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blackout 3
「うっ…!」
首をぐいっと引っ張られ、身体がつんのめる。右足の内側が酷くズキズキして、歩くのもままならない。
「早くついておいで。次は俺達の愛の巣、ベッドルームなんだから」
あれからすぐに痛みに引き戻される様に覚醒した俺は、手錠を嵌められ、首輪には赤い皮紐をつけられて、それを握った向田に屋敷中を連れ回されていた。
「楽しみだろう?春の為に色々改装して準備させておいたんだ。ここには余り長くはいられないけど、それでも春の為ならいくら金をかけても惜しくはない。本当はもっと長くいたいけど、日本じゃ安心できないからね。ここは山の奥だから暫くは見つからないだろうけど、また邪魔が入ったら困るだろう?大丈夫、次の渡りはつけてあるよ。1ヶ月もすれば、準備は整う筈だ」
向田は鼻歌でも歌い出しそうな程上機嫌だ。
俺は、さっき向田が言ったセリフが気にかかって仕方なかった。
渡りはつけてあるってどういう意味…?日本じゃ安心できないって…。
もしかして俺は、1ヶ月後にこのまま外国に連れて行かれるのか?そんなのいやだ…いやだ…!
「……やだ…」
「ん?」
向田がピタリと足を止めて振り返った。
「っいやだ!家に帰りたい!」
帰りたい。帰して欲しい。外国になんて連れて行かれたくない。絶対に嫌。その気持ちが、これまでずっと俺を制御していた恐怖心を少し薄れさせた。
「何だって?もう一回言ってごらん」
「俺を…俺を解放しろっ!」
「春は相変わらず生意気だ。大人になって少し成長したのかと思ってたのに、全然変わらないじゃないか」
向田が俺をじっと見ている。怒っているんだ。前みたいに、また酷いことを…。
「ふふ……」
無表情で冷たい視線を向けられているものとばかり思っていた。でも違った。向田は笑っているのだ。
「嬉しいよ…。昔は、そういう春が腹立たしかった。俺に従順なペットにしないと気が済まなかった。俺も若かったな。でも今は違うよ。春は俺に靡かない。何をしてもね。それがよかったんだ。だから俺はずっと春に夢中だった…」
何を…言っているんだ……。
「春が俺の元を去ってからね、春の代わりを色々探したんだ。でも駄目だった。誰も春程美しくなかったし、その癖すぐに俺に夢中になる。俺に依存し、俺にセックスをねだるんだ。そうなると途端にどうでもよくなってしまう。価値のないものに見えてくる。俺はお前の様な人間がよかったんだ。俺に従順に見せて、何処かに反発心を隠している様な人間が。だから、俺はお前の意思を尊重するよ。俺に靡かなくてもいい。でもその代わり、一生首輪で繋いでおくことにした。お前は俺の物だから…」
嫌だ…嫌だ…。一生首輪に繋がれて生きるなんてそんなの…。
俺の意思を尊重するのなら、何よりも先に解放して欲しい。でも、向田に全くその気はなさそうだ。
……結局前と同じだ。きっと首輪だけじゃない。俺がこいつの意に沿わない反発をしたら、それだって力で捩じ伏せるんだ。そんなの意思を尊重するとは到底言わないのに、やっぱりこいつは以前と何ひとつ変わっていないんだ…。
絶望する俺を引っ張って歩き続けていた向田が、重そうなドアの前で立ち止まった。
「ここが、俺と春のベッドルームだよ」
ドアが開かれた先は、とても広い空間だった。
床には絨毯が敷き詰められ、大きなベッドにサイドテーブル。そしてキャビネットやタンスまである。
一見すると一昔前の西洋風のお金持ちの部屋といった設えだが、よく見なくても異様な点がいくつもある。3つある窓には全て内側に鉄格子がつけられていたし、ベッドには頭側と足側にそれぞれ拘束具であろう鎖がついていた。格子状の天井からは吊革みたいにいくつも鎖が垂れているし、壁の一部には大の字に張り付けにする為の手錠や足枷のついた木の板がくっついていた。ギロチン台の様な明らかに拷問器具とわかる物まで置いてある。
「どうだ?気に入っただろう?」
この部屋のアンバランス感も、向田の妙に優しい素振りも全てが不気味で不吉で、再び身体が震えてしまうのを止められない。
