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『試合、どうだった?』 今日3度目の受話器ごしに聞く、ハル先輩の声。 離れてみると気づくのだ。例えハル先輩が俺を想ってくれないとしても、傍にいられるだけでどれだけ幸せなのかという事に。 今年も有り難い事にオールスターに召集された俺は、同じく選ばれた宏樹さんと二人、地方に来ている。例年東京での開催だったのだが、今年は大きな災害に見回れた地方へのチャリティー活動も兼ねて、こういう形になった。いや、俺の心情からするとなってしまった。 ハル先輩にもしも何かあってもすぐに駆けつけることの出来ない距離にいることがともかく苦痛で仕方ない。チームの練習を休ませてハル先輩も一緒に連れて来たかったけど、流石にそれは拒否られた。 あー。でも、怒らせてでも無理矢理連れてくればよかったかも。そしたらこんなにソワソワ悶々としなくて済んだのに。 「試合はまあまあでしたよ。それより、今は家?」 『うん。さっきまで筋トレしてたけど、今はちょっと休憩中』 家の中という安全な所にいると知ってまずほっとした。そして、まるで言い訳するみたいに言うハル先輩が可愛らしくて微笑ましい。 ハル先輩は家の中でいつも熱心にトレーニングをしている。別に少しくらいサボってもいいのに、ハル先輩は結構ストイックだ。やると決めたら手を抜いたり投げだしたりはしない。その割に思うように筋肉が増えていかないのが本人の目下の悩みの様だが、体質のせいなのでいかんともしがたい。あんまりムキムキになられてはちょっと困る俺としては内心ほっとしているが。 「帰るときもいました?あいつ」 『うん、いた』 「何もされてない!?」 『うん。ちょっと話しかけられたけど、豊田さん達が来たらすぐに離れて行ったよ』 あのストーカー野郎が……。 ハル先輩への暴言で握手会出入禁止になったあの男は、握手会に来なくなった代わりに練習場所の体育館や試合会場の出入口で頻繁に出待ちをする様になった。試合中は双眼鏡でいつもハル先輩の動きを追っていてかなり気持ち悪い。試合中はともかく、ハル先輩がベンチに座っている時ですら見ている。 試合中や出待ちの時にまた暴言を吐くとかもっと問題行動を起こしてくれたら対処もしやすいのだが、ニヤニヤと笑って手を振ってきたり、近寄ってきて「お疲れ様」とか害のない声をかけてきたり、女に渡すみたいなちっちゃい何かの動物のマスコットとかお菓子らしき物とかを手渡してこようとしたり。 これまでは当然俺がいつもハル先輩と一緒にいて、ハル先輩とそいつが直接接触しない様にガードしてるし、文字通りかなり睨みを効かせているので、最近では俺の姿を見ると近寄って来なくなってきていたのだが、その矢先の地方遠征だ。チーム内で唯一事情を知っていて、一応一番信頼できると思っている既婚者の豊田さんと、保険で同じ社宅のマンションに住んでいる勝瀬さんに護衛を頼んでいるのだが、話しかけさせるとはガードが甘すぎる………。 「何て言われたんですか?」 『知ってるよ、って』 「え?」 『意味分からないよな。でも、そう言ったんだ』 知ってるよ……? 確かに意味は分からないけど、なんか嫌な感じだな。知ってるって、まさか事件の事……?それはまだマスコミにだって嗅ぎ付けられていない筈だけど、残念ながらいずれ明るみになる日はくるだろう。 ハル先輩が俺の様にテレビにもCMにも出ていなくても、今やネットの時代だ。ただバスケをしてるだけでも目立ってしまうハル先輩の事を、「王子さまの様だ」とか「美しすぎる」等と騒ぐ目敏い連中が大勢いる。 余談だが、ハル先輩の写真には「紫音の嫁」というタグがつけられる事もしばしばあって、そういう下世話な言葉に釣られてハル先輩を知る人も大勢いると思う。オーナーの目論見通り、今の時代はそういうのがウケるらしい。俺も実は内心にやけてしまっているが。 それはともかく、SNSや掲示板に挙げられたハル先輩の試合動画のスクショはネット上に何枚も残っていて、今やバスケに興味のない層にも、その美貌が知れ渡ってしまっている。