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「あの、大丈夫、ですか……?」 気づけば結構時間が経過していたらしい。痺れを切らした小野寺さんが恐る恐るという感じで寝室に姿を現した。 ここがハル先輩の寝室だったら即出てけと言う所だけど、俺の部屋だからまあいい。でも、心配そうにハル先輩の顔を覗き込もうとするものだから、見せるのが嫌でリビングへと誘導した。本当はハル先輩の傍を離れたくはなかったけど、ちょっとこの人に話を聞く必要があるし、釘もさす必要もある。 「ハル先輩突然倒れたって言いましたけど、その前に何かあったんじゃないですか?」 「何か……って、特に何も………」 「倒れる直前は何をしてたんですか?」 「話をしていました。捜査の進展状況を聞かれて、でも大きな進展なんてないし。そしたら事件の事を聞きたがって。自分はどうして狙われたのか、とか、どういう目的だったのか、とか」 「……まさか言ってないですよね?」 「言ってませんよ!言えませんよ……。でも春君があんまり必死に知りたがるから、何か話せる様な事はないかな、と事件のファイルを捲っていたら………この資料を落としてしまって。春君が拾ってくれたんですけど……確かその直後に頭痛を訴え出したんだ。あんまり辛そうだったから心配になってソファーに座らせたら、直ぐに倒れ込んで来て……」 これ、と渡された資料は図解になっていて分かりやすかった。拾い上げた一瞬だったとしても、頭のいいハル先輩なら読み取れただろう。 ハル先輩が発見当時に着せられていた白いシャツに付着していた血液の範囲が図解されていて、そのDNA型がハル先輩のものとは不一致であると書き添えられていた。 衣服からハル先輩以外のDNAが検出された。 その事実については聞かされていたけど、それが血液だったとは思わなかった。勝手に、精液の方だと思っていた。入院直後に行われたという身体検査で、ハル先輩の身体の中からそれが検出されていたし、そうでなくてもあいつの目的なんて明らかだから、そう思い込んでいた。 この血液の付着範囲が本当なら、結構な出血量ではないだろうか。一体なぜ………。 「もしかしてそれが引き金だったんでしょうか……」 「もしかしなくても完全にそうでしょうね」 項垂れる小野寺さんに俺は冷たく追い討ちをかけた。血痕に関する疑問が吹き飛ぶ程イラっとしたから。 こんな物をハル先輩に見せるなんて、不注意にも程がある。それに、何か話せる事なんて、この事件に関しては全てがハル先輩の傷つく内容しかないのだから、あるわけない。それを何かないかと必死に探す様は、ハル先輩の期待に応えて自分の株を上げようとしてるみたいで益々腹が立つ。完全にハル先輩から気に入られようとしてる。 ちょっとどんくさくて誠実に見えるし、何よりも刑事だから、完全に油断してた。こいつ、ハル先輩に気があるんじゃないか。バスケの試合も頻繁に観に来てたし、握手会にもよくいたし、そう考えればあからさまじゃないか。何で今更気づいてるんだ、俺。 「小野寺さん、あなたハル先輩に変な感情持ってますよね?」 「えっ!?変な感情って……!?」 「担当の刑事さんて代えられるんですか?」 「え!?そんな、どうしてそんな事言うんです!?」 これまで世話になった。他の刑事は相手にしてくれなかった事件の話を親身になって聞いてくれて、藁にもすがる思いだった俺にとってはまるで救世主だった。だから、この人には正直感謝しかなかった。先程寄り添う二人を見るまでは。 ハル先輩が見つかる前も、そして今も、真剣に捜査に当たってくれていたのだろうとは思う。残念ながら最近は収穫が全くないが、それはこの人が手を抜いているせいではないだろうし。 でも、それとこれとは話が別なのだ。いくら俺にとって救世主だったとしても、仕事をきちんとやってくれていたとしても、ハル先輩に対して事件の被害者という以外の認識や感情を持たれるのは困るし、刑事としてダメだと思う。いや、もしも警察内部の規範で何の問題もないとしても、俺にとっては問題大有りだ。 「だって小野寺さん、ハル先輩の事好きでしょ?」 「す、好きって………!」 「そういう訳で困るので、担当代えてください」 「ちょ、ちょっと待ってください!好きって、そういう好きですか!?