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blackout 6
そのまま暫く絶望し、少しだけ気持ちが落ち着いてからはどうにか首輪を外そうともがいた。手錠を嵌められた手で金具を引っ張る。南京錠を壊そうと試みる。ベルト部分の硬い皮をどうにか引きちぎろうとして、何度も爪先で自分の首を引っ掻いてしまった。
そんな格闘の最中、ドアの鍵が開く音がした。姿を現したのは予想通りの相手。でも俺は助かりたくて必死だった。相手が明らかに自分の味方でなくても、向田じゃなければ誰でもよかったのだ。
「たすけ…」
「首輪で繋がれるなんて、淫乱な貴方に相応しい姿ですね、椎名先生」
縋ろうとした俺が浴びせられた第一声がそれだった。しかも、嫌悪と憎悪と蔑みの視線を向けて。
「孝市は本当に可哀想だ。貴方みたいな悪魔に魅了されて」
「何を…」
何を言っているんだ。あいつが可哀想?俺が悪魔?
「昨夜だって、浅ましく孝市を誘ったんでしょう?貴方に色香を振り撒かれて、ひとたまりも無かったと孝市は悔しそうに言っていましたよ。貴方は孝市の仇だって言うのに、そんな相手すら誘惑し、魅了して狂わせてしまうなんて、まるで淫魔の様ですね」
「仇…?どういう、」
「何も知らない、純情ぶった振りが本当に上手ですね。学校でも何人もの生徒をたぶらかしておいて清廉潔白に振る舞って。本当に私は、そんな貴方を見る度に虫酸が走る思いでしたよ!」
「待ってください、志垣先生は何か勘違いを…」
きっとこの人は、向田に何か変な事を吹き込まれているんだ。その勘違いが正せれば、もしかしたら…。
「気安く私の名前を呼ばないでいただきたい。私は孝市の様に貴方に惑わされませんよ。私はね、貴方の昨夜の姿を見て確信しました。孝市の事も、こうして陥れたのだなと」
「どういう、意味…」
「ずっと部屋の外まで聞こえる様な声でアンアン喘いでいた貴方が、私の姿を見た途端暴れて、叫んで。どうせまた孝市一人を悪者にして自分はあの若い恋人の元にしれっと戻るつもりだったんでしょう?孝市を誘惑していい思いをした癖に、自分はレイプされた被害者なのだと周囲には訴えるつもりだったんでしょう!?」
「違う!違います!あれはそんなんじゃ…」
「またそれだ。そうやって、いつものニセモノの純粋な瞳をして。誰もがそれには騙されるでしょうね。でも私は騙されない。貴方の本性は分かっている!私は孝市から全てを奪った貴方を絶対に許さない!」
志垣先生は無言で俺を睨みつけた。憎いとその目が言っていて、俺はそれ以上言葉を発する事ができなかった。
志垣先生は、向田を信じきっている。向田と同調している。一体どうすれば真実を伝えられるんだ。どうすれば……。
「貴方がこれからどうなる運命なのか知りたいですか?」
「…………」
俺は何も答えられなかった。二人がこれから俺をどうするつもりなのか知らなければならないとも思う反面、100%いい知らせではない筈のそれを聞きたくなかった。
「貴方……いや、お前は外国に連れていかれて、奴隷として売られるんだよ。お前のその見た目なら、きっと愛玩される事だろう。性的にね。淫乱な淫魔のお前にはお誂え向きだろう!」
………奴隷…?売られる…?