これだけ有名人になってしまった今なら、裁判が始まる前にどこかで話が漏れる事だって有り得ない話ではないし、裁判が始まれば間違いなくマスコミが嗅ぎ付けるだろう。 その時の事を想像すると今から気が重い。もしもう既に話が漏れているとしたならば近いうちにその日はやってくるのだろう。ハル先輩は何ひとつ悪くないのに、色眼鏡で見られるかもしれない。 それでも、あいつはちゃんと裁かれなければいけない。前みたいに身内だけの制裁ではいけない。ちゃんと刑を受けて、出来る事ならもう何の悪さも出来ないヨボヨボのじいさんになるまで服役していて欲しい。もっと言うなら死をもって償ってくれたっていい。 ハル先輩の事は、俺が守る。心ない言葉や憶測は耳に入らない様にするし、今日みたいな時以外は一緒にいられるのだから、物理的にも守れる。あぁ、今こんなに遠くにいて、ハル先輩の側にいられない事がもどかしい。あのストーカーからもちゃんと俺が守ってあげたいのに……。 「明日は接触されない様に豊田さん達にピッタリくっついていてくださいね」 明日もう一試合やって、自宅に帰れるのは夜だ。何にも起こらないといいのだけど……いや、起こらない様にしないといけない。豊田さん達にもしっかり護衛する様にもう一回言っておかないと……。 「またあの変なファン?」 ハル先輩との通話を終えると、背後から声がして不覚にも驚いた。 「いつからいたんですか宏樹さん」 「お前が電話初めてからすぐ」 「………聞いてました?」 「だってこの部屋ツインだし」 宏樹さんが口を尖らせる。……うん。ごもっとも。ついつい責める口調になってしまったが、ハル先輩との会話に夢中で背後にいた宏樹さんの存在に気づかなかった俺が悪い。 「春、大丈夫なのか?」 宏樹さんは眉を潜め心配そうに言った。 「実害は特に。でも相変わらず『いる』みたいです」 「春もチームに入って早々変なのに目つけられて災難だなぁ」 それがハル先輩ですから。と思わず言ってしまいそうなくらい、ハル先輩の回りに変なのがいることはスタンダードだ。 男なんか好きじゃない奴ですら魅了してしまう容姿に加え、基本的に誰にでも優しく丁寧で物腰も柔らかいから、勘違いされやすいのかもしれない。実の所芯があって結構気が強かったり自分を曲げない所があったりするだが、初対面では見えづらい。 だからこそ俺は社会人になるまでずっと過保護だった。そのせいでハル先輩の危機管理能力が育たなかった事は大いに反省すべき点だったが、今はまた別だ。あいつの記憶がないせいで、輪をかけて無防備なハル先輩はとても放ってなんておけない。そうでなくとも、まだ捕まっていないあいつから守らなきゃいけないし。 「まぁなぁ。可愛いもんな、あいつ」 宏樹さんがポツリと言った この間、「春に変な感情はない」ってわざわざ真面目な顔して俺に言いに来た癖に……。 俺はギロリと宏樹さんを睨み付けた。 「おいおい言っておくけど、一般的な感想な。だって邪な感情抜きにしても可愛いじゃん、あいつ。見た目もそうだけど、中身も素直で大人しくてニコニコ愛想もよくて滅茶苦茶可愛いよ」 邪な感情抜きにして?邪な感情があるから可愛く見えるんじゃないのか。 「お前またそんな怖い顔して。そうやって春に好意的な奴みんな排除してくつもりか?それが春の為になるって本気で思ってるのか?」 そうだよ、ハル先輩の為。ハル先輩がもう二度と怖い目にも嫌な目にも遭わない為に俺は………。 「お前がずっとそんな風に春を囲ってたら、お前らチーム内でどんどん孤立しちまうぞ。あのファンみたいに本当に危ない奴を排除するのは必要だと思うけど、最低限チームメイトぐらいは信用したらどうだ?」 耳が痛すぎて俺は何も言えなかった。 宏樹さんの言うことはごもっともだ。俺だって、「人を見たら泥棒と思え」みたいなこのやり方が完全に正しいなんて思っていない。けど、何か起こってからでは遅いのだ。もう二度と失敗は許されないから。「疑わしきは罰せず」じゃダメなのだ。疑わしきは排除しなければ、ハル先輩を完璧に守る事なんて出来ないのだから………。

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