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first step 5
「またか」
次の日の夕方やってきた颯天に、「俺としいちゃんは教師と生徒の関係を越えた禁断の関係だった」って言われて、それが今の流行りなんだと確信した。俺の知らない内に、何か記憶喪失物でそういう設定のドラマでも流行ったのかもしれない。
「ま、またってどういう事?」
颯天は俺が動揺しない事に目を丸くしている。どっきりを仕掛けた側が驚いてどうする。
「もうそれ言われるの4回目だから。さすがにもう引っ掛かからないよ」
俺は少し得意気だ。時代の流れってものを知らなかったから、柚季には散々こけにされたけれど、もう俺は悟ってるぞ。動揺なんかするもんか。
「4回!?え、俺3人もライバルいた!?」
たかがどっきりに「ライバル」だなんて颯天は大人っぽく見えるけどやっぱりまだ高校生なんだなと思わされる。
「柚季だろー、青木さんだろー、あと一人は……誰!?」
颯天は「ライバル」探しに必死で微笑ましい。
「しいちゃん!笑ってないで教えてよ!あと一人は誰!?」
「言っても知らない相手だよ」
3人目は昼間に来た斗士だ。颯天とは多分何の接点もない。
「でも教えて!名前だけでも!」
……物凄い負けず嫌いなのかな…?颯天の必死さはちょっと微笑ましいと言えるレベルを越えている。
「そんな事より。バスケ部はどうだ、キャプテン」
だから、話の矛先を変えてみた。颯天は、夏に引退した3年に変わりキャプテンになったばかりだとか。しかもかなりの実力者だと聞く。
「しいちゃんが辞めちゃって、みんなちょっと士気が下がってる」
「そうか……」
バスケ部の部員を初め、生徒たちには申し訳なくて仕方ない。勿論、先生たちにも。きちんと責任を果たせず、突然辞めなければならなくなってしまったのだから、後任の手配も間に合っていないに違いない。
「でも大丈夫だよ。しいちゃんは何も悪くないんだからさ、そんな凹まないで。俺がキャプテンとしてビシバシやるから、心配いらないよ!」
胸を張って言ってくれた颯天は本当に頼もしいが、でもきっと本音では顧問もコーチもいない部では心許なくて不安も大きい事だろう。俺の外出禁止が解けたら、ボランティアでコーチを引き受けてやりたいんだけどな…。でも、無理だ。自己都合という建前で高校を辞めた身でコーチだけやりに行くなんておかしいし、それこそ他の生徒や先生達に絶対事情聞かれちゃうしな……。
「授業は滞りないか…?」
「まあなんとかね。でもしいちゃんの授業評判良かったから、他の先生に変わってみんながっかりしてるよ」
「そうか」
とにかく生徒に実害が出ていないみたいでよかった…。
「でもしいちゃんがいなくなったのと同じくらいの時期に、もう一人先生辞めちゃてさ」
「え、それは大変じゃないか…」
ほっとしたのも束の間という奴だ。2人も一気に辞めたなんて、先生達大丈夫かな…。
「まあね。結構ヤな奴だったから別にいーんだけど、先生達はてんやわんやしてるよ。あいつ学年主任とかしてた癖に無責任すぎ」
「そうなんだ……」
「あ、愚痴っちゃってゴメン。不可抗力だったしいちゃんが責任感じることないからね」
そうは言われても、先生達がいっぱいいっぱいになれば、そのツケは絶対生徒に回ってくる…。俺が、記憶さえ失ってなければ……。
「そう気に病む事ないって。来月には非常勤の助っ人雇うみたいだし」
「そうなのか?」
「うん、2人ね」
「よかった…。その先生、バスケもできるといいな…」
「そっちは期待できないよ。定年過ぎの人らしいし」
「そっか…」
「そうじゃなくても、しいちゃんの代わりなんて誰にも務まらないよ」
「……そうか」
自分がどんな顧問だったのか分からないが、大学までずっとバスケはしていたらしいし、インカレにも出場していたらしいから、きっと中学の頃と同じくらいバスケに情熱を傾けていたに違いない。そんな自分なら、いいか悪いかは別として、顧問としても精一杯やっていた筈だ。
「しいちゃんは俺の目標で、憧れだったから」
颯天がキラキラした視線を向けた。今の俺はそんな風に憧れて貰える俺じゃない。全部消えてしまった。そう思うと申し訳なくて、颯天の視線をまともに受け止められなかった。
「ねえしいちゃん」
「……?」
「俺、しいちゃんがいなくてもチーム引っ張って頑張るからさ、ひとつだけお願い聞いて?」
「うん、何だ?」
可愛い教え子だった颯天の願いなら、できる限り叶えてやりたい。俺のせいで、俺が背負うはずだった責任やらプレッシャーやらも全部現キャプテンである颯天の肩に伸し掛かってしまっているのだから―――。
「キスさせて」
「………………は?」
俺は耳を疑った。今、こいつ何て言った……?
「しいちゃんとキスしたい」
おかしいな。やっぱり颯天はさっきと同じ事を言っている。こいつ、俺の元教え子だよな?優秀なバスケ部のエース兼キャプテンって肩書きだったよな?
「お前、何言ってるんだ?」
正確には、何を血迷った事を言っているんだ?と問いたい。柚季じゃあるまいし。柚季とは異母兄弟らしいが、全然似てないじゃないか。……と言うか、頼むから似ないでくれ。
「お願い!それだけで俺3ヶ月は頑張れると思うから」
「なぁ、それも何かの冗談か?」
俺は流行には疎いんだ。というか知らないんだ。頼むから10年前でも通じる冗談にてくれ。
「1回だけ!お願い!」
「いや、おかしいだろ」
何でこんなに必死なんだよ。
「だって柚季とキスしたんでしょ?俺もしいちゃんとキスしたいよ!」
………はぁ!?
「お前な、兄弟で張り合うならもっと別の事にしろよ」
「別に張り合ってるんじゃないよ!ムカついてはいるけど!」
「あー、はいはい」
なんだそういう事か。よかった……。
颯天はやっぱり負けず嫌いの子供だ。張り合う所がおかしいけど、兄に負けたくないのだろう。片や有名人ときているから、普通の兄弟関係とはまた別の葛藤なんかがあるのかもしれない。
「もー!俺本気なのにー!!!」
癇癪を起こした颯天を、俺は大人らしく暖かい目で見守る事にした。
「柚季ばっかりズルい!折角教師と生徒のしがらみがなくなったってのに、何でいつまでも俺の事子供扱いすんの!?」
「落ち着け、颯天」
どうどうという感じにたった一言そう言ったら、颯天はピタリと静かになった。
「そうだった。俺、しいちゃんに名前……」
颯天の言葉は最後の方小さくてよく分からなかった。でも、一転機嫌の良さそうな顔をしている。
「ねえしいちゃん、もっかい俺の事呼んで?」
「え?……颯天?」
これでいいのか?と思いながら呼んでみたが、これでよかったらしい。颯天は満足そうに何度も頷いている。
「効果は1週間くらいかなー?ま、いいや。ちょこちょこチャージしにくるから」
颯天は、更に俺に何度か名前を呼ばせると、また来るからねと言って、満足気に帰っていった。
よくわからないがよっぽど名前を呼ばれるのが好きらしい。
25の俺の周りには、結構変わった人間が多いと思うのは気のせいかな……。
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