あ、唯一なんて言い方をしては一応仲良くしている友人に申し訳ないか。言い直すと、女子のいないこの男子校での生活の中で、唯一胸が高鳴り、心が躍る様な、それでいてオアシスの様な安らぎや癒しまで与えられる時間なのだ。
チャイムが鳴り終わってすぐ、扉が開いた。
「きりーつ。気をつけ。礼」
今日の日直の黒野の号令がかかる。僕は扉が開いてから先生が教壇に立つまで先生に釘付けだ。「礼」の号令の所でも先生を盗み見ている。先生は、いつも律儀に生徒と一緒に綺麗な礼をしてくれる。その時に柔らかな髪がサラサラと流れるのを見るのが好きだ。
「それじゃあ今日は前回の復習から」
先生が白くて細くて長い指で教科書を捲り、高過ぎも低すぎもしない心地よい声で英文を朗読した。
「I have never seen such a………」
僕は教科書に軽く目を伏せる先生の顔ばかり見つめている。いや、見惚れている。だが、ぼーっと先生を見つめている生徒は僕だけじゃない。強面でも怖くもない椎名先生の授業が全く荒れずに私語も全然ないのは、僕達の学年では飛び抜けて目立っていて、牛耳っていると言っても過言ではない黒野が目を光らせているのも多少はあるが、椎名先生の奇跡の様な美貌に皆が見惚れているせいというのが大きな要因だろう。
「それじゃあ……」
前回の復習であるページの英文を読み終えた先生が、顔を上げて教室を見渡した。ああ……いつ見てもなんて美しいのだろう。目の色や髪の色は外国人の様だけど、顔立ちは生粋の外国人の様に濃い訳でもなく、でも目はおっきいし、横顔のラインも凄く綺麗だし、コーカソイドとモンゴロイドのいいとこ取り。今流行りのハイブリットってやつだ。
そんな事を考えながらいつもの様に先生の顔に見惚れていると、先生と目が合った。目があった途端先生はニコッと僕に笑いかけたものだから、ドキドキと心臓が凄い事になっている。ああ……すごく、綺麗だ……。
「Mr.Hoshino、宿題はやってきたかな?」
「!は、はい!」
うわあ、椎名先生が僕に話しかけてる。他の授業で当てられるのは苦痛だし緊張するだけだが、椎名先生に当てられるのは嬉しい。ただ当てられてるだけなのに、話しかけられたって思えるからだ。だから、いつもと違った胸の高鳴りがあっていつもの倍緊張してしまう。
「じゃあ、前に出てきて板書して」
「はいっ」
ぎくしゃく立ち上がって黒板に向かう。憧れの椎名先生が凄く近い。横を通り過ぎる時にふわりといい匂いがした。香水とかのどぎつい匂いじゃない。もっと自然な香り。花とか果実みたいな。
椎名先生は男なのにどうしていつもいい匂いがするんだろう。毎朝シャワーを浴びているのかな。椎名先生とシャワー。しずかちゃんとお風呂と同じくらい似合う…。でももう4限目だし、午前だろうと午後だろうといつもいい匂いだから、きっとシャワーのお陰だけじゃないと思う。椎名先生の匂いが、いい匂いなんだ。きっと。
「ありがとう。戻っていいよ」
板書を終えた僕に椎名先生が言った。「ありがとう」も「戻っていいよ」も、どの先生よりも柔らかくて優しい響きだ。椎名先生の言葉は丸い。滑舌が悪いとかそういうんじゃなく、響きが丸い。棘がない。
また近くを通る時にいい匂いを胸いっぱいに吸い込んでから席に戻った。頭が少しクラクラする。よく買う漫画雑誌にたまにフェロモン香水みたいな広告が載ってるけど、それってこんな匂いなのかな。だったら欲しいな……。
「I have never seen a parson as pretty as you.」
僕が黒板に書いた英文を椎名先生が丸くて高くもなく低くもない心地いい声で読み上げ、最後にGreatと言ってくれた。
椎名先生を思いながら考えた文が椎名先生本人に読まれ、しかも誉められるのは何とも気恥ずかしい。顔が赤くなっているんじゃないかと思うと顔が挙げられない。椎名先生を1分、1秒だって長く見ていたいのに。
中学までは共学だったけど、僕はこれまでこんなに綺麗な人を見たことがなかった。男なのに、どうしてこんなに美しいんだろう。肌も髪も色素が薄くて透き通る様だ。中性的とはこの人の事を言うのだろう。当然ながらいつもちゃんと男性の格好をしているから男性にしか見えないけど、もしも女性の格好をしたら女性にしか見えないのではないだろうか。椎名先生の女装姿、見たいなぁ。学祭とかでしてくれないものかなぁ。
