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confession 3

「なんかあっという間だったな」 ホテルへと向かう道すがら、ハル先輩が言う。俺も、全く同じ気持ちだ。 「俺、今日が終わらなきゃいいのにってずっと思ってました」 「大袈裟だなあ」 うっかり本音を漏らした俺に、ハル先輩が眉を下げて笑う。キスした時と同じで、気持ち悪がってる様子は全くない。 「ハル先輩、疲れてる?」 「ううん、そんなに」 「ホテル着いたら、部屋に行く前にラウンジでお茶でもしませんか?」 「ん、いいよ」 いいよって言い方も可愛いし、俺を見上げて微笑むハル先輩も可愛過ぎて、思わずにやけてしまいそうだ。今日のハル先輩は可愛い。言うまでもなくいつも可愛いけど、今日は特別可愛い。 誘ったラウンジは、普通のとこじゃなくて、スイートルームとかのちょっと値の張る部屋の宿泊者だけが使える雰囲気抜群のそれだ。初めはカジュアルなバーにでも誘おうと思ってたけど、目的はお酒じゃなくて会話だ。もちろん、部屋だってスイートなんだから雰囲気抜群なのは知っているけど、まったりしちゃって寝られたら困る。そこまで疲れていないとは言っても、1日中歩き回った後だ。部屋に入ったら眠気を刺激されてもおかしくない。尤も、俺が刺激されるのは別の所で、それはそれでまずい。雰囲気とハル先輩の可愛さに当てられたら、俺のちっぽけだけど強固な自制心でも崩壊しかねない。だから、人目という緊張感は絶対に必要。 俺はこのデートに賭けているのだ。ハル先輩が俺とのキスを嫌がらなかったり、デートしてくれたり、熱烈な言葉を受け入れてくれているのは、俺と同じ気持ちがあるからなのか、それとも単に鈍感過ぎるからなのか。 ハル先輩の真意を知りたかった。そして、もしもいい線いってるのなら、この最高のシチュエーションで俺の気持ちを伝えられたら……。玉砕覚悟で、なんてことが言えない所が情けないが、でも、勘違いで告白してハル先輩に嫌われるくらいなら、情けない男でいる方が断然ましだ。 でもまさか、記憶のないハル先輩と両想いかも……なんて事で悩める日が来るなんて思いもしなかった。ハル先輩には絶対そっちの気はないと思っていたから。いや、今でもそう思っているからこそ、これだけのフラグが立っても勝敗は五分五分だ、としか思えないのだが。 荷物は先に部屋に運んでおいてもらっていたので、ホテルに着いたら真っ直ぐ件のラウンジへと向かった。 展望室を思わせる大きな窓に、落ち着いてはいるが豪華な照明。ゆったりとしたソファに、ふかふかの絨毯。想像以上にいい雰囲気だ。ドレスコードはない筈だが、なんというか、ラグジュアリー感漂うその空間とこれからの事を考えると凄く緊張して足元が覚束ない感じになってきた。 けど、対するハル先輩はというと、至って自然な様子でそこにいる。このラグジュアリー感に気後れすることなく、セルフサービスで選んできた紅茶を前に優雅に座っているのだ。ワンダーランドではずっと被っていたキャップを外して美しい銀髪を余すことなく晒しているハル先輩は、何と言うか、この空間に実に馴染んでいる。元々姿勢や所作が綺麗な事は知っていたが、庶民的な部屋の中とか大衆居酒屋なんかで見るよりもずっと美しく見えた。 バスケットボールにも、SNSにも、週刊紙にも全く縁がなさそうな上品な紳士がハル先輩に見惚れているのに気付いて、俺はこんな所でまごついていられない、と飲み慣れたコーヒーを手に取る。ハル先輩と同じ紅茶にしようかとも思ったけど、作法とかがもしあったら、正直よくわからない。今日は、格好悪い所は見せられないのだ。 足早に席に戻った俺に、ハル先輩が微笑みかけた。その姿は絵画にできそうなくらい神々しくて、美しくて、俺の身体中から変な汗が吹き出す。 うわー、俺、こんな人と付き合っていたんだ……。 今さらだ。本当に今さらになってそんな事を改めて思った。知ってた筈なのに。 俺、こんな綺麗な人をよく牛丼屋とかラーメン屋に連れて行けたな。なんだろう。王族?貴族?俺の少ないボキャブラリーでは言い表せないけど、俺今ロミオとジュリエット気分だ。 そう言えばよく考えなくてもハル先輩のご実家だって超お金持ちでご自宅も超ラグジュアリーなんだった。俺の家だって決して貧乏ではないけれど、ハル先輩の家と比べたら庶民だ。というか、金のある、なしよりも何よりも、ハル先輩は育ちがいい。俺みたいにガサツに育てられてない。 ハル先輩が上品にソーサーの上に乗せられたカップを持ち上げてこれまた優雅に紅茶を口にした。俺もいつまでも見とれている訳にもいかず、気を取り直す為にコーヒーを一口飲む。緊張でカラカラに乾いていた口が潤ったら、少し喋りやすくなった気がした。 