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confession 5
バーの背凭れの高いソファーに円く囲われた席は、座ってしまえば周囲からの視線は殆ど気にならないくらい隔離されたスペースだ。
そう、俺はあれ以上新井田を止める事ができず、そしてその隙を新井田が見逃す筈もなく、俺達二人はまんまとここに連れてこられた。
俺の前にはジントニック、ハル先輩の前には新井田が勝手に注文したお得意のゲロ甘カクテル(エンジェルキスというらしい)が置かれている。新井田はマティーニを新たに注文して、新井田の連れだという若い男は、手元のショートグラスのカクテルをちまちまと飲んでいる。
「綺麗だ……」
新井田はハル先輩を見つめては溜め息をつき、何度も何度もその台詞を吐いている。初めはいちいち謙遜していたハル先輩も、もう言われすぎてどう対応したらよいものか困り果てている様子だ。
「俺も自分がこんなにボキャブラリーが貧困だとは思わなかったけど、本当に綺麗なものを見ると、それしか言えなくなるものなんだね。まさに君の美しさは筆舌に尽くしがたい」
いつから飲んでいたのか知らないが、新井田は相当出来上がっていそうだ。ハル先輩を前に鼻の下を伸ばして、出てくる言葉はその手のものばかり。可愛いのはタイプじゃないとか言っていた癖に、その態度はなんだ。あーイライラする。いやらしい目でハル先輩を見やがって。勝手に酒を飲ませようとしてるのにも腹が立つ。ハル先輩が記憶を失ってからこの方、ずっと俺が守って一滴も酒なんか飲ませていないのに、今日その鉄壁は破られてしまった。新井田に勧められて断れずに一口、そして、新井田からベタ褒めされてガン見されるという最高に居心地の悪い状況の手持ち無沙汰に、もう何口かハル先輩はあのゲロ甘カクテルを口にしている。
俺は何度も何度もハル先輩と新井田の間に割って入ろうと思った。新井田が酒を注文しようとした時。ハル先輩を見つめる視線が気持ち悪かった時。新井田が綺麗だ綺麗だとなんとかの一つ覚えみたいにハル先輩を口説く時。ハル先輩が居心地悪そうにグラスを持ち上げる時。でも、その度にハル先輩の言葉が甦って、俺は文句を飲み込むしかなかった。
『守られるのはもう沢山だ』
でも、じゃあ俺はこんな時にどうしたらいいんだろう……。
「青木選手」
視界の外から声がかかった。ちょうど俺の向かい側にあたるそこにいるのは、新井田の連れだ。ええと、さっき紹介されたけど、名前はなんてったっけ?
そんな事より、やはり改めて座る順番をミスったなと思わずにいられない。初めは控えめにハル先輩の向かい側にいた筈の新井田は、円形のソファーを利用して徐々にハル先輩に寄ってきて、今ではほぼ隣と言ってもいいぐらい近い。あの手の早い新井田だ。今にもボディタッチに進むんじゃないかとハラハラして俺は二人から目が離せないのだ。それなのに、話しかけるなよ。
「ブランドのCM、格好よくて憧れます」
「はあ、どうも」
無難に返事をして、またハル先輩を見守ることに集中しよう思っていたのに、男が中腰になって口元に手を置いて顔を寄せてきた。所謂、耳打ちするときの態勢。初対面でそれを無視するという無礼をさすがの俺も働けなくて、仕方なく腰を浮かせて耳を向けた。
「青木さんもしたんですか、社長と」
はあ?シタ?
耳を離して男を見ると、意味ありげな目をしていてピンときた。
ああそうか。こいつはそういう訳で新井田とここにいるのか。
「くだらねえ」
「え?」
「俺はンな事する程落ちぶれてないんで」
「……すみません」
男は力なくそう言うと俯いてしまった。
見くびられたと思ってつい強い口調になってしまったけど、「落ちぶれてる」は少し言い過ぎだったか。
きっとこいつも芸能関係者で、運悪く新井田に目を付けられてこんな所まで来てしまったのだろう。売れたい一心で。でも、俺には理解できない。自分の身体、魂まで売って有名になって何になるんだ、と。それでお前は本当に幸せなのか、と。
そういう訳でこいつに本気で同情はできないけど、これから好きでもないオヤジに色々されるという境遇は、客観的に見て可哀想ではある。でも、所詮は他人事。名前を覚える程の興味もないこの男がどんな目に遭っても、俺の知った事ではない。第一、そうなる事をこいつ自身が決めた訳だし。俺が守りたいのは、守らなきゃいけないのは、目の前のこいつじゃなく、隣にいるハル先輩ただひとりだ。
「なあいいだろう?今度写真を撮らせてくれよ」
「……、あの、会社と……オーナーと相談してみます」
「君の所のオーナーとは懇意にしてるんだ。間違いなくいい返事をくれるさ」
「でも、ブランドのイメージ的に、紫音と俺はかけ離れているというか……」
