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determination 3
試合終了――――。
こんなに動けたのは、こんなに手応えがあったのは、本当に久し振りだった。
昨日はよく眠れなかったけど、それでもハル先輩が傍にいて、俺を観てくれているというだけでこんなにも身体の動きが違った。やっぱりハル先輩は俺にとっての色んな意味での女神様だなぁと改めて実感させられる。
試合後の挨拶が終わってオーナーの横に立っていたハル先輩に視線を向けると、ハル先輩はニッコリ笑って労う様に頷いてくれた。その瞬間、今日何度目だろうか。どこからかカメラのフラッシュが焚かれた。
恐らくこれが、試合に出すわけでもないのにオーナーがハル先輩を会場に連れてきて、しかもずっとわざと目立つように自分の隣に立たせていた理由。
要は話題作りだ。オーナーの考えは少しもぶれていない。つまり、俺1人のみならず、ハル先輩をも客寄せパンダとして使う気満々ということ。
「お疲れー」
ハル先輩の元へと一直線に向かっていた俺の肩に手を回してきたのは、共に試合で活躍していた勝瀬さんだ。隣には豊田さんもいる。
「お疲れっす」
早く行かせてくれないかな…。
「なー椎名君さぁ、なんかオーナーの愛人みたいだよな」
「はぁ!?」
いきなりの爆弾発言。
先輩とは言えハル先輩をバカにされた事に腹が立って思いっきり睨み付けたら、勝瀬さんが眉を下げた。
「ごめんって。でも、考えてもみろ。季節外れの転校生。しかも、一番エライ先生と一番の人気者から贔屓されてるときた。どう考えたっていけ好かないだろ?」
何だよそれ。妬み嫉みってことか?バカバカしい。
再び勝瀬さんを睨み付けて文句を言いかけたが、勝瀬さんの表情を見て「待てよ」と思い直す。
………確かに人間ってのはそういう下らない感情を抱く生き物だ。俺だって嫉妬だの言う感情に支配される事は多々あって、それでよくハル先輩とも揉めていたじゃないか。
再び、今度はノーマルなフィルターで勝瀬さんを見た。勝瀬さんは意地悪な顔は全然していない。寧ろ心配そうだ。
そうか。この人は親切にも鈍感な俺に忠告をしてくれていたのだ。
「そんなの解決するのは簡単ですよ」
俺は首を傾げた勝瀬さんがちょうど小脇に抱えていたボールを手振りで受け取ると、不意打ちにハル先輩目掛けてそれを投げた。
パシンとボールを受け取ったハル先輩はいきなりの事にびっくりした顔をしていたけれど、俺は構わずゴール目掛けて走った。片手を上げてボールを要求すると、ハル先輩から鋭いパスが飛んできた。察してくれたらしい勝瀬さんと豊田さんの二人が俺のディフェンスについた。流石に二人に張り付かれると1人ではどうしようもない。
「紫音」
右後方から声がした。豊田さんがパスを阻止しようと右側にずれた。正面に、わずかな隙が生まれる。俺はまだ誰もいないゴール下目掛けてボールを放った。
思った通り。
絶妙のタイミングでそこに走り込んだハル先輩が、流れる様に綺麗にシュートを決めた。
走り寄った俺とハル先輩は、どちらからともなく自然とハイタッチをした。この一体感は、まるで学生時代に戻った様だ……。
「来るぞ」
感慨に耽っていた俺にハル先輩が低く呟いた。
そう。ボーッとしている暇はなかった。今度は勝瀬さんチームが攻める番なのだ。
遅れをとった俺より先に動いたハル先輩が、目にも止まらぬ速さで勝瀬さんのボールをスティールした。ブランクのあるハル先輩を相手に、勝瀬さんは油断していたのだ。現に勝瀬さんも豊田さんも、虚を衝かれたという様な顔をしている。
ハル先輩は持ち前のスピードであっという間にシュートの射程圏内までボールを運ぶと、並走していた俺に目線を寄越した。活躍の場を譲ってくれようとしているのかもしれない。だが残念ながら俺にはデカイ豊田さんが張り付いている。
行け!
俺は微かに頷いた後にパスを貰う仕草を行った。
――――ハル先輩はやっぱり俺の真意を分かってくれていた。
俺のフェイクとそれに合わせたハル先輩の肩の動きを見て、勝瀬さんはパスや外からのシュートを警戒した。その一瞬の隙をついてゴール下まで華麗にドライブインすると、再び難なくシュートを決めたのだ。
「ナイシュ!」
こちらも再びハイタッチ。
楽しい。気持ちいい。ハル先輩とのバスケはやっぱり最高!さぁもう1本!
そう思ってボールを手に振り返ると、勝瀬さんも豊田さんも降参のポーズで苦笑している。
気づくと会場中がワッと湧いていた。試合が終わって間もなかったから、観客はそのまま残っていたし、チームメイトもオーナーも、マスコミ関係者も、皆の目が俺達に集中していていた。
ちょっと目立ち過ぎたかな…。慌ててハル先輩を振り返ったが、予想外に青ざめたり固まったりはしていなかった。驚きと戸惑いの表情。そして、俺と目が合うと恥ずかしそうに苦笑した。
――――そうだった。
ハル先輩は忘れているから。あいつとのトラウマがないから、以前までのように目立つ事を必要以上に恐れたりはしないのだ。本来の力を発揮することが出来ずに葛藤したり悔しがる事もないのだ。
「よかった…」
ハル先輩が呟いた。
「俺バスケは忘れてなかったみたい」
「……そうですね。前と少しも変わってません」
それどころか、迷いがない分以前よりも―――。
「こんな風に騒がれて、見られて。凄く恥ずかしいけど、でもそんな事気にならないくらい……早くバスケがしたくて身体が疼いてるんだ」
ハル先輩はそう言って、今度は苦笑いじゃなく本当に笑った。
影のない笑顔だった。キラキラしていて、眩しくて………。
そんなハル先輩に少し後ろめたい気持ちを抱いている俺には、とても直視できない程に―――。
幸せそうだった。
全て忘れたハル先輩は、とても幸せそうに見えた。例え俺の事を忘れてしまっていても………。
ハル先輩の記憶が戻らなくて不幸なのは、もしかしたら俺だけなのかもしれない。
先ほどまでの高揚感と同じくらいの強い虚無感に襲われ、俺は何も言えなかった。
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