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first step 3
「やりずれー。前より無防備なくせにピュア過ぎてやりずれーよお前。純粋っつっても程があんだろ。中学生どころか幼児レベルじゃねーか」
柚季が頭をわざとらしく抱えて言った。
ピュアって何だ。無防備って何だ。幼児って…。何にせよ物凄くバカにされている気がして、訳の分からない感情を腹の立つ気持ちが上回った。
「バカにするな!」
「バカになんかしてねーよ。ガキ臭くてカワイイなって思ってるだけで」
「それがバカにしてるって言うんだよ!」
「だってお前、涙目だし」
「うるさいっ!」
柚季は半笑いだ。
くそ!きっと俺の反応を面白がってキスなんかしたんだ。もしかしたらこいつは常習犯だったのかもしれない。25の俺も散々被害に遭っていたのかも。
「用がないならもう帰れよ!」
ヘラヘラしてる柚季を玄関に向かって押した。俺は滅多に他人にこんな酷いことは言わないししないけど、柚季にならこのくらいが丁度いい気がした。というかこのくらいしないと押し負けてしまいそうだ。
相変わらず楽しそうな柚季を框まで押していった所で、玄関のドアが開いた。タイミングの悪い事に、買い物に出掛けていた母親が帰ってきたのだ。
「ただいまー」
その声に柚季が光の速度で振り返った。
「お邪魔していますお母さん」
「あら柚季くん来てたのね」
「はい。春君の具合いはどうかなと思いまして…」
「ありがとう。忙しくなかったらゆっくりして行ってね」
もう帰す所だったと言うのに、帰れの催促し辛い……。
「お母さん、荷物お持ちしますよ!」
「え?そんな、いいのよ」
「いいえ!レディにそんな重そうな物持たせておけませんから!」
柚季は半ば強引に母親から買い物袋を奪うと、リビングへと続く廊下の奥へと勝手に進んで行った。母親もニコニコしながら柚季の後をついていったから、仕方なく俺も続いた。母親に変な事されない様に、見張り役として。
「柚季君はジェントルマンね」
ジェントル…?それ程この男に相応しくない形容詞もないと思う。
「これぐらい当然ですよ。他に手伝う事があれば言ってくださいね」
「大丈夫よ。ありがとう」
「それにしても、今日もお母さんはお美しい…」
「ふふ。柚季君みたいな有名人にそんな事言って貰えたらお世辞でも嬉しいわ」
「お世辞じゃないです!本気です!」
「そう。ありがとう」
母親はニコニコ受け流していて相手にしていないが、柚季は目が本気だ。
「今晩はシチューですか?」
「よく分かったわね。この頃寒くなってきたでしょう?」
「そうですよねー。お母さんの作ったシチュー、美味しいんだろうなぁ」
柚季は母親と並んでキッチンに立って買い物袋の中身を冷蔵庫に仕舞う手伝いをしている。俺は、ダイニングの椅子に腰掛け、むすーっとしながら二人を眺めていた。
「もうすぐお夕飯の時間だし、よかったら柚季君も一緒に食べて行かない?」
ギク。
「あぁお母さん…。俺はこれ程残念な事はありません…。お母さんの作ったシチューがこんなにも食べたいのに、この後仕事が入っているのです……」
ほっ……。
「そう。柚季君売れっ子だから忙しくて大変ね」
「今日程仕事に行きたくない日もありません……」
「ふふ、おかしいのね柚季君ったら。またゆっくり出来る日に食べにいらしてね」
「はいっ!是非っ!」
……凄い猫の被り様だ。見舞いの時もそうだったけど、人の母親相手に鼻の下を伸ばしやがって……。
「柚季、もうそろそろ仕事なんだろう?」
「そうだけど、まだ30分くらいは余裕」
空気を読め空気を。俺はやんわり帰れと言っているのに、まだ30分も居座るつもりかよ。そんなに長い間この光景を見てなきゃならないなんて、そんなの無理!嫌だ!
「柚季」
「あー?」
「こっち」
母親と引き離したかった俺は柚季に声をかけて手招きすると部屋へと向かった。柚季は母親に猫撫で声で別れを告げると、予想外の潔さで俺の後についてきた。
部屋に入ると俺はベッドに腰掛けた。柚季を学習机の椅子に座らせたら、他に座るところがないからだ。
「なになに、春もしかしてヤキモチか~?」
柚季がなぜか嬉しそうにニヤニヤしている。
「は?誰に?」
睨み付けると、柚季は更にニヤニヤした。
「きっつ~!お前のその目、久々に見たけどやっぱたまんねーよな」
たまんねーって何が?……と言うか、やっぱり対母親と対俺とで態度も言葉遣いも違いすぎ…。
「なんつーの?蔑みの視線?お前さ、俺を変な世界に引きずり込むのヤメロよな~!」
蔑み?こいつは軽蔑されて喜んでいるのか…?
