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darkness 2

元々、食事作りはほぼ俺の役目だった。それは、ハル先輩が記憶を無くす前の付き合ってた頃もそうだったし、こうして同居する様になってからも、初めの頃はそうだった。 俺はハル先輩に対しては尽くしてやりたいタイプだから、ご飯を作ってあげるのも掃除をしてあげるのも全く苦にならなかったけど、今のハル先輩にとってはそうでなかったらしい。家賃折半の申し出を初め、朝食も夕食も掃除も担いたがった。どうやら俺に相当遠慮しているらしかった。 付き合っていた頃は、俺がやって当たり前だった事を遠慮されると、また少し虚しい気分になったりもしたけど、それでハル先輩の気持ちがすっきりするのなら、と家事を当番制にした。 そう考えると、付き合ってた頃のハル先輩は随分俺に甘えてくれていたんだなぁとしみじみ思う。甘えて、心を許してくれていたんだと思うと、二度と取り戻せないかもしれないその瞬間が愛しくて仕方なくなる。 「ハル先輩、夜の事なんですけど…」 暗い思考を払拭したくて、この話題を振った。でもハル先輩にとってはバツの悪い話題である為か、俯いてしまった。 「ごめん、俺………」 ハル先輩は消え入りそうなくらい小さな声でそう言うと、身体を縮こまらせた。申し訳ないって感情が、身体から滲み出ている。 「ハル先輩、そんなに謝らないで。俺全然気にしてないから」 「本当に記憶がなくて……。でも、どうにかしなきゃって思ってる」 「大丈夫ですよ。寧ろ、」 「俺、今夜から手足縛って寝る」 「え?」 「ベッドに括りつけておけば、さすがに紫音の部屋には行けないだろうから」 ハル先輩は、ようやく顔を上げた。どうやら冗談で言っているんじゃないらしい。決意を秘めた目をしている。 「そんな事しなくていいよ!寝苦しいだろうし、変な風に身体が凝り固まっちゃいますよ!」 「でも、そうでもしないと俺また…」 「いいんですよ来てくれて。もうこの際初めから一緒に寝よう?そもそも俺はそれを言おうと思ってこの話題を持ち出したんですから」 ハル先輩は物凄く驚いた顔をしていた。そしてすぐにそんなのダメだと首を振った。でももう俺はこれを譲るつもりはなかった。 ハル先輩が最近俺によそよそしいのが辛いのだ。その原因は、きっと、いや絶対に俺に申し訳ないとか思っちゃってるせいだ。俺は抱きつかれたり寄り添われたりするのは寧ろ大歓迎なんだけど、ハル先輩は俺が迷惑がっていると思っているらしい。 俺はよそよそしい態度を取られるのは悲しいし、ハル先輩も毎朝ぎょっとするのも俺に謝るのも嫌だろう。だったら初めから一緒に寝ればいいのだ。一緒に寝てるのが当たり前になれば、ハル先輩が俺に申し訳なく思うこともなくなるだろうし、そうなれば俺に対する態度も普通に戻るだろう。一石二鳥なのだ。だから、俺は絶対にこの案を譲るつもりはなかった。 ………という訳で、俺は何度ハル先輩に拒絶されても、しつこく一緒に寝る事を主張し続けた。そうして、しぶしぶハル先輩はわかったと頷いてくれた。 これって一歩間違えばセクハラだよな、と思いながらも一緒に寝るのが当たり前になる事が嬉しくてニヤニヤしてしまうのを必死に隠した。 これで一気に俺とハル先輩の距離が縮まったらいいな、なんて期待までしてしまうのは、美味しい朝食を作ってくれて奥さんしてくれたハル先輩を見て気持ちが昂ってるせいかな。 望み薄なのは分かっているけど、やっぱり俺はハル先輩が大好きだから、思い出してくれないならまた俺の事を好きになって欲しいと願わずにはいられないのだ。望み薄なのは重々承知の上でも、俺はやっぱりハル先輩が欲しいのだ。 * 「春、さっきのプレーよかったよ!」 「ありがとうございます」 「いやーまさかあそこでスリー狙って来るとは思わなかったよ。してやられたぜ」 練習試合を終えて、珍しく練習に顔を出したオーナーと宏樹さんを筆頭にしたチームメイト達がハル先輩を労っている。 少しずつ体力も戻ってきたハル先輩は、最近ではフル出場することも増えてきた。かなり辛そうではあるけど、持ち前の負けん気で最後まで手を抜く事なく食らいついている。バテてこそ真価を発揮するというか、精神的に研ぎ澄まされるのか、後半にスーパープレーが飛び出す事も多い。 そんな時のハル先輩は、自信に満ち溢れていて、キラキラしていて、常にハル先輩に夢中な俺が思わず惚れ直しそうになるくらいに魅力的だ。 この間黒野が、ハル先輩は完璧だと言っていたけど、大袈裟でなく本当にそうだと思う。ハル先輩は何でもそつなくこなす。いや、そつなくどころか、何をやらせても軽く人並み以上にできる。勉強も、運動も、容姿も何もかも完璧だ。 それなのにそんな自分に傲ることなく、謙虚で控えめで可愛らしい。普通の人間に、例えば俺に、こんなスペックを与えられていたら、俺はかなり嫌味な人間になっていた気がする。でも、ハル先輩は元々こんな風だった。あの事件がなくても、記憶がなくても、謙虚で傲らない人だった。それが、あの事件のせいで、元々控えめだったハル先輩の自信や自尊心は地に落とされた。自分を否定する事が当たり前になって、周囲からどんなにチヤホヤされようと、それを肯定的に捉えることが出来なくなってしまっていた。「俺なんか」が口癖で、自分で自分の輝きを抑えつけていた。 それが今は違う。謙虚ではあっても、自ら魅力や輝きを抑えつける事はしないから、もうキラキラが駄々漏れなのだ。眩しいくらいに。 下心とかがなくても誰もが思うだろう。この人の傍にいたい。近づきたいって。 宏樹さんは元より、初めはハル先輩の事を斜に見ていたオーナーでさえ、今やハル先輩にメロメロに見える。練習を見に来る度にハル先輩に一番に話しかけ、労い、褒め称えているのだから。 前までその立場はエースの俺だったのに、今やすっかりハル先輩に食われてしまっている。 俺の魅力なんて、ハル先輩の天性のそれに比べれば大したことない。ハル先輩はキラキラ神々しいのに対して、俺はどこか泥臭さが抜けないのだ。 でも、断じて俺は別にハル先輩にヤキモチは妬いてない。妬くとしたらハル先輩に慣れ慣れしいオーナーや宏樹さんとかに対してであって、ハル先輩には憧れとかが大きくて、あるとしてもライバル心だ。 こんな姿を来シーズン試合で全国に晒されたら、今シーズン以上の騒ぎになる事は明白だ。男は元より、女だって放っておかないだろう。 こんなに完璧な人が、何が悲しくて男を好きになる?普通に、可愛い彼女がいて当然の様にしか見えないじゃないか。 ハル先輩が俺を好きになってくれたのは、ハル先輩の心が闇に蝕まれてしまったせいだ。俺はハル先輩にとって闇だ。暗い存在だ。だから、あいつの記憶と一緒に俺の事も忘れてしまったんだ………。 キラキラしているハル先輩を見ていると、ずんずん暗い思考に入っていってしまう。圧倒的な光の傍には、必ず影が出来るものだ。その影が俺だなんて思いたくはないけれど………。

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