椎名先生は見た目だけでなく中身も美しい。いつも柔らかい物腰で、先生だけど偉ぶった所は全然なくて礼儀正しい。でもどこか凛とした雰囲気を纏っていて、間違った事には毅然とした態度を示す。授業も解りやすくて英文を読み上げる時はどことなくセクシーだし、発音もいい。しかも顧問を勤めるバスケ部は椎名先生が来た途端強豪の仲間入りとなったし、噂によるとそのバスケの腕は椎名先生自身プロ級というから、漫画に出てくる完璧超人の様で舐められる事もないどころか一目置いている者も少なくない。
だって顔よし性格よし頭よし運動神経よしって、天は何物与えてるんだという感じだ。
「椎名せんせー」
先生が僕の英文の説明を軽くして、次の問題に移ろうとしていた時だった。
へらへらとふざけた調子で手を挙げたのはあまり素行のよくない男子だ。こいつは椎名先生に限らずどの先生に対しても礼節を持たない下品で粗野な生徒だ。
「どうした宮田」
「このyouって、椎名せんせーの事じゃね?」
ギクッとした。寄りによって宮田にばれた。椎名先生が訳してくれたから勉強のできない宮田にも意味は通じて当然だが、だからって僕の意図までこんな奴にばれてしまうなんて。恥ずかしい。でも、確かに恥ずかしいけど、その感情よりも先に宮田への嫌悪と怒りを覚えた。宮田の言い方が、椎名先生を見下しているかの様ななんとも嫌な言い方だったのだ。
「prettyは男性には殆ど使われない表現だから、違うな」
だが、椎名先生はその明らかな嫌味発言にも顔色一つ変えなかった。逆にわかっていながら敢えて事務的に返事をしている風だったそれが、宮田の癇に障ったのかもしれない。
「椎名せんせーにはちょうどいいんじゃねーの?だって椎名せんせーって青木紫音と、」
「オイ宮田、黙れよ」
宮田の問題発言に地を這うような低い声で注意をしたのは黒野だ。この時ばかりは黒野に拍手を送りたかった。黒野は一見キラキラしたイケメンで他校にもファンがいるアイドルなのに、その正体は結構黒いと思う。腕っぷしがどうのとかよりも、雰囲気が。あいつには逆らっちゃいけないみたいな何かが黒野にはある。僕なんかは恐くて話しかける事すらできない。そしてそれは大なり小なり宮田も同じらしく、不満気に「けっ!」と吐き捨てた後は授業が終るまでずっと黙っていた。
椎名先生とバスケ選手の青木紫音の噂は、週刊誌を見た生徒から瞬く間に広まり、もうこの学校に知らない生徒はいない。
元々噂はあったのだ。
青木紫音がお忍びで椎名先生が顧問を務めるバスケ部を見に来たとか、椎名先生を学校まで送って来た(しかも歩きでだ)という話がまことしやかに囁かれていた。残念ながら僕はどちらにもお目にかかっていないが。
その噂を、宮田みたいに面白半分でからかう連中もいないことはない。が、かなり少ないと思う。宮田よりももっともっと下品な事(ヤらせろとかそういう系)を言ったという隣のクラスの男子は、後に黒野に制裁を受けたという話だ(噂だけど)。だから、宮田の様に直接口に出す生徒は少ないけれど、心の中では皆どうなんだろうって思ってる。男同士って事になるし、椎名先生が綺麗すぎるからこそ、好奇の目は尽きないし、色んな妄想の種にもなってしまう。
僕は、二人の噂を信じる気持ちと疑う気持ちが半々……というか、信じたい気持ちと信じたくない気持ちが半々だ。
椎名先生を自分の物にできるなんて思っていないけど、誰かの物なんだと思い知らされたらがっかりするから信じたくない。でも、椎名先生の恋愛対象が男なら僕にも万に一つくらいのチャンスが…って少し心がウキウキするから(まあそれでも宝くじの1等が当たるよりも難しい確率だと思うけど)、信じたい気持ちもあるのだ。
「椎名先生最近ちょっと痩せたよな」
休み時間。何する訳でもないがいつも一緒にいる保田がポツリと溢した。
「黒野が止めてくれたからいいけど、宮田みたいなやつのせいで椎名先生心労が溜まってるんじゃないかな」
保田が小声で言った。かくいう保田も、椎名先生のファンだ(でもきっと僕程じゃない)。黒野だの宮田だの呼び捨てにしているが、本人達を前に呼び捨てなんて絶対できない。けど、僕達にも男のプライドはあるのだ。本当は怖いけど、同級生を怖がっているなんて知られたくない。
さっきの問いかけに何も答えなかった僕に、保田が続けた。
「椎名先生気にしてない風だけど、気にしてない訳ないよなぁ。なあ、俺達で何かできないかな?」
「何かって?」
「椎名先生を元気づけてあげられないかな?」
僕達で…?