………変人だ。こんな変人が売れっ子芸能人だなんて世の中おかしい。確かに見た目だけはいいのかもしれないが……。
「にしても春のお母様ってほんっと美人すぎる!お前にそっくりでさ~!」
「…………」
「ま、春よりお母様の方が断然優しいけどな。お前って意外と性格キツイからなー。いーなーあんなお母さんがいて。あんな美人が家にいたら、俺絶対毎日直帰しちゃうわー」
「もうやめろ」
「えー?」
「人の母親を変な目で見るな」
「んだよ春、やっぱお前ヤキモチ妬いてんじゃん」
「妬いてない!」
「んじゃあマザコンか?」
「違う!」
「いーのいーの誤魔化すなって。やっぱさぁ、記憶無くしてもハートの部分って変わんねーんだなー」
何を訳の分からない事を……。
「どういう意味だよ」
「だって春は俺とお付き合いしてたんだぜ」
……………は?
おつきあい??
「ひっでーなぁ。忘れちまうなんて。俺たちあんなに愛し合ってたのに…」
愛し合って………。
「気持ち悪い冗談はやめろ!」
「冗談なんかじゃねーよ」
「いい加減からかうのはやめろよ!俺もお前も男なのに有り得ないだろ!」
俺がそんな馬鹿げたデタラメを信じるとでも思っているのか。まさか俺の頭が本気で幼児レベルだって思ってる訳じゃないだろうな…。
「ったく、中坊の春は頭かてーなぁ。オトナなお前はそんな事全然気にしてなかったぜ?」
「はぁ?気にするとかしないの問題じゃないだろ!」
「でも本当の話なんだけどなぁ。そうだな…こう呼べば思い出すか?」
柚季が突然俺の耳元に口を寄せた。そして―――。
「やめろ!」
まただ。またゾゾゾと背筋が逆立つ様な感覚がして、思わず柚季の顔を平手で払い除けてしまった。
「いてて…何すんだひでーよハル」
「ご、ごめん。でもその呼び方はやめろ!」
「何でだよ?」
「…なんか、嫌だからだよ!」
「思い出しそうなんだろ?俺と愛し合ってた時の事…」
「違う!」
「ハルの嘘つき。明らかに動揺してんじゃん」
「してない!」
「しゃーねーなぁ。じゃ、実践で思い出す?」
「!」
嫌な笑みを浮かべた柚季が椅子から立ち上がった。長身だから、威圧感が凄い。
「く、来るな…」
嫌な予感がしてベッドの上で後退りした。
「んな逃げんなって。イイコトしよーぜ…」
ギシッ。
柚季が膝を乗りあげるとベッドが軋んだ。
何だよ何なんだよ何する気だよ怖いよ!
混乱しながらどんどん後退りしていったら、いつの間にかベッドの一番上まで追い詰められてしまっていた。
「なんかお前、可哀想なくらい無防備だな」
柚季がその言葉の通り哀れむ様な口振りで言った。
俺は頭が真っ白とでもいうのか、脳みそが全然働いてくれなくて、そんな柚季から視線を外さないでいるだけで精一杯だった。
「そんなおっきいおめめで見つめんなよ」
見つめてない。怖くて視線を逸らせないだけだ。
「なぁ誘ってんの?」
違う。
「ちゅーしていい?」
俺は首を振った。ぶんぶん振った。
すると、柚季は苦しそうにはぁーと溜め息を吐いた。
「お前さぁ、無駄に煽りスキルだけ高過ぎんだよ。そんなんでよく15まで唇守り抜いたな。お前の周りって理性の塊みたいのばっかりだったのか?」
意味が分からない。でも、俺の周りが特殊なんじゃなく、柚季が特殊なんだと思う。いや、絶対そうだ。だって男にキスするとかしたがるとか変だ。例え冗談でも付き合ってるなんて言うのは変だ。こんな風に男相手に迫ってくるのもおかしい。
「あーやりずれえ!」
柚季がいきなり声を張り上げたから、一瞬びくついた。
でも四つん這いで迫ってきていた柚季がベッドに腰を下ろしたので、少し距離ができた。ほっとして真っ白だった頭も少し元に戻る。心臓が凄くバクバクしている事にも今になってようやく気付いた。あー怖かった……。
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