「それがいいんじゃないか。同じタイプなら紫音以上はいないさ。俺は君をずっとオファーしたかったんだよ。もうイメージは完成してる。色彩は、敢えてモノクロだ。ベッドに仰向けになって……気だるい感じでね。春を知らない人が見れば性別不詳な雰囲気にしたい」
俺がちょっと余所見をしている内に、新井田は仕事のオファーを始めていた。こうなるのが嫌で俺はハル先輩を絶対にこいつに会わせないと決めていたのに。それなのに、こうも容易く会わせてしまって、下の名前で呼ぶ程会話もさせてしまって一体俺は何をやってるんだ。これで本当にポスター撮影までされて、知る人ぞ知るレベルでなくハル先輩が有名になってしまったら……。ハル先輩は自分が成り上がる為に身体を売る様な人じゃないけど、ハル先輩がイエスと言わなくても、打ち上げとかお礼だとか銘打って新井田に言葉巧みにこういう場所に連れ込まれるなんて事も起こり得る。
……想像するだけで腸が煮え繰り返りそうだ。でも、えげつない新井田なら普通にやりかねないし、危機感がいまいち足りないハル先輩がそれを察知して上手く逃げられるとも思えない。
やっぱりいくらハル先輩が守られるのを嫌がっていたとしても、このまま放っておいた結果どうなるかを考えたら、俺がすべきことはひとつだ。
「メイクなしでこの美貌なんだ。ちゃんとヘアメイクをしてプロのカメラマンが撮ればきっと話題をかっさらうぞ。格好は、白いシャツに黒いスラックス。ボタンは肌蹴させて、サスペンダーなんかつけてもいいかも……」
「新井田社長」
ハル先輩で想像を膨らませて興奮気味の新井田に向かって。勿論ただ脈絡もなく名前を呼んだ訳ではなく、咎める様な響きを持たせて言った。
「俺がしているのはただのビジネスの話だ」
新井田は悪びれる様子もなく肩を竦めた。
「俺が前言った事、忘れてないですよね?」
「それを言うなら紫音、お前も忘れてないよな?俺だっていつまでも待っていられる程お利口じゃない」
新井田がわざとらしく俺の身体を値踏みする様な視線を向けてきた。こいつに会う度に一度はこういう目をされるのだが、何度経験してもこの手の視線には慣れない。今も腕にはボツボツと鳥肌が立っている。
「待つってなんスか?俺は明確に断ってます」
「男もイケる癖に、今更ノンケぶるなよ」
「違います!」
ニヤつく新井田は本当にキモい。それに、勘違いされちゃ困る。俺はハル先輩が好きなだけで、男がイケる訳ではい。
「こんなに仕事を与えてやって落ちないのはお前だけなんだ。そろそろいいだろう?」
「俺が喜んで貴方の仕事をしていると?」
「ああそうだよな、紫音。お前の一番大切なものは金でも名声でもない。チームでも……」
新井田は、本人に気付かれないくらいのほんの一瞬ハル先輩に意味ありげな視線を向けた。
「お前は欲がないな。男はもっと貪欲な方が成功するぞ」
「強欲で身を滅ぼすより、大切なものが明確な方が幸せだと思います」
「その大切なものがそっぽを向いていてもか?」
「関係ありません。前に言った通りです。俺に仕事を続けさせたかったら、椎名先輩から手を引いてください」
「え……」
口調は穏やかなものの隠しようがないくらいピリピリしていた俺達の間に挟まれて不安そうに様子を窺っていたハル先輩が、今度は困惑の表情になった。自分にはおおよそ関係ないであろう話の中に突然自分の名前が出てきたら、誰だって驚く。
「ああ分かったよ、今日の所は諦めよう」
新井田は大袈裟に肩を竦めてやれやれと首を降った。新井田も変態である前に一企業の社長だ。俺に集客力がある内は広告塔としての俺を手放すつもりはないのだ。つまり、この威し合いの結果は言わずもがな。
「でも、何も俺は取って食おうとしている訳じゃないぞ。ただ何枚か写真を撮りたいだけだ」
「信用出来る訳ないでしょう。それに、例えそれだけだとしても……」
「あの、もしかして俺の話なんですか……?」
「そうだよ春、君の話だ。君も知っているんだろう?紫音の気持ち。これだけの男にここまで想われるっていうのは、どんな気分がするものなんだ?」
「え……」
「社長!」
ハル先輩の質問に咄嗟に切り返せなかった俺の代わりに新井田がとんでもない事を言った。新井田を咎めてから慌ててハル先輩を振り返ると、まさか聞こえていないとかそんな事は当然なく、新井田のとんでも発言に思いっきり反応して困惑の表情を浮かべていた。
「最上の優越感だろう?金にも名誉にも女にも靡かない紫音を傅かせられるのは、正真正銘君だけなんだから」
「いい加減に……!」
怒鳴って睨み付けて、ようやく新井田は黙った。けど、もうこれ以上変な事を言われては堪らない。
「俺達もう戻りますから!」
半ば席を立ちながら新井田に告げて、呆然とするハル先輩の手を取った。
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