僕はチラリとまだ教室内に残っている椎名先生に目を向けた。教壇を囲むように黒野やその取り巻きが集まって何やら談笑している。椎名先生はとっても綺麗な顔で微笑んでいて、心労がある様には、今は見えない。
いや、今だけじゃない。椎名先生はいつも凛としていて、優しい。余裕があって、切羽詰まったり悩んだりしている姿は見せない。いや、見せてくれない。
「椎名先生には黒野達がいる」
「俺達お呼びじゃない、か」
保田が言ったその言葉が胸にチクリと刺さった。
それと同義の事をそもそも自分が先に言ったというのに。
――――僕と黒野達はレベルが違う。そしてそれは椎名先生とも……。
*
何か大きな目的があった訳ではない。悪さを働くつもりもなければ、逆に善いことだってできやしない。
ただ、胸のモヤモヤを追い払いたかった。椎名先生と僕のレベルが違う事を認めたくなかった。椎名先生は「先生」でなくても僕みたいな人間にも優しくしてくれる人だ。黒野達みたいに僕達に無関心だったり、宮田達みたいに僕達を蔑んだ目で見たりしない。
時刻は午後7時30分。体育館は静まり返っていた。バスケ部の連中は部活を終えて帰った様だ。椎名先生はいつも体育教官室で残業をしているという噂だ。今日もそうだといいけど。
ドキドキしながら教官室を目指す。何て切り出そう。一応話のネタは用意してある。英語の英作文問題。それについて教えて貰うという事にしてある。実際、できる事はそれ以上でも以下でもないが、僕の目的はあくまでも椎名先生とお話することだから。僕なんて、黒野みたいな力も権力も度胸もない。毒にも薬にもならない。でも、それでいいのだ。それでも椎名先生はそんな僕にも優しくしてくれる筈だから。
教官室のドアの前で2回大きく深呼吸をした。いるかな?いないかな?もう一度深呼吸して、ノックをしようと手をグーにした時だった。
「いたっ…」
「固いな」
黒野と、椎名先生の声。いつも丸くて優しい椎名先生の声が、少し尖って聞こえた。
「最近、ご無沙汰だったから…っ」
「ちゃんと毎日ほぐす様言っただろ」
「っ…そうだったね」
「切れたら本当に大変だぞ」
「ん、しいちゃん辛そうだった」
「やる前もだけど、やった後も柔らかくしておいた方がいい」
「うん…だね」
な―――――!
なんだこれは!?
吐息混じりの黒野の声。そして会話の内容!
切れるってナニが?痛いってどこが?固いってナニ?やるって、ヤるってことなの!?