「あれ?気に入らないか?あ、そうだ。肝心のあれを見せてなかった。こっちにおいで」
口調とは裏腹に乱暴に紐を引かれる。連れてこられたのはキャビネットの前だった。その引き出しのひとつを、向田が開ける。そこには―――。
「昔春に使ってたのと同じ物も揃えたよ。ほら、これなんか覚えてるだろう?春のお尻はこれがお気に入りだったからね。そしてこっち。これは春が一番好きな物だよ。何だか分かる?分かるだろ?」
向田は手に持ったそれを俺の顔に、口元に押し付けた。何度顔を背けても、とても愉しそうにしつこく繰り返す。
「この形、覚えてるよね?何度もお尻に咥え込んで、お口でも沢山ペロペロしたもんね。春の為にわざわざ俺のお○んちんを象って作らせたんだよ。春はこの形が大好きだろう?この大きさが堪らないだろう?早く、咥えたいだろう?」
「や…やめ、ろ…っ」
過去を思い出す時感じるのは恐怖ばかりだった。きっと、それが一番強い感情だったから。でも、実際はそうじゃなかった。嫌悪。蛇やムカデを見たときに感じるゾッとする様な気持ち悪さとうすら寒さ。これがリアルだ。鮮明だと思っていた記憶は、意外といい加減だったのだ。
「春のその表情、ゾクゾクするよ…。無理矢理咥えさせて、その顔を快楽に歪ませたい。全てを支配したい。それでもお前は、お前の瞳の奥には、確固たるお前自身がいるんだろう?俺に全てを委ねたりはしないのだろう?」
向田の表情は恍惚としていた。一体何に喜んでいるのかは理解できない。でも、向田は元々狂っていて俺の理解の範疇を越えていた。だから、今だってその思考回路を理解できなくて当然なのだ。
「おいで春。セックスをしよう」
―――最も恐れていた事が現実となる。
恍惚とした向田が、ベッドのある方へ俺を引っ張る。強く踏ん張って抵抗しても、一度しならせた紐を強く引かれるとひとたまりもない。そうして抵抗虚しく飼い犬の様に歩かされ、無理矢理ベッドに放られると、柵に紐を固定された。
「会いたかったよ、春」
「いやっ…!」
鼻息荒くベッドに乗っかった向田の手が、顔が迫ってきて、ベッドの上部に縮こまる様に身体を寄せた。逃げ道はない。背中はベッド柵だし、両手は使えない。そもそも俺は頑丈な首輪で繋がれているのだから。
「あぁそうそう、これを忘れていた」
向田がベッド脇のサイドテーブルの引き出しから取り出したのはビデオカメラだった。それを片手に、再びにじりよってくる。
「いやだっ!来るなっ!」
顔を伏せて身体を震わせ縮こまる。それが俺に出来うる最大の抵抗だった。
でも、そんな程度でやめるてくれる様な人間なら、そもそもこんな、人を浚ったり縛ったり首輪をつけたりしないのだ。蹴ったり冷水を浴びせたり窒息させたり酷い火傷を追わせたりはしないのだ。
怖い。怖い。怖い………。
「長年我慢してきたんだ。早く春が欲しい」
「ぃや……」
「顔を上げて」
「、だ………」
「また痛い事されると思ってるの?」
「っ!いや…ぁっ!」
口調とは裏腹の問答無用さで足を引き摺られ、仰向けにされた。
すぐさま馬乗りになった向田に顎を掴まれ頬を撫でられる。
「あぁ…美しい。大人になった今でも変わらずに。でも、折角の綺麗な髪の毛は、もう少し長い方が似合う。あの頃の髪型が俺は好きだったな。まるでお人形みたいで。だから、また伸ばしてよ。俺好みの春になって…」
「ゃ……んっ……ぅん…」
「もっと……もっとキスしよ……」
頬を強く掴まれ無理矢理開かされた口に向田の舌が入り込み、滑った舌が、唇や口の中を舐め回す。
嫌だ。嫌だ……。
「どれだけこうしたかったか……。長い間離れ離れにされて、俺がどれだけお前に焦がれ、お前を愛するあまりにどれだけ憎らしく思っていたか分かるか?」
向田の口が、顎に、首筋に、そして胸元へと下りていく。
「もうお前を憎んだりしたくないんだ…。でもこれで春はずっと俺の物だ。一生消えない所有の証だってつけたし、もう二度とお前を逃がさない。愛してるよ、春」
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