「初めてのワンダーランド、どうでした?」 「凄く楽しかった。今日はありがとう」 ガチガチに緊張していることに気付かれない様、あくまでもスマートに聞くと、ハル先輩はこれまた極上の微笑みで答えてくれたから、俺の仮面は早くもひっぺがされた。 「お、俺の方こそ。本当に、楽しかったですね」 仕事しろ、俺の語彙力。もっと何か気の利いた事言えって。 「紫音は、何回か来たことあった?」 「そうですね、何回か。あ、家族とか、友達とですよ!」 気の利いた事は言えなくても、ハル先輩にまた変な誤解を与えたくないから最後のは強調しておく。 「混んでてあんまり乗り物乗れなかったな。連休じゃなかったら、もっと空いてたかな」 「多少は違うかもですね。でも、俺、今まで来た中で今日が一番楽しかったです!」 「今日は何か目新しいものがあったりしたのか?」 ハル先輩が首を傾げている。ハル先輩は相変わらず鈍感……というか、自分の価値に無頓着だ。はっきり言わないと伝わらないし、反応だって知ることができない。 「何も目新しいものなんてないですよ。ただ、ハル先輩と一緒だったからこれまでで一番楽しかったんです」 ハル先輩の目を見てきっぱり言い切ると、ハル先輩はきょとんとして、それから一拍置いてからぽっと顔を紅くして俯いた。 可愛い。やっぱり嫌がってない。気持ち悪がってない。寧ろ照れてる。 「ありがとう。俺も……」 俯いたままのハル先輩が、もごもご恥ずかしそうに言った。『俺も……』って、これ、やっぱ脈あり……!? その先の言葉は待ってみてもなかったから、もう一押ししようとした時、ハル先輩が顔を上げた。 「俺、今日が最後かなって思って」 「え、最後?」 「うん。俺の記憶、いつ戻るのか知らないけど、でも、記憶戻ったらもうここには来られないんだろうなって。だから、よく観ておこう。ちゃんと覚えておこうって思ったんだ」 サングラス、ごめんな。そう言ってハル先輩が苦笑した。 終始素顔のまま今日を過ごしたハル先輩は、やはり何人かにその存在を気づかれてしまったけど、皆自分が楽しむ事に夢中だったおかげでしつこく絡まれることはなかった。 でも、俺が嫌な記憶の事匂わしたからハル先輩は……。 「でも、俺また行けると思う」 「また行きましょう!」 最後だなんて寂しいこと言わず、記憶が戻るまで、何度でも。ハル先輩さえよければ、俺と一緒に。 「記憶が戻っても」 「そうですよ、戻っても……って、え?」 「悪い記憶、きっと塗り替えられたと思うから」 紫音のおかげだよ。そう言ってハル先輩は俺に穏やかに笑いかけた。 なんて可愛いんだ……。こう思うのは今日何度目になるだろう。ハル先輩の笑顔を前にすると、頭の中は半分以上この感想に占められる。けど、今頭のもう半分が考えている事、感じている事。それは、抜け落ちていたパズルのピースがストンとはまった様な感覚だ。 そうか、そうだったのか………。 俺はいつだってハル先輩のトラウマに触れることを恐れていたし、あいつの匂いのする場所を避けてきた。あの過去については、かなり慎重に、腫れ物に触る様に扱っていた。それは一番にはハル先輩を気遣っての事だったが、俺自身も思い出したくない気持ちが多少なりともあって、あいつの痕跡にいちいち嫉妬する事に辟易していた。最近になって治療を……という話は出来ていたけど、見守る事はしても俺自身が積極的にそれに触れるつもりはなくて、完全に専門家頼みだった。 その治療がよかったのか悪かったのかは、こうなってしまってはもう分からない。けど、あの頃、治療を受けていた頃のハル先輩は辛そうだったけど意外にも治療に前向きだった。ハル先輩は進展がないと嘆いていたけど、俺から見れば充分過ぎる程に頑張っていたし、目に見えて改善した……とは言いがたくても、ほんの少しずつでもハル先輩のトラウマは解きほぐされていた様に思う。 そんな中で俺は、傍観者だった。 タイミング悪く会えない期間だった事を言い訳にしなくても、代わってあげる事が出来ない以上、積極的に何か出来るとは思えなかった。もちろんいつも心配していたし、支えてあげたいと思っていたし、そういった意味で俺に出来る事は何でもするつもりはあったけれど、根本的な所で俺に何が出来る、という思いはいつもつきまとっていた。 でも、俺に出来ることは、こんなに単純な事だったのかもしれない。 塗り替えてやればよかった。 暗い思い出を黒いままで仕舞わせないで、塗り替えてやるべきだった。黒の上に何色を載せても黒のままだと諦めていたけど、白ならどうだ。完全に黒いのが消せなくても、それよりも明るいものが際立てば、暗いものを直視せずに済んだかもしれないのに。

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