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first step 2

「春、水くせーよ!退院したなら教えろって!」 退院した次の日に家にやって来て玄関先で喚いているのは、確か柚季と言ったか。入院中に、俺の教え子という金髪碧眼の少年(颯天と名乗った)と一緒に面会に来てくれた。…という事は友人らしいが、俺はどうもこの人物が―――。 「知らねーから病院行っちまったじゃねーか。俺の貴重な時間無駄にした責任、どう取ってくれんの?」 ずかずかと迫ってきた柚季に、いつの間にか壁際まで追い詰められてしまった。 ち……近い…。 背の高い柚季が殆ど真上から俺の顔を見下ろしている。 「きょとんとしちゃってさぁ。お前、ほんとに何にも覚えてねえんだな」 柚季がニヤリと笑った。なんかやな感じだ。 「ちょっと離れてくれよ…」 「えー?なんで?」 「だって、変だろ、なんか…」 「何にも変じゃないぜ?俺と春はいっつもこんな感じだったし」 嘘だそんなの。だってこんな風に顔を突き合わせて話をするなんておかしい。まるで一触即発って感じだ。 「相変わらず可愛いなぁお前」 柚季がため息混じりに言った。可愛いって……。 「記憶なんてなくても俺全然気にしねーよ。寧ろ……。でもさ、お前が行方不明んなってた時、俺すげー心配で心配で、一生分の心配させられたんだぜ?」 「ご…ごめん」 「そんだけ?」 「本当に悪かったよ…」 「んー、そうじゃないんだよな」 「じゃあどうすれば…?」 「言えば何でもさしてくれんの?」 「何でもって…、俺にできる事なら……」 「おっとそれ言っちゃう?やっぱ正真正銘お前は記憶喪失だ」 「なぁさっきから意味が分からないんだけど。この…近いのもやっぱへ…」 変。そう言おうとしていた。でも、それどころではない。 俺は力任せに柚季を押し退けた。だって……だって………。 「っ…にす…ッ!」 何するんだ!そう言いたかったけど、言葉にならなかった。俺は自分の唇を何度も何度も手の甲で擦った。なんか泣きそうだ。何が悲しくてファーストキスをこんな…男なんかに…っ! 「春大袈裟。そこまでされたら俺もちょっと傷つくっつーの」 「大袈裟じゃない!何でこんな事……」 泣きそうなんかじゃなく、本当に涙が零れてきてしまった。恥ずかしい。男にキスされて、しかも泣くなんて。自分でも何が何だか分からない。訳の分からない感情が溢れて、止め方が分からない。 「ちょ、ちょ、ちょ、まじかよ!泣くなよ!な?泣くなよ…。ちょっと、唇ちょんって、ほんとちょんってしただけじゃん!触っただけじゃん!いや、ふわっとさ、唇と唇が触れ合っただけじゃん!舌も入れてねえよ?いや、入れてねえどころか唇にすら触ってねえよ?いくらお前の頭ん中が中坊だったとしても、こんくらい初めてって訳じゃねえだろ?な?な?」 「初めてだよッ!」 「…はえ?」 「き…キス…なんて、したことねーよッ!」 柚季は間抜け面であんぐりと口をあけた。 そりゃあ、俺は今25らしくて、それならもうキスの一つや二つしていて当然なのかもしれないが、俺の記憶は15からないのだから。 でも、そんなの関係なく何でこいつは俺にキスなんか…。きっとからかってるんだ。俺がみんなと違うから。目の色も、髪の色も違うから。でもだからって何でキスでからかう? ………そう言えば俺、黒のウィッグとカラコンをつけて学校に行っていたんだった。どうして今までその事を忘れていたんだろう。……というか、そもそも俺はどうして変装をしていたんだっけか。やっぱり目立つから?俺、この見た目で苛めにでも遭ってたんだっけ?そんな記憶は特にないけど、忘れてるだけ? ………何にせよ、きっとこの日本人離れした色を隠したかったからに違いない。でも、25の俺は変装をしていなかった様だ。どうして途中でやめてしまったのだろう。何がきっかけだったのだろう?………あぁだめだ。全然思い出せないし、また頭痛が…………。 「ごめん。悪かった。俺、お前がそこまでピュアだって知らなかった。でも、だとしたらお前、本当に……」 「………?」 柚季の声の感じが急に変わったから、考え事を中断して頭を上げた。思い出そうとするのをやめた途端、頭痛は消失した。 「辛かったな、春」 柚季は極めて自然に俺の背中に手を回した。ぎゅうっと身体が密着する。おまけにポンポンと頭を撫でられる。 気味が悪い。やめろよ離せよ。本心ではそう言いたかったけど、曲がりなりにもこいつは25の俺の友人で、きっと心配してくれていた一人だ。さっきとは違って真面目な声色だったし、拒否してはいけない。俺は、心配してくれたその気持ちを受け止めなければならない。我慢、我慢………。 …………何だ…? 段々、背中に回っていた手が下に降りてきた。初めは気のせいだと思っていたけど、その手は尻の辺りで明らかに違和感のある動きに変わった。撫で擦られている。 「ちょ……何……!?」 もうこれ以上じっとしている義理もないから身を捩ると、抱擁が更にきつくなった。抜け出せない…。 「ごめん。お前が大人しくてあんまり可愛いから…」 「はぁ?」 いいから早く離せ。そればかり思っている俺の耳元に柚季が唇を寄せた。 「すっげー欲しくなっちゃった…」 吐息みたいな声。 ゾゾゾと全身に鳥肌が立った。欲しいって何?意味が分からないけれどとても気持ちが悪い。 「離せよ!」 強く拒絶したら柚季はようやく離れた。顔を覗き込まれる。 「青褪めるなよー」 その反応ショックだわーとか柚季がまたさっきみたいに言っているけど、俺だってなんだか分からないけど凄くショックだ。なんだこの感情……。 「おいおいまた泣くなよ?な?俺まだ何にもしてねーからな?」 「泣くか!」 そう強気に言ったけど、でも少しだけ泣きそうだ。この気持ちは何なんだ?何でこんなに感情がぐちゃぐちゃなんだよ……。

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