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darkness 4

今晩だけ。これで最後。 そう思いながらも意志の弱い俺は、結局誘惑に負けて毎晩ハル先輩で…………。 一緒に寝ることが当たり前になって、ハル先輩は朝方慌てて俺の部屋から出ていく事もなくなり、俺に対するよそよそしさもなくなってきた。 初めは目も合わせられないくらい恥ずかしそうにしていたけれど、1週間も経てばかなり慣れたみたいで、朝ベッドの中で目が合うと、はにかみながら「おはよう紫音」と言ってくれるまでになって、俺の内心を悶えさせてくる。 今でも相変わらず夜中悪夢に魘されたり泣き出したりはするけど、やっぱり朝になればすっかり忘れている様で、キラキラしたハル先輩に戻っている。 そんなハル先輩に毎晩後ろめたい行為をしている俺には、そのキラキラは眩しすぎた。この神々しい天使を振り向かせるなんて無理だと、元々ない自信がミリ単位まで削られていく。 あの綺麗な翼が折れない限り、ハル先輩は俺の所に堕ちてきてはくれない………。 ハル先輩にとって本当に幸せなのは、大空を自由に飛び回る事だ。トラウマのせいで俺にしか身体を許せなくなってしまったハル先輩は、間違いなく翼が折られていたから。 ハル先輩の本当の幸せを願うなら、今のキラキラを受け入れるべきなのだ。頭ではわかっている。けど………。 俺は時々恐ろしい思考に支配される。ハル先輩をもう一度堕としたい。あの輝く翼を毟り取りたいと。 ハル先輩の本当の幸せを願えない俺は、本当にダメな奴だ。こんなんで愛してるなんて、よく言えた物だ。 でも結局俺には人間的な欲望を無くす事なんてできないのだ。性欲も、所有欲も、独占欲も、無にできない。 ハル先輩に俺のこの気持ちを認めて貰って、受け入れて貰いたい。見返りもなくハル先輩の幸せだけを願うなんて崇高な事、低俗な俺にはとてもできやしない。やろうとしたけど、頑張って言い聞かせようとしたけど、やっぱり無理なんだって最近痛いほどに思い知らされている。 最近……いや、結構前から気になっている事がある。 元々バスケのユニフォームは緩めにできている。昔よりはタイトになってきたとはいえ、身体に厚みのないハル先輩が着るとそれでも結構ブカブカだ。 そんなブカブカのユニフォームで前屈みになったりすると、胸元がチラ見えするのだ。例えばディフェンスで低い姿勢を取った時であったり、疲れて膝に手をついた時であったり。 ハル先輩が試合に出ている時は俺も出ていることが殆どで、そんな真剣勝負な場面では例え大好きな人の胸チラであったとしても露骨にじろじろ見たりはしない。 でもだからって気にならないかというとそんな事はなくて、無意識にも思わず目を向けてしまう。初めは乳首見えないかなぁぐらいの下心だったのかもしれないが、今一番気になるのはそれじゃない。 傷があるのだ。傷というよりも跡だろうか。ハル先輩の真っ白な肌には目立ちすぎる赤黒い跡が、左の胸元に。 何も知らない人にはただの痣の様に見えるのかもしれないが、俺は元々ハル先輩の肌にそんな痣がない事は知っている。そして、誰からつけられたものなのかも予想がつくが故に、それを見る度に物凄く複雑な心境になるのだ。 絹のように滑らかで真っ白なハル先輩の肌を汚したあの男が憎くて仕方ないし、俺のハル先輩を傷物にされた悔しさもある。 どうやってつけられたのかは分からないが、今でもあんなにくっきりと跡が残っているのだ。どんな方法であったとしても相当の痛みと恐怖と屈辱があったであろうことは想像に難くない。 だから、その跡の詳細を知りたいと思う一方で、ハル先輩の受けたであろう苦痛を想像すると目を背けたくもなる。 目を背けたくなる理由はもう1つある。