僕の頭の中で勝手に目眩く妄想が始まった。
頭の中で男前な椎名先生と乙女な黒野がウフンイヤンしている。
――――――椎名先生、タチだったんだ…。いや、会話の内容からしてリバって所かな。でもあの黒野がウケだとは……。
男同士の絡みの妄想が容易いのは、椎名先生と出会ってから読むようになったBL漫画のお陰だ。いや、お陰と言っていいのだろうか。僕がしたいのはこんな妄想じゃなかった。もっとソフトな感じに留めておきたかった。僕はただ、椎名先生と話ができるだけで満足だったんだ。いや、椎名先生を漫画のウケに当て嵌めて妄想したことがないとは言わない。でもそれはあくまで妄想であって、実際に見聞きするのとは違って、それに、僕の中で椎名先生はこんな手練れた感じじゃなくて、キスするだけで真っ赤になる様な初な人だったのに―――――。
違う。全然違う。
こんなの椎名先生じゃない。
椎名先生は誰にでも優しくて、どんな相手でも差別したり拒絶したり無視したり蔑んだりしなくて―――。
でも…………。
なんとなく思う。あの声が、椎名先生の本来の声なんだと。
丸いばっかりじゃなくて、優しいばっかりじゃなくて、もっと複雑で、味わいのある声。時には棘も出す人間味のある、声。
僕がこれまで聴いていたのはよそ行きの声。よそ行きの、椎名先生。
優しくて丸い声の椎名先生は、よそ行きだ。椎名先生であって、椎名春じゃない。
例えば僕が椎名先生にしつこく付き纏ったとして、椎名先生は拒絶したりせずに優しく微笑んでいてくれるけど、椎名春は面倒くさいなとかうざったいなと思ったりするんだ。ほんの少しの棘を見せて、黒野なんかに愚痴ったりするのかもしれない。
椎名先生は黒野の前では椎名春なのかな。
―――想像してみる。あんな風に少し尖った声で僕の名前を呼ばれたら。他の生徒は丸くて優しい声で呼ぶのに、僕だけ少し棘を含まれたら。そして――――。
『初めてなのか?優しくしてやるよ』
これまでの妄想とは姿形を変えた(外見はまるきり同じだけど)椎名先生が、いや椎名春が僕の耳元で囁いて、僕の中に新しい扉が開いた。
「うわっ!」
あまりに妄想の出来が良すぎて思わず声が―――。
「あれ?何か声しなかった?」
黒野―――!
一瞬で妄想が霧散した。
逃げなきゃ!見つかる!ヤバい!逃げろ―――――!
僕はその場を一目散に逃げ出した。家に帰り着くまであり得ない程心臓がバクバクしていたのを今でも覚えている。
今思えばこの時が椎名先生と交じり合う最大で唯一のチャンスだった。
『生徒とナニやってるんですか?』とか言って、無理やり2人に混じる事も出来た。そうして優位に立った僕は椎名先生に攻められる事も、そして攻める事もできた筈だったし、そうなれば椎名先生の人生と僕の人生は交差したと言っても過言ではなかった。椎名先生を高いステージから引き摺り下ろして、僕の隣に立たせる事だってできた。………まぁ、そんな脅し文句を使える勇気は僕にはないのだが。
と言うわけで、残念ながら意気地のない僕と椎名先生の人生は、結局一度も交じり合わなかった。
椎名先生の中に椎名春を見てからと言うもの、話しかける勇気さえ持てなかった。僕は椎名春に名前を呼ばれたいと切望しながらも、椎名春に嫌われるのが恐かった。面倒な生徒だなと思われるのが恐かった。だから、僕はそれまで通り当たり障りのない大人しい生徒だったし、椎名先生はずっと優しくて丸い椎名先生のままだった。
あの頃には認めたくなかったけど、僕と椎名先生は確かにレベルだって違ったし、今や住む世界も違う。アイドルに何百万とつぎ込んでも握手しかできないのと同じ話だ。いや、それに引き換え椎名先生は握手程度なら無料でしてくれただろうし、一週間に何回も会えた(先生とただの生徒としてだけど)。スマイルだって匂いを嗅ぐのだって0円だった。
だから。同じステージに立てなくても、黒野みたいに特別な関係でなかったとしても、椎名先生と先生と(ただの)生徒の関係だったってだけで僕は誇らしいし、その人に新しい扉を開いて貰った事は僕の一生の思い出だ。
今僕は僕のステージで僕を愛してくれる人と出会い、幸せを手に入れた。背伸びや特別な努力をしなくても、自然体の僕を認めてくれる彼と。
初恋は叶わないからいいのだ。その方が妄想は捗る。今でもあの唯一で最大のチャンスの日の事を妄想して楽しんでいる事は、僕のトップシークレットだ。
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