189 / 236

doubt 3

玄関のチャイムが鳴った。 いつもはインターフォン越しに相手を確認して居留守を使うのか応対するのか決めるのだが、今日はすぐに玄関に向かった。確認しなくても、相手が誰なのか分かっていたから。 「すみません、こんな時間に……」 「全然。寧ろ頼って貰えて嬉しいです」 待ち人であった刑事さんは、開口一番笑顔でそう言ってくれた。 申し訳なさやらなんやらで萎縮しそうだった俺は、その言葉に幾分救われた。本当に何て優しいんだろうこの人は……。 今日の相談も、俺は電話で済ませるつもりだったけれど、刑事さんは「直接聞いた方がいい」と言って、その足でこうして急遽訪問してくれたのだ。 「今日は、こっちでいいですか?」 「どこでもいいですよ」 中へ招き入れた刑事さんに断りを入れると、俺はリビングを突っ切って、自分の寝室のドアを開けた。 「狭いですけど、どうぞ」 「こ、ここ、春くんの部屋?」 「そうです。椅子も何もないので、よかったらベッドにでも腰掛けててください」 「い、いいの……?」 刑事さんは部屋に入るのを躊躇している。 一応刑事さんが到着するまでにさっと片付けはしたからそんなに散らかってはないと思うけど、もしかして臭いがあったりとかするかな……。自分の臭いだから自分ではよく分からないけど、寝室ってやっぱりその人の臭いが籠るものだ。紫音の部屋も、紫音の匂いがするし………って、だめだめ。こんな時に何考えてるんだ! 「換気しますね」 「え?どうして?」 「その……臭いとか、気になるんじゃないかなって……」 「いやいや大丈夫ですよ!お邪魔します」 刑事さんは意を決した様に部屋に入った。……やっぱり後で然り気無く換気しよう……。 「あの、本当にここに座っても……?」 「嫌でなければ、どうぞ」 刑事さんはまた意を決した様にベッドに腰掛けた。俺はキッチンにお茶を取りに行ってから、寝室の窓を少し開けると、刑事さんの向かいの床に座った。 「な、何か、緊張しますね!」 「すみません」 狭いし、ベッドなんかに座らされて嫌だろう。 でも、この前刑事さんを家に入れた事を、紫音に叱られたのだ。家賃を折半しているとは言え、元々ここは紫音の家だった訳だから、そこに勝手に人を入れられて嫌だったのだろう。紫音は意外と綺麗好きだからな。少なくとも俺よりは。だから、共用部分に人を入れるのはもうやめようと思った。もしかしたら俺の部屋でも紫音は嫌がるのかもしれないが、俺は紫音のいないときに一人で(というか紫音以外と)外に出るのは禁止されているし、紫音に内緒で人に会うにはこうするしか方法がなかったのだ。 「しゅ、春くんも、こっちに座ったら……?」 「いえ、俺はここで」 「そ、そう……?でも、床じゃ、足が痛いんじゃ……」 「大丈夫です」 「いや、でも、ほら。ちょっと、寒いし…」 「ごめんなさい、今閉めます」 俺は慌ててベッドの向こう側の窓を閉めに立った。 季節はまだ冬だ。そりゃあ寒い筈だ。でも、ほんの少しだけでも空気の入れ換えができたからよかったかな。 「まだ寒かったら毛布とか膝に…」 窓を閉めてから振り返って。膝にかけますか?と聞こうとしたら、ぐいっと腕を引かれた。 「春くんも。風邪を引いてはいけないから」 刑事さんは華奢に見えたけど、伊達に刑事さんではなかった。結構な力で引っ張られて、よろけた俺は刑事さんの隣に腰かける形になってしまった。 「でもあの、これじゃ喋りにくくないですか…?」 「大丈夫。例えば、公園のベンチで話をしてると思えばいいんじゃない?」 公園のベンチ……?ここ、公園じゃないんだけど………。 でも、まぁいいか。自分のベッドだし。 それに、紫音が仕事を終えて帰ってくるまでにはまだもう少し時間があるけど、それでもたっぷりと余裕がある訳ではない。なるべく早く話を終えておきたい。 「それじゃあ、このままで。さっき電話で話した相談についてなんですけど…」 「うん、何でも話して?」 「はい」 俺は、今日の出来事を刑事さんに包み隠さず話した。握手会での事や、いつも出待ちされている事等はもう既に知ってくれていたから、話はスムーズだった。 「それは怖かったね……」 刑事さんは親身に話を聞いてくれた。 「こういうのって、警察の方に動いて貰う事は出来るんでしょうか?」 できればなるべく穏便に。 「被害届を出してくれれば、口頭注意は出来るし、接近禁止令ももしかしたら取れるかもしれない」 「そうなんですね!」 接近禁止令は魅力的だ。今日言った脅し文句の「犯罪ですよ」が、傍に寄られただけではったりじゃなく使える様になるのだから。 「でも、それだけじゃ心配だから、チームの警備の人たちとも連携した方が…」 「チームには、話したくないんです」 「え?どうして?」 だってチームに知られたら、絶対に紫音にも知られてしまう……。 「心配かけたくないんです……」 「………気持ちは分かるけど、でもやっぱりチームには…」 「紫音に、知られたくないんです」 「どうして……?」 「これ以上、紫音に負担をかけたくなくて……。あの事件以降、紫音は俺の事を物凄く気にかけてくれているんです。ちょっと、普通じゃないくらい心配してくれていて……。だから、これ以上紫音が心配しなきゃいけない様な問題事を増やしたくないんです。……問題事は、現に起きてしまっているんですけど、それでも紫音には………」 刑事さんは黙っている。 これ以上どう言えばいいのか……。チームに黙っているなんて、やっぱり俺の勝手だろうか。何かもっと大変な事が起きてしまったら、チームにはもっともっと迷惑をかける事になってしまうし、紫音だってきっと………。 「わかった。春くんの意見を尊重するよ」 きっとダメだって言われると思っていたから、思わず聞き返してしまいそうになった。でも、刑事さんは微笑んで頷いてくれている。 「いいんですか?」 「もちろん」 そう答えながら、刑事さんの手がこちらに伸びてきた。まるでそうするのが当たり前という感じでぎゅっと握られたから、俺は少し驚きながらもされるがままだった。 「僕が全力で春くんを守るよ」 刑事さんはまっすぐ俺の目を見てそう言った。とても誠実で、頼もしく見えた。この人に任せていれば、うまく収まるんじゃないかと、そう思わされる様な力強さを感じた。

ともだちにシェアしよう!