それは、自分が怖いからだ。 ハル先輩は今俺のじゃないのに、俺の根底には俺の物だって強く主張する自分自身がいるのだ。 あいつに、ハル先輩の初めてを奪われたあの男に、再びハル先輩を奪われた証なんかをじっくり見てしまったら、怒りで暴走する自分を抑えられる自信がない。 理性が勝つか、本能が勝つか。 毎晩紙一重な勝負をしている俺にとって、本能が暴走しそうな切っ掛けを与えられるのは死活問題なのだ。 だって本能のままに動いたら、俺は間違いなくハル先輩に嫌われる。軽蔑される。避けられる。それは文字どおり俺にとって死活問題だ。 嫌われるくらいならあらゆる欲望を我慢する。俺の最後のストッパーの大義名分は随分と薄っぺらい。「ハル先輩の為」とか、「身を引く事こそが愛だ」等と言いたい所だが、所詮俺は低俗な人間なのだ。 「っ、!!」 またやってしまった。 でももう毎晩恒例の事で、罪悪感さえ薄れてきてしまっている。 毎晩毎晩、触れるだけのキスと寝顔と温もりと香りだけで、よくこんなにもサカれるものだと思わないでもないが、ハル先輩と一緒に住んでた頃もほぼ毎晩抱いていたし、ハル先輩を前にした俺の反応はこんなものだ。 今でもそうだけど、以前からずっと強迫観念の様に思ってた。抱いて俺の物にしないとって。もっと動物的に言うとマーキングをしないと、みたいな。ハル先輩にマーキングしたい奴は大勢いるからこそ、俺の匂いを常に色濃くつけておかないと心配なのだ。 今はまだいい。 ハル先輩は律儀に俺の言う事を聞いて俺なしで出歩かないし、俺以外と2人きりになることもないから。 でも、例えばあいつが逮捕されて、ハル先輩の行動を制限する理由がなくなったら。ハル先輩がいい加減嫌になって、俺に逆らい一人で出歩く様になってしまったら。 最近幸いにもなぜか見かけなくなったけど、あの変なストーカーみたいなファンに襲われてしまうかもしれない。オーナーだって、宏樹さんだって、それに秋良や黒野も油断できない。 あとは、ハル先輩を狙う女。ハル先輩は女に免疫がないから、誘惑されたらコロリと落とされてしまうかもしれない。 もしもハル先輩が再び誰かに襲われたら。 もしくはハル先輩から「彼女が出来た」なんて言われたら、俺は……………。 想像するだけで背筋が寒くなって、落ち着かない気持ちになる。でも、女だって有り得ない話ではない。しかも女の場合は心まで奪われてしまう可能性が高い。そうなると男に無理矢理襲われるよりもたちが悪い。 そうなる前に、他の奴にマーキングされてしまう前に、ハル先輩を俺の元に取り返さなければならないのに、そのいい方法が思い付かない。 記憶を取り戻して苦しむハル先輩を見るのは辛いけど、眩しすぎるハル先輩を見ているのも辛い。 時々考えてしまう。 どうせどっちも辛いなら、思い出させてしまえばいい。 翼をもぎ取り、地に堕としてから、また俺が掬い上げてやればいい。 そうすればハル先輩はまた俺だけを見てくれる様になる。俺だけを受け入れて、俺だけを愛してくれる様に………。 こんな事を考えている時、俺はどんな顔をしているだろう。 きっと悪魔の様に醜いに違いない。あんなに美しい天使を堕天使にしたがっているのだから、あながち見当外れでもないだろう。 でも、ハル先輩にトラウマを思い出させるなんてそんな極悪非道な事、実際俺に出来るか?………いや、できない。 ハル先輩が苦しむ姿を正視できない。毎晩悪夢に魘されるハル先輩を見るだけであんなにも辛いのだから………。 でも、それしか方法がないのだとしたら。ハル先輩を他の奴に奪われるくらいなら、俺はもしかしたら――――――。

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