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Will you…? 1

つい数時間前まで俺は、有り余る嫉妬心と怒りを全てバスケに注ぎ込んでいた。 観客席が目の端に映る度に、獣の様に咆哮したくなる程の激情を覚えた。実際、何度か吼えた。周囲の人間は、俺が気合い入りまくってる為だと思った様だし、試合は圧勝だったから良かったには良かったのだが―――。いや、でもよかったなんてやっぱり言えない。言って堪るものか。絶対に。 「ご馳走さま」 大きなマスク越しの控え目な声が耳に届いた。会計を終えて財布を尻ポケットに仕舞おうとしていた時だ。 「どういたしまして」 そう答えて最愛の人を見遣る。宝石の様な碧が、個性的なフレームのレンズの奥から覗いている。 「美味しかった」 唯一表情を窺える目がニコッと細められた。 高級な店とかいかにもデートな店には行けないから、所謂大衆居酒屋だったけど、二人で色んな物をシェアして食べられて、しかも意外と味もよかったので、俺達二人は大満足だったのだ。 でも……きっと今日ならどんな店でも美味しく感じたのだろうし、満足したんだろう。だって今俺幸せで仕様がない。 店を出て次の行き先までブラブラ並んで歩く。いつか堂々と手を繋いで歩きたい。その望みは叶う筈だった。俺が公衆の面前で女装したハル先輩にキスなんてしなければ。 そのせいで月1で女装して会うという約束は反故にされてしまったし、写真週刊紙の記者からリークされた写真を見たオーナーからは、ハルコちゃんとの密会も禁じられてしまった。だから、今日のハル先輩の格好は前回会ったときの格好とはかけ離れている。 でも、どんな姿であろうと、ハル先輩の可憐さは俺にとっては一ミリも違わない。手を繋いで歩いた時に「お似合いね」と思われるか「何あれ」と引かれるかの違いはあるけど、他人からの評価なんて俺にとっては関係ない。一応悪目立ちする事は避けたいので、ぐっと堪えて手は繋がないけれど。 例えすれ違う人間がハル先輩を二度見しようと、大袈裟に避けて歩かれようと、コソコソ何か言われようと、俺にとってこの人は世界で一番可愛いのだ。 さっきから小声でキモいを連発しているそこのチャラ男。お前はさっきまで居酒屋の個室で俺が見ていたこの人の姿を見たらひれ伏すだろうよ。帽子のせいでくしゃくしゃになってしまった髪型までが様になる美貌を持つこの俺の恋人にな! 「ふっふっふ…」 「紫音…?」 あ、しまった。心の中の笑みが声に出てしまっていたらしい。ハル先輩が大丈夫かと言いたげな視線を向けている。 いかんいかん。あまりに楽しくて、幸せすぎて顔が緩む。もしかしたらさっきから「キモい」と言われていたのは俺の方なのかもしれない。 ハル先輩が心配そうに俺を見ているから、理性を総動員させて口角を下げた。けど、すぐに緩んでしまう。だってこれは、手こそ繋いでいないもののれっきとしたデートだ。しかも2ヵ月以上ぶりの。 「ハル先輩、楽しいですね!」 「え?うん」 ハル先輩がいまいち俺のテンションについてこれていないのはいつもの事。そんな所も本当に可愛い。 「次はどこに行く?」 ハル先輩が俺を見上げて聞いた。周囲の視線は相変わらず冷たくハル先輩に突き刺さっていたが、去年はこの怪しい男スタイルで隔週俺の試合を見に来ていたハル先輩はどうやらそんな視線すら慣れてしまっているらしい。素顔を晒して歩いている時よりも心なしか堂々とさえしている。 「そうですね、ボーリングでもどうですか?」 「いいよ」 眼鏡の奥しか表情は読み取れないが、それでも十分だ。ハル先輩が微笑んでいるのが分かったから。俺とのデートを楽しんでくれている。ああ、なんて幸せなのだろう。つい数時間前まであんなにイラついてたのが嘘みたいだ。 今日は日曜日だけど、ボーリング場の混み具合はそこそこと言った具合で、待たずに済みそうだ。 