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first step 4
「隙あり」
唇を湿った物が掠めていった。
え…………?
あまりに唐突だった。
ぼんやり見上げた俺と目が合うと、柚季はニヤリと口角を上げて舌の先を出した。それを見てようやく俺は事態を理解した。
こんの…………!
「変態!」
「お前が隙だらけなのがわりーんだろー」
「はぁ!?お前、男相手にこんな事して恥ずかしくないのか!?」
「別にー。だって言っただろ。俺達愛し合ってたんだってば」
「まだ言うか!?」
「何回でも言うぜ。お前がその気になるまで」
「誰がなるかっ!」
「まあまあ。でも付き合ってた話は置いておいてもさぁ、お前そんな見た目なんだからこんぐらいの事慣れとけって。あんまりピュア過ぎると、壊れやすそうで怖えーからさー」
柚季は勝手な事を言うだけ言って、「じゃあな~」とひらひら手を振り帰って行った。
……なんだか物凄く弄ばれた気がする。あいつの掌の上でいいように転がされたというか何と言うか。今こうしてイライラもやもやしてる事すら全部あいつの思惑通りなんじゃないかって気さえして気分が悪い。
俺は、どちらかというと穏やかな性格だった様に思う。感情的に怒ったことも怒鳴ったことも両手に収まる程度しかない気がするが、今日柚季といた1時間弱の間で物凄い感情の起伏を味わわされた。1年分くらい怒鳴ったかも……。
俺って性格変わったのか?25の俺の事全然覚えてないけど、行動パターンを脳が覚えてて怒りっぽくなってる…とか?
………違う、そうじゃない。これが元々の俺だ。自分で自分を穏やかだって思ってたのは、中学時代、感情を揺さぶられる程他人に心を赦すことが少なかったせいだ。でも、何でそんな風になったんだっけ?……まぁそれは忘れたけど、だから中学でも友達って呼べる相手は数える程しかいなかったんだった。紫音はその中の一人。いや、もっと特別な存在だった。
その紫音が、今日も夜になると家に来てくれた。退院したらそう頻繁には来てくれなくなるだろうと思っていたから、俺は内心凄く嬉しかった。紫音といると、柚季のせいで波風の立っていた感情が落ち着いて来るから不思議だ。そして、癒されついでに、自分の味わわされた感情を揺さぶられる体験を紫音に聞いて貰いたくなった。……平たく言うと、愚痴をこぼしたくなったのだ。
「俺と柚季って、本当に友達?」
「え…」
「今日家に来たんだけど、俺なんかあいつ苦手で…」
「もしかしてなんかされました!?」
紫音が食い気味に聞いてきた。何か知っているみたいなので、俺も聞いてくれよーって調子で一気に喋った。
「やっぱりあいつ常習犯?もう色々されたよ!2回もキスされたし、挙げ句に俺と付き合ってたとか訳の分からないデタラメ言い出して…」
ギリッ
紫音からそんな音がした。何だと思ってよく見ると、紫音の拳がプルプル震えている。おまけに歯を食いしばって凄く怖い顔をしている。
「し、紫音?」
「許せねえあいつ…」
紫音の声が地を這うように低い。……紫音、もしかして物凄く怒ってる…?でも何で?
「俺ちょっと行ってきます」
「へ?行くってどこに…」
「あいつんとこ。もう二度とハル先輩に近づかない様にガツンと言ってきます」
「ええっ…!い、いいよ!そこまでしなくても!」
紫音は俺の静止を振り切って勢いよく立ち上がってズンズン部屋のドアへと歩き出してしまった。俺はなりふり構わず必死に止めにかかった。だってこの剣幕、ガツンと「言う」だけでは済まなそうだ。
「ハ……ハル先輩………っ!」
さっきまで怖いくらい低音ボイスだった紫音があたふたした声をあげた。
え?と思って頭をあげると、紫音が顔を真っ赤にしていた。どした…?よく分からないけど、紫音はもう暴走しそうにないからひと安心だ。
すがり付く様に……と言うより抱きつくみたいに紫音の腰に回していた腕を開放する。でかくて力だって俺より何倍もありそうな紫音を力ずくで止めるにはこうするしかなかった。
「お前なぁ、突然暴走するなよな。相変わらずセンパイ想いの後輩ってのは嬉しいけどさ、別にそこまでしてくれなくてもいいから」
俺は先輩らしく随分とでかい後輩の背中をポンポンと軽く叩いた。紫音は10年も経ってプロにもなってあの頃とは境遇も環境も立場も全然違うだろうに。それなのに、ちょっと無口になったぐらいで紫音の人となりは殆ど変わってない。俺なんかとっくに追い越して、もう「センパイ」なんて呼ばなくても許される立場に立っているというのに、謙虚で律儀で本当可愛い奴だなぁ。
「あれ?そう言えば……」
そう言えばこんな様な事が前にも……いや、つい最近あった様な気が……。…………あ!そうだ!
「柏木先輩!」
「え…」
「そうだよ、柏木先輩!覚えてる?あの時も、そうやって紫音怒ってたよな!」
まるで霧が晴れるみたいに記憶が甦ってきて、俺は少し興奮気味に言った。
あれはそう、中2の文化祭の日の事だ。
……あれ?おかしいな。俺、中3の記憶まであると思ってたのに、なんで今までこの事を忘れていたんだろう。それに、紫音はどうして柏木先輩にあんなに怒ってたんだっけ?俺は、どうして泣いていたんだっけ…?
15までの記憶は完璧だと思っていたのに、不思議だ。記憶が残っている時期を綺麗に線引き出来てる訳じゃないのかな。
「紫音って本当に変わってないんだな。俺、紫音がいてくれて本当によかったよ」
多少無口でも、それでも俺を気にかけてくれてるのが行動で十分に伝わってくる。それに、俺の為に、俺以上に怒ってくれるなんて。紫音は俺が特別だって思ってた昔の紫音のままだ。こんな俺を慕ってくれて、傍にいてくれて。
今の俺には、両親を抜かせば紫音しか知っている人間はいない。柚季も颯天も、あと面会に来てくれた斗士も、今の俺にとっては初対面で、知らない人間だった。そんな中紫音とは唯一緊張せずに接する事ができた。一緒にいると何故かほっとする。姿を見ると安心する。25の俺と今の俺を繋いでくれる存在。俺の知らない俺自身を、多分今の俺以上に沢山知ってくれている。
「ねえハル先輩」
「ん?」
紫音に呼ばれて顔を上げた。紫音の顔色はもう普通に戻っていたけれど、少しだけ緊張しているみたいだ。
「俺が……あいつと同じ事言ったら、ハル先輩はどうしますか?」
柚季と、同じ事……?
どの事だろうと首をかしげて考え込んでいると、紫音が続けた。
「つまり、俺達が付き合ってた……って」
は?
何で紫音までそんな事言うんだろう?もしかしてその冗談は今流行っているのか?俺も合わせてふざけた方がいいのか?でも、紫音は顔を強張らせている……。
「そんなのあり得ないって笑い飛ばすかな」
どうしてだか紫音の表情が固いから、努めて明るい声で言ってみた。
「そう………そう、ですよね…!」
紫音は、はははと笑った。俺に合わせて笑ってるだけといった感じなのに、顔をくしゃくしゃにさせていて、どこかぎこちない。笑ってる…よな?それ以外考えられない場面なのに、不思議と紫音の表情は時折泣いているみたいにも見えた。
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