初めはピンと来なかった。そんな事今の時代ではあり得ないと思ったから。でも、よく考えたらこの国を出されればあり得ない話ではないのだ。だって向田が言っていた船とは、きっと俺を外国に連れていくための―――。
「そんな事やめてください!俺が貴方に何をしたって言うんですか!志垣先生お願いです!目を醒ましてください!」
「目を醒ますのはお前の方だ。お前の本性はもうわかっていると言っただろう。純粋な『椎名先生』のフリはもうやめなさい!」
「フリなんてしてない!俺は、俺は貴方の思っている様な人間じゃない!俺は何もしていないんです!」
「ふ…。初めはね、私もいくら復讐とは言えそこまでしなくても…と思っていたよ。でも、お前は私の孝市を再び誑かし、浅ましく咥え込んで…。天罰だよ!孝市から全てを奪い、私から孝市を奪おうとした罰だ!」
「そんな、違う!あいつを誘惑なんてしてない!俺は無理矢理あいつに…」
「黙れ悪魔!それ以上孝市を侮辱するのは許さない!分かってるんだぞ!お前は昔、あの若いバスケット選手の恋人に走る為に孝市を陥れた癖に!何もしてないなんて言わせない!お前に裏切られたせいで孝市は心に深い傷を負って、社会的地位を失い、この日本すら追われたのだから!」
そんな……。俺が陥れた訳じゃない。あいつのそれは完全に自業自得だった。そんなのは完璧な逆恨みじゃないか!
「違う!志垣先生は騙されてる!あいつは真実をねじ曲げてるんだ!」
自分に都合の悪い事実は改竄して、あたかもそれが真実であるかの様に俺を悪者にして…!
「悪魔の戯れ言なんか誰が聞くと思う?」
「戯れ言じゃない!俺は真実を…」
「黙れ!もうお喋りは終わりだ」
ピシャリとそう言われ、俺はもう黙るしかなかった。志垣先生の手には、いつの間にか鞭の様な物と革製の紐が握られていたから。
「大人しくしていないとこれで打つ」
志垣先生は俺に近づくと、持っていた長い紐をベッド柵に繋いだ。そしてその先を俺の首輪に取り付けると、元々ついていた短い紐を首輪から外した。
「孝市には、1時間おきに排泄の世話兼監視をする様言われていたが、そう何度もお前の顔なんか見たくない。お前は隙あらば人を惑わそうとする淫魔だ。まかり間違って私まで取り込まれては堪らない。これだけ長ければ部屋のトイレまで一人で行けるだろうから、勝手に行け。食事だけは面倒だが毎度運んで来る。売りに出す前にガリガリに痩せられては、いい値がつかないからな」
これは朝食だ、とベッドに投げつけられたのは、栄養補助食品と謳われているブロック型のクッキーの箱とペットボトルの水だった。
「ちゃんと全部食べておけ。残したらお仕置きだ」
志垣先生はニヤニヤしながら鞭をしならせると、部屋を出て行った。ガチャンと鍵が回される。
―――だめだ…。完全に向田に洗脳されている…。どこかに突破口があればいいのだが、全くと言っていい程俺の話を聞いてくれないから…。どうすればいいんだ。一体どうすれば………。このままでは外国に連れていかれるんだ…。売られるんだ…。今ここから逃げるには、あの人に真実を知って貰うしかないのに、その方法が思い付かない……。
自分の行く末を想像するといても立ってもいられず、恐る恐るベッドを降りた。この紐でどこまで行けるのか部屋を歩き回ってみる事にしたのだ。
入口のドアには、届かない。が、あの人の言う通りトイレには入れる様だ。窓の鉄格子はとても頑丈でぐらつきすらしない。キャビネットやタンスにも届いたので中を漁ってみたが、キャビネットには如何わしい玩具以外入っていなかったし、タンスにも今着せられているのと同じ白いシャツしか入っていなかった。ベッド横のサイドテーブルに入っていた筈のビデオカメラは、向田が持ち出したのかなくなっていた。
この部屋は、物がある様に見えて、結局は何もなかった。あるものは前と同じで、あいつが俺を痛め付けるのに使うものだけだった。
その後も何度も何度もどこかに抜け道がないか探して歩き回った。首が擦りきれて爪の間が血だらけになるまで首輪を壊そうと引っ掻いた。それでも、逃げ道は見つからなかった。
自然と膝の力が抜けて、その場にへたりこんだ。
俺はもうここから逃げられないのか?あいつらの思惑通りどこかの国につれていかれて、売られて、奴隷として生きて、死んでいくのか?
どうして……。俺は、俺の未来はキラキラ輝いていた筈なのに。紫音と二人、手を取り合って生きていく筈だったのに。あんなに幸せで、その幸せはずっと続く筈だったのに。
紫音……紫音……会いたい……。助けて……俺をここから出して……お願い……誰か………。
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