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doubt 2

紫音から逃げる様に体育館を出た俺の足は、無意識にロッカールームへと向いていた。何せいつもここではロッカールームと体育館の往復ぐらいしかしない物だから、勝手に知っている道を選んだのだろう。 まだ練習は終わりではないけれど、練習試合後はいつも10分程休憩をとる。更衣室まで来たついでに新しいタオルでも持っていくか。そう思いドアを開けた。 「え……」 誰かいるなんて、予想していなかった。背格好から、とっさに部外者だと分かったものの、誰であるか判別するのに、少し時間がかった。 「春くん!」 選手専用の更衣室であるにも関わらず、その人は悪びれる様子もなく、寧ろ嬉しそうにこちらに寄ってきた。 「これは運命かな?」 「一体ここで何を…!」 何をしているんですか! そう問おうとした言葉が途切れた。シーズンが終わった今になっても、練習会場の外で毎日の様に出待ちしていたこの人物の右手に握られているのは、俺のシャツだったから。 「あ、これ気づいちゃった?握手会来れなくなって、試合も終わっちゃって、春くんが足りないから。時々ここに忍び込んで、春くんの服の匂い嗅いでたんだよ」 俺は絶句するしかなかった。 更衣室に忍び込んで服の匂いを嗅いでた?しかも今日だけじゃなく、これまでにも何度も? 「春くんって男の子なのにほんといい匂いだよね。興奮して、今日はいつも以上の事もしちゃった。今着てる、その汗でびしょびしょのTシャツはきっともっといい匂いがするんだろうな。嗅ぎたいな、嗅ぎたいな」 ゾワッと寒気がして固まってしまっている内に、男の手が伸びてくる。 「ついでに裸も見せて?」 その手が触れるか触れないか、寸での所で後ろに避けた。 「近づかないでください!それに、ここに無断で侵入するのは犯罪です!」 本当に犯罪かどうか知らないけど、ともかく出ていって貰いたくて、傍に寄らないで欲しくてそう言った。 「今僕、春くんと二人きりだ……。こんなに近くに春くんが………」 犯罪です!って、口から出任せかもしれないけど、それでも結構な脅し文句だと思って言ったけれど、相手は全く動じなかった。それどころかジリジリと距離を縮められる。 「ねえ、握手会の時の事、怒ってる?」 「………」 「ごめんね。春くんが素直じゃないから、カッとなっちゃって」 俺が素直じゃないって何?素直に何でも言うこと聞けって?そんなの冗談じゃない! 「もう帰ってください!」 穏便に……と思いつつも苛立ってつい口調が荒くなる。 「そんな悪い口聞くんだ」 男が言いながら肩掛けの鞄の中から何かを取り出した。 「春くんって、こーいうの好きでしょ?」 男の手に握られていたのは、真っ赤な縄だった。 「隠さなくていいよ。僕、春くんの事なら何でも知ってるんだから」 何を言ってるんだ……? 「縛って身動き取れなくして、滅茶苦茶にされたいんでしょ?」 「何を……」 「僕がご主人様になって可愛い春をたっぷり可愛がってあげるよ」 ご主人様……? ご主人様―――――ご主人………様。 ――――――――。 ――――――。 「ハルせんぱーい」 微かな声だった。 でも、その声は俺の耳に確かに届いて、また酷い頭痛に思わず踞ってしまいそうだった俺の意識を引き戻した。目前まで迫って来ていた男は手にしていたTシャツを慌てて放り投げると、一目散に更衣室から出て行った。 俺は、自然とその場にへたりこんでしまった。頭痛は消えていたけれど、足の力が抜けて、その代わりに心臓がバクバクしている。 「ハル先輩、こんな所にいたんだ」 程なくして現れた紫音がやれやれと言った調子でそう言った。でも、見上げた俺を見て顔つきが変わった。 「なんかあった!?」 紫音が肩に掴みかかる。 俺、変な顔をしているのかな。顔色がおかしかったりするのだろうか。何にせよ、また心配させてる……。 「疲れたから、ここで休んでた」 「それだけ?なんか、ちょっと様子がおかしいけど……」 「疲れてるだけだよ。フル出場は、やっぱりまだ堪えるな」 紫音は、俺の作り笑いには目を向けず、周囲を探るように視線を巡らせていた。 「あれ……」 紫音が視線を止めた先にあるのは、あの人が投げていった俺のTシャツだ。 「汗だくだから、着替えようと思って」 俺は気力を振り絞って立ち上がると、Tシャツを拾い上げた。 「あ……」 ――――ぬるりとした。 この感触、そしてこの臭いには覚えがある。 「どうかした?」 「な、なんでもない!」 「本当……?」 「着替えたらすぐ行くから、紫音は先に戻ってて!」 「………じゃあ、外で待ってます」 訝しげだったが、紫音はその言葉の通り部屋を出てくれた。きっと、扉のすぐ向こうで待ってくれているのだと思うが。 握っていたTシャツを開いて見てみると、案の定粘つく液体で汚されていた。 なんで俺の服なんかに………。 同性の紫音の夢を見て夢精してしまう俺が言うのもなんだが、理解しがたい。でもこれでようやくあの人の目的がはっきりした。あの人は、俺をそういう対象にしているのだ。全く理解しがたいが、確実に。 世の中には色んな趣味の人間がいるのだ。大人の俺が紫音に欲情しているのと同じように。子供の俺には理解しがたい色んな趣味が、大人の世界にはきっとあるのだ。 でも、こんなのとても受け入れられない。気持ち悪い。嫌悪感しかない。 きっと紫音も、同じ気持ちだった筈だ――――。

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