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first step 7
刑事さんは鞄の中から分厚いファイルとペンを取り出すと、一度姿勢を正して俺に向き直った。
「それじゃあまずはお話から聞かせて下さい。ええと、事件について何か覚えている事はありますか?」
「いいえ、何も」
「犯人に心当たりは?」
「ありません。けど………」
「どうしました?」
「…紫音から指輪は受け取りましたか…?」
「はい。確か、春君の左手薬指に填められていたとか……」
「内側の文字は、見ましたよね…?」
「はい。『Kouichi』と」
「その……人が、犯人なんですか?」
「その可能性が高いと見ています。状況証拠や証言も取れていますし、あとはDNAも…」
「DNA…?」
「あ…いえ!…ですから、色々な証拠からその人物を第一容疑者として追っています」
刑事さんは慌てて取り繕う様に言った。何か隠そうとしている。そう思ったけれど、最近俺の回りの人たちはみんなこういう態度を取るから…。だから、あまり深く考えない事にしている。追求したってどうせ教えてはくれないのだから。
「その容疑者について何か知っている事はありますか?」
「……ありません」
迷った。身体のケロイドについて話すべきかどうなのか。でも、もう「こういち」という人物が犯人である事はほぼ間違いない様だし、証拠だって揃っているみたいだから、新たな証拠は必要ないと思った。それに、こんな物が身体に残されている事をできれば知られたくはない。
「それでは、事件や犯人に関して覚えている事はゼロという事で宜しいですか?」
「はい…」
「分かりきった事を何度も聞いてすみません。意外に思われるかもしれませんが、僕達結構書類を作る仕事が多いんですよ」
俺は何の情報も与えられていないと思うが、それでも刑事さんは忙しそうにペンを動かしている。
「そのファイル、全部この事件のものなんですか?」
「そうなんですよ。僕達も一応公務員ですからね。お役所仕事じゃないですけど、似たようなもんです」
「ふ…そうなんですね」
刑事さんがおどけた調子で言ったから、思わず笑みが溢れてしまった。
「よかった…」
「え…?」
「春君ずっと表情固かったから。威圧感与えちゃってるかな…と。ここは春君の家だから、『カツ丼食うか?』っていうのも違うし……って、あれは犯人に言うやつか」
刑事さんは一気にジョークまで言ってのけると、破顔した。元々下がり気味の目尻が、笑うと更に下がって優しそうになる。
「気を遣って貰っちゃって…」
「被害に遭われた方は皆さん傷ついておられるので、僕達警官が追い討ちをかけてはいけないな、と常日頃思っていまして…」
刑事さんは少し照れ臭そうに言った。見た目から優しそうな人だけど、中身もとても優しくてよく出来た人の様だ。
「刑事さんはとってもいい刑事さんなんですね」
俺は被害とやらに遭った記憶が全くないから何ともないが、普通の被害者にとっては刑事さんの気遣いは本当にありがたいものだろう。
「なんだか照れますね」
刑事さんは頭をポリポリとかいた。その仕草もなんだか可笑しい。
「あの……今日は春君にお願いがあって……」
「はい、何でしょう?」
何でも…とは言えないが、自分にできる事があるのなら協力したいと思った。
「とても言いにくいんですが……春君の身体を見せて欲しいのです」
か…からだ……?
「正確に言うと左の胸元と、右足の付け根の部分なんですけど…」
左胸と右足…ってもしかして……。
「………どうしてそれを…」
「捜査の為に、春君の入院していた病院の医師から診断書等を受け取っているので…」
センターテーブルの上に、ぺらりと一枚の紙が置かれた。沢山の文字が並ぶなか、一番目立つのは人体の表と裏を模したシルエット絵だった。恐らくこれが俺の診断書…。
シルエットの身体から欄外に沢山の線が延びていて、一番上の首の所から延びている線の先には、『スタンガン等によるものと思われる浅達性Ⅱ度熱傷』と書かれていた。
そうか、首のこれはスタンガンを当てられた痕だったのか……。そう無感動に思っている内に、刑事さんは早々にその書類をテーブルから取り上げてしまった。もっと知りたかったな……。
「ただの傷は診断書だけでもなんとかなるのですが、胸元と足にあるとされる火傷の痕は証拠能力が高いので……。犯人に厳正な処罰を与える為に、できれば写真にも残しておきたいのです。消えるものではないと聞いていますが、万が一という事もありますから…」
――――そうか。この文字は消えないのか………。
「あ、あの、どうしても嫌なら無理強いするつもりはありませんよ!」
ショックで黙りこくった俺を心配してか、刑事さんが慌てて言った。
「いえ……大丈夫です」
あの痕が消えないという事実はショックだし、記憶がないせいか犯人に厳正な処罰を…という事にもあまりピンと来ないというか現実感が伴わないが、刑事さんが必要なら写真ぐらい何枚でも撮ればいいと思った。本当は誰にも知られたくはなかったが、刑事さんには既に知られているのだから。
ぐずぐずしていても始まらないので、思い切ってTシャツを裾から胸元まで捲り上げた。グロテスクな「K.M」のケロイドが露になる。何度見ても嫌な気持ちになる…。
「気持ち悪いですよ…ね…?」
言いながら顔を挙げると、刑事さんは口を開けたままこちらを凝視して固まっている様に見えた。
「あの……」
「あっ!はいっ!すみません!」
刑事さんは俺と目が合った途端顔を真っ赤にさせて何故かあたふたと謝った。
どうしたのだろう…?刑事さんならこれくらいの傷、見慣れてると思ったけど、これそんなに酷いのかな……。
あ……!もしかして……。
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