も、もしそうなら、僕は男で春君も男で、だから、その、そういう好き、とかいうのは…」 「じゃあ何で今日はここにいるんですか?どうして仕事とは関係なしに試合観に来たり握手会に来たりするんですか?」 「そ、それは……」 「ハル先輩とどうにかなりたいって思ってるからだろ!」 煮え切らない態度の小野寺さんに苛立って、つい口調が荒くなる。 「違います!誤解です!今日は、春君に変なファンがつきまとってるって噂を聞いて、心配になって見に来ただけです!」 小野寺さんは声を張り上げた。おとなしくておっとりしている印象が強かったから意外性に驚き、俺は一瞬出遅れた。 「様子を見に来たら、この間の握手会で騒ぎを起こしてた人が本当に出待ちをしていて。春君、凄く緊張した顔をしていました。きっとかなりのストレスと恐怖を感じているんだろうなって思ったら放っておけなくて、ここまで送り届けたんです。そしたら春君がお茶をご馳走してくれるって言うのでお言葉に甘えて……。成り行きとは言え家の中まで上がり込んでしまって、軽率でした。女性の被害者の方との距離感は気を付ける様にしていたんですが、僕の中で春君はあくまでも男性でしたので……。青木君の気持ちも、二人が恋仲だった事も教えて頂いていたのにも関わらず、配慮が足りませんでした。本当に申し訳ありません」 小野寺さんは真摯に答えると、深々と頭を下げた。 俺は、落ち着かない気持ちになった。小野寺さんがあまりに誠実で、俺の理不尽さが際立って感じられたからだ。 小野寺さんは、下心なんかじゃなく、ハル先輩の護衛の為に会いに来たと主張した。それは果たして本当か。そして、無遠慮に家まで上がり込んだのは、ハル先輩をただの男として見ていて、恋愛対象として意識していないためであるとも言った。それは果たして―――――。 「バスケを観に行くのは、単純に好きだからです。それに、春君が元気にバスケしてる姿とか、笑顔とかを見てると、僕も頑張らないとって気持ちになるんです。早く犯人を捕まえて、安心して貰わなきゃって。仕事の糧とでも言うんでしょうか。エネルギーを、充電させて貰ってるんです」 少し照れ臭そうに言う小野寺さんからは、邪な感情は微塵も感じなかった。そう疑う俺の方が醜く感じてしまうまでに爽やかだった。 疑うべきか。疑わざるべきか。 排除すべきかどうか。 小野寺さんは8割の男だ。ハル先輩をしてただの男との認識しか持たない2割の男ではなく、ハル先輩を「可愛い」と感じていて、構ってやりたくなって、あわよくば気に入られたいと思う8割の男なのだ。 ただの男の笑顔が仕事の糧になる筈がない。例えばむっさい髭面の男の笑顔。あり得ない。そんなものわざわざ観に来たりしない。 小野寺さんがハル先輩の笑顔を仕事の糧とやらにしているのは、ハル先輩が可愛いからで、その可愛さを小野寺さん自身が感じているからに他ならない。それを自覚しているかどうかは別として。 「僕を事件から外すなんて言わないでください。自分で言うのも何ですが、僕以上にこの事件に精通している刑事は他にいませんし、事件を解決したいと思う情熱だって誰にも負けませんから」 この人は排除対象だ。8割の内の一人だ。でも――――。 「……すみません。感情的になってしまいました」 色んな事を天秤にかけた。 俺の思い。ハル先輩を守ること。そして、事件を解決する―――犯人を捕まえること。 ハル先輩にとって一番の脅威は、言わずもがなあいつ。向田だ。あいつを捕まえる事が最優先。ハル先輩の為にはそれが一番である筈だ。 「8割の男」がハル先輩の周りをうろつくのは正直嫌だ。でも、俺のそういう嫉妬心や独占欲は、この際一番優先順位の低い所に持っていくべきだと思った。それらは俺が我慢すれば済むことだし、幸い小野寺さんは自覚がない様だ。ハル先輩にとってすぐに脅威となる存在ではない。俺がより一層警戒すれば十分に守れる。 事件が解決すれば、その時は本当に小野寺さんがハル先輩に会いに来る理由も必然性も必要性もなくなる訳だから、そうなってもハル先輩の周りを彷徨く様だったら、その時に完全に排除すればいい。それが、ハル先輩の為には最善の選択だ。 ―――――こんな風に言い訳がましく言い聞かせて。 俺は、意外にも随分と宏樹さんに言われた事を気にしていたらしい。『それが本当に春の為なのか?』そう問われた事を。

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