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Will you…? 3
「はぁー。俺怖い」
「何が?」
「幸せ過ぎて怖い」
「な、何言ってるんだよ」
ハル先輩は口に含んだお茶を吹き出しそうな位焦っていた。
結局あの後このデートの最終目的地だった俺の実家に直行した俺達は、母親が入れたお茶を飲みながらリビングでまったりしていた。本当は部屋に直行したかったが、ハル先輩は律儀だからちゃんと俺の親にも挨拶をしたがる。そしたらお茶を飲んでけと引き留められた。だから、ここには俺とハル先輩以外にも俺の母親という邪魔者がいるのだ。
「紫音、恥ずかしい事言わないの。春君困ってるじゃない」
「いいだろ。本当の事なんだから」
「春君ごめんね。紫音こんなだから、いつも迷惑かけてるんじゃない?」
「い、いえ、とんでもないです。紫音君にはいつもお世話になってますから」
「あらそーお?でも春君来てくれたのって本当久しぶりよね。1年以上経つんじゃないかしら。もしかして愛想尽かされたんじゃないかってちょっと心配してたんだから」
余計なお世話だよ。うるさい母親を睨むが、母親はどこ吹く風といった調子だ。
でも確かにハル先輩を連れて来たのは久しぶりだった。学生の頃はたまに一緒に帰ってたけど、お互い社会人になってからは初めてかもしれない。
「すみません、久しぶりなのに不躾に泊めて頂くことになって」
「そんないいのよ、遠慮なんてしないでちょうだい。今日来てくれるの紫音から聞いて楽しみに待ってたんだから。でも紫音ったらそっけないのよ。先に寝てろって煩いの。私だって春君に会いたいのに」
「会ってどうするんだよ」
「何言ってるのよ照れちゃって。今日はちゃんと私に話すことあるんでしょ?それにしても春君本当に美人さんだから、目の保養になるわぁ。今日は春君一緒だからさっきからデレデレしてるけど、紫音なんか一人で帰って来てもいっつも仏頂面で全然つまらないのよ。でも本当、春君は会う度綺麗になるわねぇ。初めて会った時も綺麗だったけど、まだまだ可愛いお年頃だったでしょう?もうあれから何年になるのかしらねぇ……」
初めてハル先輩を母親に会わせたのは、裸のハル先輩をシーツで包んであの忌まわしいマンションから連れ帰って来た時の事だ。俺にとっては武勇伝でも、ハル先輩にとっては思い出したくない出来事であるに違いない。だからこの話題はこのままフェードアウトし…。
「あの時は本当びっくりしたわ。紫音が家出少女でも拾ってきたかと思って」
「おい、」
「その節はご迷惑おかけしました」
母親が話を蒸し返したから、もう黙れと抗議しかけた時、ハル先輩がペコリと頭を下げた。意外と平然としている。
「でもあの時から予感はあったのよねぇ。紫音はこの子をお嫁に貰うんじゃないかって」
「は?」
「え…」
「春君は男の子だった訳だけど、それでも性別なんて関係ないわよね。本人同士がよければ、私はあんまり気にしないわ。第一、こんな美人なお嫁さんどこ探しても見つからないんだから、文句言ったらバチが当たるわ」
………何言ってるんだこの人。俺とハル先輩は口をぽかんと開けたまま暫く何も言えなかった。まさに母親の独壇場。
「あ、でも春君のご両親にはちゃんとご挨拶するのよ。お嫁に貰うんだから、家みたいになあなあでは済まないんだから。紫音、あんたがしっかりしないと」
「何言って…」
「こんな素敵な人を貰うんだから、あちらのお父様に1発や2発殴られたって文句言っちゃだめよ」
話が見えない……事もない。俺にとっては満更でもない話だ。俺はハル先輩の人生にきちんと責任を持ちたいと思ってる。まぁそうなった時は、確かに親にも挨拶をしなきゃと思ってる。だけど、早まりすぎだろ。だって俺ちゃんとプロポーズだってしてない。
隣のハル先輩を盗み見ると、困惑した顔で、それでもうっすら頬を染めて俯いていた。
か、かわいい………。
この顔見れただけでご馳走様だ。とんでもない先走りをしてくれちゃった母親の事も、まあ赦してあげられる。どうせ近いうちに言うつもりだったのだから。心は、もう決まっていたのだから。
*
あの後母親の勘違いをなんとか正して、「やだ恥ずかしいわ」と騒ぐ母親を撒いて部屋まで逃げた。
俺が大学を卒業してから、母親は俺の私物を勝手に整理して元俺の部屋は大幅に改装された。「春君と使ってね」と言われていたその部屋にはダブルベッドが設置してあって、ここまで親公認なのも逆に気持ち悪い。でもまぁ物分かりのいい親で正直有り難いが。
この部屋を一目見てぎょっとしていたハル先輩だったが、あの母親にしてこの部屋ありと納得したのか、立ち直りは早かった。
ハル先輩を二人がけのソファに案内する。でも俺は隣に座らない。ハル先輩の正面の床に直に座った。
自分で決めたタイミングじゃなかった。クサい台詞を考える時間も、凝った演出を行う余地もない。でもこれもいいきっかけだ。2ヵ月以上も会えない期間があって、ハル先輩への想いが募りに募って爆発しそうなのだ。その想いを情熱に上乗せすればいい。
「ハル先輩、さっきは俺の母親がすみません」
「いや……」
ハル先輩は口ごもった。ハル先輩にとっては衝撃の連続だったのだろう。まず、付き合ってたのが知られてるなんて思ってなかったろうし、その上嫁、嫁連呼されて。
「本当に失礼しました。ハル先輩男なのに、嫁とかなんとか…」
「いや……」
ハル先輩の反応は薄い。ちょっと心ここに在らずな感じ…?
