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determination 4
「紫音ー」
アウェーでの試合を終えて、チームを乗せたバスが拠点に戻ってきた。時刻は21時。バスを降りてハル先輩と「腹減りましたね」なんて話している時だった。宏樹さんから声をかけられた。
「何ですか?」
「何ですかとは何だ」
台詞としては適切だと思う。が、「うるさいな、邪魔するな」という気持ちが顔に出ていたのだろう。宏樹さんは顔をしかめている。
「宏樹先輩のご用件は何でございましょう?」
わざとらしくバカ丁寧に返すと、今度は肩を小突かれた。
「さっきあっちで話してたんだけど、どうせ皆これから飯行くだろ?行けるメンバーだけで椎名君の歓迎会でもやろうかって」
歓迎会?
「あっちで」と宏樹さんが指差した方の塊の中には、試合中は確かに俺でも気づくくらいのジト目でハル先輩を睨んでいた今年入ったばっかの新人なんかも含まれているが、一転今は機嫌良さそうに、いや寧ろ媚を売る様にニコニコしてこちらの様子を伺っている。
ハル先輩の実力を見てすぐに試合に起用されると踏んだのだろう。そうなればどう考えても敵対しているよりも仲良くする方が自分の為にもチームの為にも得策だ。
ほんっとうちのチームの奴等って単純。分かり易過ぎだろ。扱いやすくていいけどさ。
「椎名君どう?行ける?」
「はい。でもいいんですか、俺の為に…」
「当然。俺たちみんな君の加入を歓迎してるんだから」
うわー白々しいな。
「ありがとうございます」
「うんうん。それじゃあ行こう」
げ!
ペコリと頭を下げたハル先輩の肩に宏樹さんが腕を回した。
何という馴れ馴れしさ……。
「春って呼んでもいいかな?」
ダメダメ!
「はい。……あの、」
ダメだってハル先輩!
「あ、俺の事は宏樹って呼んでくれる?」
「はい、宏樹さん」
やめて名前呼び!
「別に呼び捨てでもいいよ?」
なんかチャラっ!
「いえ。先輩ですから」
「律儀だね、春は」
だから、馴れ馴れしく春って呼ぶな!
「紫音と違って」
真後ろを歩きながら二人の会話に心の中で突っ込みを入れていた俺を、宏樹さんが振り返った。
ええと、何の話?何が俺と違うって?それにしてもいい加減ハル先輩の肩から手を退けろ。
「何睨んでるんだよ。冗談だって」
宏樹さんは馴れ馴れしく「なぁ春」と言ってハル先輩の顔を覗き込んだ。
近い。顔の距離が近すぎる。あー腹立つ。俺の恋人なのに。今はそう胸張って言えないのがもどかしく悲しい。でもこの人はハル先輩扮したハルコちゃんにキスしようとした前科がある。これまで関わりがそこまで濃くなかったからよく知らなかったけど、意外とチャラい。合コンの時の手の早さが頷けるチャラさだ。どうにかこのスキンシップを阻止しなければ……。
「宏樹さーん、俺も仲間に入れてくださーい」
俺は多少棒読みながらもハイテンションでハル先輩と宏樹さんの間に割って入った。
「お、珍しいな紫音」
「そうですか?俺の事もたまには構ってくださいよー」
「あ、ああ。でもお前、珍しい通り越してちょっと気持ち悪いぞ…」
「えー?そうですかー?」
俺はハル先輩に毒牙を伸ばされない様に必死に宏樹さんに媚びてピエロを演じた。店に着いてからも本当はハル先輩の隣に座りたいのに敢えて宏樹さんの隣をキープして、酒だって勧められるがままに飲んだ。宏樹さんも他の先輩も、いつもと違う俺を面白がってガンガン飲ませてくる。
*
「今日の紫音面白いなー。春の前ではいつもこんな感じだったの?」
「いや……どうなんでしょう…?」
「よくわかんないって?お前ら仲良さそうに見えてそうでもないのか?」
「そんな事はない、と思うんですが…」
「なーに話してるんですかー?」
……酒の量に比例してトイレが近くなるから困る。限界まで我慢して、急いで済まして席に戻ってきたのだが、その隙にまた宏樹さんがやらしい顔してハル先輩に話しかけていた。
「いや、お前と春って実はあんまりプライベートの付き合いないのかなー、って」
「んな訳ないじゃないですか!俺とハル先輩は超仲良しですよ!プライベートで付き合いまくりです!」
「そうなの、春?」
「は、はい。紫音には色々世話になってますし…」
「世話だなんてハル先輩!そんな水くさい事言わないでください!俺たちの仲なんですから!」
「う、うん。ありがとう」
胸を張って言った俺に、ハル先輩が遠慮がちに答えた。ハル先輩には飲ませないようにしてる(ハル先輩に勧められた酒も俺が割って入って飲み干した)から、俺はベロベロ。ハル先輩は白面だ。テンションに差があるのは仕方ないのだ。それに、酔っ払っている俺はそんな事そもそもあまり気になっていない。相変わらず可愛いなぁ……と思いながら若干引き気味のハル先輩をニヤケ面で見つめていた。
「何デレデレしてるんだよ紫音」
「だってハル先輩がかーいくてかーいくて…」
「おいそれってもしかして……」
宏樹さんが言葉を切った。あれ?俺なんか変な事言った?