受付に向かいがてらどこのレーンがいいか偵察をする。あんまりうるさそうなグループの側は嫌だな。あそことか、あそことか。 あ、あの辺大人しそうな女の子グループが多いし、いいかも………って――――。 「あれ~?春じゃん!」 「え?しいちゃん!?」 ピキっと、俺の幸せにヒビが入った音がした。 順調だった。物凄く完璧なデートだった。そしてそれは俺の実家に帰りつくまで、いや帰りついた後までずーっと続く筈だったのに……。 「まじー!?こんな所で会えるなんて!でも、本当にしいちゃん?」 「俺が春を見間違える訳ねーじゃん。ご丁寧に紫音も一緒だし」 「だよね。しいちゃんなんだよね!でも話には聞いてたけどそのカッコ、実物は想像以上だね。そんな事よりねー聞いてよしいちゃん。今日俺最悪だったんだ。柚季にずっと今日のデートの自慢話聞かされてて」 「デート?」 「そ。久しぶりに会えたからって舞い上がっちゃって煩いのなんの」 「うるせークソガキ!お前がいつもいつも自慢話してくるから、その仕返しだよ!」 「俺は条件が揃わないと会ってもらえない柚季とは違って、殆ど毎日会ってるからね~」 「うっせーガキ!なあ春、一緒にボーリングしよーぜ!」 「人数多い方が盛り上がるし!」 ―――いかん。放心状態になってる場合じゃなかった。そうこうしている内にもあいつらは好き勝手俺のハル先輩に話しかけてるし、その勢いにハル先輩が戸惑っているのをいいことに取り込もうとしているじゃあないか! 「ハル先輩場所変えましょう」 二人に挟み撃ちされていたハル先輩の右手を取った。そうして光の早さで踵を返した……筈だった。 「待て待て」 「そうだよせっかく会ったんだから」 それなのに、ハイエナ二人は仮にもプロスポーツ選手の俺に匹敵する程の速度でハル先輩の左腕を掴んでいた。 「ちょ…痛い!」 左右から引っ張られて身体の取り合いをされる形になったハル先輩が顔を歪めたから力を抜きかけたのだが……。 「離してやれよ紫音」 「しいちゃん痛いって言ってますよ?」 こんな風に挑発されて、あっさり引き下がれる俺ではなかった。 「だったらお前達が離せ!」 ハル先輩は俺の恋人で俺とデート中なんだから! 「無理ー」 「やだー」 「っざけんな!!」 「痛っ!」 「あっ!」 苛立ちに任せて思いがけない力が入ってしまった。ハル先輩を向こうから奪えたのはよかったが、かなりの力で腕を引いてしまったので、勢い余ってハル先輩は俺の胸にぶち当たった。 「あ、あの、ハル先輩、ごめん、ね?」 恐る恐る覗き込んだハル先輩は、見間違いなんかじゃなく…怒っている。 「このバカ力!腕が抜けるかと思った!」 「ごめんなさい」 ハル先輩に怒鳴られて俺は縮こまった。 「あっはっは、バッカだな~!」 が、バカ笑いする秋良と、クスクスと皮肉たっぷりの笑いを溢す黒野にむくむくと怒りが沸き上がり、とてもしおらしくなんてしていられなかった。 「てンめえ、今日という今日は許さねえ!!」 こいつ(秋良)には今日ずっとイラつかされていたのだ。それが爆発する起爆剤なんて、ほんの小さな火種で十分だった。 「え、ちょっ、何突然キレてんの!?」 俺と秋良を交互に見てわたわたと焦っている黒野はまだいい。いーや、ハル先輩にキスしたり抱き締めたり、はたまた毎日の様に会えてること事態腹が立つし全然全くよくないからいつかシメてやりたいが、秋良に比べればという意味に於いてはまだ。 そもそも、今日の事がなくても俺はこいつが、秋良が大嫌いなのだ。姑息で卑怯で軽薄で、何よりもハル先輩に酷い事をしたこいつが。 大股で秋良の目の前まで行って、殆ど目線の変わらない奴を睨み付けた。消えろ、今すぐに消えろ。俺の試合中、ハル先輩の隣に座れたんだ。それだけでありがたいと思いやがれくそ下衆野郎。

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