何か考え事をしているのだろう。その考え事の内容が気になる。気になりまくる。でも、ハル先輩がさっき母親に言われた事をどう思おうと、どう感じようと、俺は……。
「ハル先輩、俺はね………」
ちょっと口ごもる。別に決意が揺らいだ訳ではない。緊張でだ。雰囲気は理想通りではないし、出鼻を挫かれた感はあるが、タイミングとしてはベストだ。第一、あんな事があったのに何も言わないんじゃあ、俺に全然その気がないみたいに見えるじゃないか。きっと大丈夫。成功する。
「どうした?」
沈黙が長すぎたらしい。でも、おかげでハル先輩がようやくしっかりとこっちを見てくれた。大きな目を丸くして小首を傾げてきょとんとしている。愛おしい。守ってあげたい。一生かけて、幸せに。
「俺、ハル先輩と……春と家族になりたい。俺と家族になってくれますか?俺と、結婚してください」
一気に言った。ついに、言った。
俺はドラマなんかでよくあるみたいに片膝をついて頭を下げ、ハル先輩の眼前に右手を差し出した。本当は、指輪でも渡したかった。指輪がなくとも、花束とかともかく何か差し出したかった。でも、残念ながら今は何もない。
何もない代わりに、俺がこの手で責任持ってあなたを幸せにします。俺がこの手であなたを一生守り抜きます。ずっとずっと、死ぬまで、いや死んでも愛します。
「紫音……」
暫くしてハル先輩が俺の名前を呼んだ。ずっと、心臓がバクバクして、身体全体が震動してるんじゃないかってくらい緊張していた。ハル先輩の声音は喜びとも戸惑いともとれる様で、凄く不安だ。ハル先輩がどんな顔してるのか、今すぐに知りたい。でも、俺はまだ顔を上げない。
「紫音……」
「……………」
「紫音、顔を上げて?」
「上げません。ハル先輩が俺の手を取ってくれるまで」
「紫音……」
「俺と結婚してください」
「…………」
「『はい』って言うまで俺動かない」
「紫音……でも俺なんか、」
「『俺なんか』って言わないで」
「でも……」
「俺は春が世界で一番好き。この手で絶対に幸せにします。ずっとずっと愛し続けます。だから、どうか俺の手を取ってください」
「…………」
じっと目を瞑る。差し出した右手に全神経を集中させている為か、汗が吹き出して滴りそうな程だ。
ハル先輩は今、どんな顔をしているのだろう。
どんな顔で、俺を見ているのだろう。
何を考えているのだろう。
大丈夫。ハル先輩の気持ちは、俺と同じ位大きいんだから。俺がそうである様に、ハル先輩には俺しかいないのだから。ハル先輩を幸せにできるのは俺だけなんだから。そして、俺を幸せにしてくれるのもハル先輩だけだから。だから絶対。絶対にハル先輩は俺の手を―――。
そっと、指先に何かが触れた。―――乾いた指。控えめな、ハル先輩の、手。
俺は、それが俺の手を握ってくれるまでただじっと待っていなくちゃいけなかった。でも……。ハル先輩が俺の手に触れてくれた。それだけで十分。だから咄嗟に、その指先が離れて行かない様にその手を掴んだ。強く。強く。
「あ……」
ようやく頭を上げて見ることの叶ったハル先輩は、目元を赤くして大きな瞳を潤ませていた。瞬きをした瞬間ポロリと涙が溢れたから、ハル先輩は恥ずかしそうに少し乱暴に左手で目を擦った。そして、顔をくしゃっとさせて泣き笑いの顔になった。
凄く、物凄く可愛くて、いつもみたくぎゅーっと抱き締めたくなったけど、我慢した。ハル先輩が泣く程喜んでくれてる。それが嬉しくて嬉しくて飛び上がりたかったけど、人生の一大イベントの時くらい格好いい自分でいたくて、それもぐっと我慢した。
「俺こんなの…考えた事もなかった」
「俺はずっと考えてたよ。いつ言おうかって、ずっと」
考えた事なかったって事は、ハル先輩は俺との関係性のゴールはどこだと思っていたのかな。
もしかしたら。ハル先輩の事だから、俺が飽きたら(絶対飽きないけど)それで終わりだと考えていたのかもしれない。俺は例え飽きても(飽きないけど)、倦怠期が来たって(来ないけど)ハル先輩を愛し続けるのに。
「でも紫音、本当に俺でいいの…?」
「何言ってるんですか。当然です!ハル先輩『で』じゃなくて、ハル先輩『が』いいんです!」
「でも……」
「もう返品はききませんよ。俺はハル先輩のものになりました」
そして、ハル先輩も俺の―――。
ハル先輩は俺の言い方が可笑しかったのか、ぷっと吹き出した。そして笑った顔のまま言った。
「返品なんかするもんか。怪我しても病気になっても、何があったってずっと傍にいるよ」
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