「なぁ春。春には妹とかいたりする?」
「え、妹?……いない、筈です」
「ふーん。お姉さんも?」
「いません」
「そっか。じゃあ違うか」
「違うって…?」
「いや、前に会った紫音の彼女に似てるから。もしかしたら春の妹とかだったりするのかなと思って」
「似てるって、俺が?」
「宏樹さーん!それ、俺も思ってました!」
大声で割り込んで来たのは航だ。煩くてキンキン耳に響く。
「さっきから春君がハルコちゃんに見えちゃって、こう、変な気持ちに…」
変な気持ち…!?ギンっとハル先輩の隣の席にいた航を睨み付けて文句を言ったのだが、その場が今日イチという感じにわっと盛り上がってしまって、呂律の怪しい俺の声は届かない。
「紫音って彼女いたの!?」
「へぇー、紫音の彼女、ハルコちゃんって名前なんだ」
「ハルコちゃんって前モデルとの合コンに来てた、あの子?」
バカみたいに盛り上がっているのは俺の話題だ。正確には俺とハルコちゃんの。
「しかもみんな聞けよ。あのハルコちゃん、推定18才以下だ」
宏樹さんが偉そうに発表した。完全なる勘違いなのに。……てか、それ黙ってるって言ってたじゃん。それなのにこんな大勢の前で暴露しちゃったよ。意外と酔ってんのか、この人?
「紫音すげーじゃん!」
「やるなー!」
だから違うって……。
「なぁなぁ、やっぱ高校生は違う?肌の質感とか……あっちの締まりとかさ」
一人がそうぶっちゃけると、一部から下品な笑いが溢れて、皆の目が爛々と輝いた。
男オンリーの飲み会だ。話題が下の方に行ってしまうのはお約束だし、ある程度仕方ない。俺だって実の所嫌いではないが、ハル先輩の前だしなぁ…。でも酒のせいか、ハル先輩不足のせいか、大好きなハル先輩の事を皆に自慢してやりたくて仕方ない。
ハル先輩は高校生じゃないけど、遡って考えてみた。
ハル先輩が16の頃からずっとその身体を知っているけど、肌なんか当時と変わらず今でもキレイだし、滑らかで艶やかで色っぽい。適度な筋肉に覆われていて身体のシルエットは美しいし、若々しく敏感な肌は感度も良好。それでいて初々しく、声も仕草も反応も全部可愛いし……うん。やっぱハル先輩は高校生並みの若さと可愛いらしさと大人の色っぽさを兼ね備えた素晴らしい人だ!
「他の子には微塵も興味なくなるくらい可愛くて最高ですよ」
俺が想像の中のハル先輩にデレデレしながら自慢気に答えると、今日イチのざわつきが早くも更新されてしまった。
「え、どんな子なん!?」
「羨ましすぎるぞ……」
あの合コンに来なかった奴等が口々に詮索し始め、ハルコちゃんを知っている奴らは次々と感嘆し、ハルコちゃんの容姿について先を争う様に口にし出した。
「もうすっげー可愛いんすよ!スタイルもよくてめちゃめちゃモテそうなのに控え目で……。はぁー。いいなぁ紫音……」
「あのメンバーの中で唯一モデルじゃないって言ってたけど、正直あの中で一番可愛かったよな」
「あぁ。紫音が腑抜けになるのも分かるよ。これまで出会ったどの女の子とも違う独特の魅力があったなぁ…。瞳の色も変わってて……いや本当、春にソックリ」
宏樹さんがそう言ったから、全員の目がハル先輩に向いた。当のハル先輩は「え…」という感じで困惑している。可愛い……。ほんっとにほんっとに可愛い。俺の恋人。俺のハルコちゃん。俺のハル先輩………………。
「おい紫音。お前大丈夫かぁ?」
宏樹さんに小突かれ我に帰った。気づけば周囲の話題は既に変わっていて、俺だけが長いことジーっとハル先輩を見つめていた様だ。
「お前春と暫く同居するんだろう?ハルコちゃんと間違えて春を襲うなよ?」
「そ、そんな事は…」
間違えてと言うより、本人だし。
「ふーん。けど正直俺だったら自信ないな」
宏樹さんがそう言った。小声だったけど、確かにそう……。
「はぁ!?」
「だって春可愛いだろ。男にしておくの勿体ないよな。溜まってたりしたら、間違い起こしちゃいそう」
「やめてください」
無駄にハイテンションだった俺の酔いも一気に醒めた。真面目なトーンでそう言うと、宏樹さんもぶっちゃけ過ぎたと思ったのか神妙な面持ちでごめんと言った。
でも俺にとって問題なのは宏樹さんがぶっちゃけた事ではなく、ここでもハル先輩がそういう対象にされてしまっている事を確かに確認してしまったことだ。もう疑いでも思い込みでも何でもない。少なくとも宏樹さんは、ハル先輩をやらしい目で見ている。
斜向かいに座っているハル先輩に目を向けると、航を筆頭に2年目や1年目の若手メンバーと何やら話をしている。そいつらの視線がみんなやらしい視線に思えて仕方ない。それなのにハル先輩は何の警戒心もなくニコニコと愛らしさを振り撒いている。
俺は立ち上がった。そして―――。
「もう帰りましょう」
ハル先輩の背後からいきなりそう言った。ハル先輩も、航も、その他の1年も、宏樹さんも、みんなの顔がこっちを向いた。所謂場を凍らせた。でも、そんな事に気を使う余裕は俺にはなかった。俺は財布から万札を2枚出すと、航に差し出した。
「足りなかったら後で言って」
戸惑ってなかなか手を出さない航の席に金を置くと、ハル先輩の腕を掴んだ。
「ちょ…」
ハル先輩が抗議しかけたが、それすら無視して俺はハル先輩の腕を引いた。そして振り返る事なくハル先輩の腕だけを強く引いて店を出た。
「もう!離せって!」
店を出てからもハル先輩の抗議を一切聞かずにずんずん歩いていた俺に痺れを切らしたのか、ハル先輩が力ずくで俺の手を振りほどいた。
「どうしたんだよ!」
ハル先輩の表情と声色には困惑と戸惑い、そしてほんの少しの苛立ちが含まれている。
「ごめん…」
「ごめんって……」
ハル先輩が呆れているが、なんて説明したらいいやら。いや、説明するとしても俺のただの嫉妬ですって事になっちゃうからそう言う訳にも―――。
「何かあったのか…?」
さっきまでとは全然違う声のトーン。そして、俺の顔を覗き込む心配そうな優しげな眼差し。
て………天使だ………。
「ハル先輩……」
「うん?」
好きだ。好きだ。好きだ。好き過ぎて――――――。
「……………………」
――――――言えない。
言えない。大好きだから。
若い頃にはまだあった、後先考えない行動力も決断力も、酒の力を借りたって湧いてこない。
あの頃だってハル先輩は俺にとってかけがえのない存在だった。けれど、今はそれ以上に―――。
俺とハル先輩が普通に男女なら、違った。それか、ハル先輩に元々同性愛の気があるか、もしくはせめてハル先輩に男から好かれる事を極端に嫌がるトラウマがなければ、もう少し希望があったかもしれない。でも今俺の目の前にいるハル先輩は、柏木先輩に告白されただけで泣いてしまった純粋すぎる程純粋なあの頃のハル先輩で、それを肯定するかの様に秋良から言い寄られて嫌悪感を丸出しにしていた。
俺がハル先輩と両想いになれて付き合えたのは、本当に奇跡だったのだ。
こう言ってはなんだが、ハル先輩が俺を受け入れてくれたのはあの男が同性と身体を合わせる事のハードルを無理矢理下げさせたせいであり、あとはあいつがハル先輩の心の支えとなる人、物を全て遠ざけたせいであって、あの頃のハル先輩は俺を支えにするしかなかったのだ。
ハル先輩が俺を好きになったのは、ほぼあの頃置かれていた特殊な状況のせいであって、残念ながら俺の魅力に惹かれた訳ではなかったと思う。
あれと同じ状況はもう二度と起こらない。いや、起こってはいけない。でもそうなると、ハル先輩が再び俺に惚れてくれる可能性は限りなくゼロに近くて、俺はハル先輩が記憶を取り戻してくれない限りはハル先輩の恋人に返り咲く事は不可能なのだ……。
自分の感情を隠すのは辛い。でも好きだと告げてハル先輩に嫌われたら、遠ざけられたら、俺は生きていけない。例え恋人として見てくれなくても、それでも傍にいたい。そんなハル先輩の傍にいる事が、俺にとってある意味拷問であったとしても、それでも俺はハル先輩から離れる事なんて――――。
「紫音……?」
「眠かったから……」
「………え?」
「早く帰って寝たかったんです!」
苦し紛れの言い訳。ハル先輩も何言ってるんだと眉をひそめている。
「帰りましょう」
俺は再びハル先輩の腕を掴むとタクシーを拾った。
腕を掴む前に一瞬見たハル先輩の表情に、僅かな不信感があった。多分、俺の言い訳が嘘だって事に気付いている。だからこそ、至極自分勝手な俺の言い訳を叱責するでもなく、寧ろ心配そうに俺の様子を伺っているのだ。
変に思われたに違いない。でも、ハル先輩をあの場に置いておくよりはマシだ。男嫌いのハル先輩に俺の気持ちがバレて軽蔑されたり遠ざけられたりするよりは遥かにマシだ。
今は、ハル先輩の傍にいる為にはどうすべきか、という事を第一に考えて行動すべきなのだ。俺自身の為。そして、ハル先輩をあいつから守る為に、俺は何があってもハル先輩から離れない。
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